たとえば、コロンビア大学のアビゲイル・ショーラーらによる実験では、被験者たちに特定の株に5ドル投資してもらった。その後、被験者の半数に対し、その株が価値を下げたために投資額が全額失われたうえ、シミュレーション上ではさらに4ドルの損失が計上されたと伝えた。残りの半数には、株価が4ドル値上がりしたと伝えた(被験者には、こうした株価の変動は現実の条件に基づくコンピューター・シミュレーションで算出されると説明した)。続いて被験者に再度投資するチャンスを与え、今回は選択肢を2つ設けた。6ドル儲かる確率が75%で10ドル損する確率が25%のもの(無難な選択肢)と、20ドル儲かる確率が25%で4ドル損する確率が75%あるもの(リスクを伴う選択肢)である。これまでの投資額と4ドルの損を含めて合計9ドルを取り返すためには、確率は低いがリスクを伴う第2の選択肢しかないことに注意してほしい。しかも被験者は学部生であり、こうした金額は彼らにとってバカにならないものだ。

 促進焦点型の被験者は、1回目の投資の結果とは無関係に、リスクを伴う選択肢をおよそ50%の比率で選択した。それに対し、予防焦点型の被験者がリスクを伴う選択肢を選んだ比率は、1回目に儲けていた場合は38%だったが、損をしていた場合は75%だったのである。言い換えれば、予防焦点型の人々は、想定通りに事が進んでいる間は堅実な選択をすることが多いが、現状を回復するために他に選択肢がない場合は、リスクを厭わないということだ。

 したがって、「根拠なき熱狂」という言葉はもしかすると、実態とかけ離れているのかもしれない。リスクを好むトレーダーがウォール街にいるのは確かだし、不況をもたらした原因の一部は彼らにあるだろう。しかし、責任の大半を負うべきは銀行家である。彼らは「熱狂」という印象などほとんど与えないどころか、リスクを忌み嫌うように思われる人種だ。あまりにも嫌いなため、盛んにロビー活動を行って、自分たちのリスクを減らす銀行救済(Too Big to Fail:「大きすぎてつぶせない」)制度をつくったくらいなのだ。

 直感に反することだが、銀行家は、条件さえそろえば最も危険なリスクをも厭わない人々だ。記憶に新しいのはJPモルガン・チェースの「ロンドンのクジラ」、ブルーノ・イクシルである。イクシルは自分の損失を認めようとせず倍賭けに出て、結局は自社に60億ドルを超える損害を与えた。上院の公聴会で明らかにされた電話とメールのやり取りからは、自信過剰というより自暴自棄というべき実態が浮かび上がる。当時イクシルは、チーフ・インベストメント・オフィスの責任者だった。この部署は、リスクが大きい取引をヘッジして銀行を守る役割を担っていた。前述した予防焦点の特性を考えるならば、このことが「皮肉な」結果ではないことがわかる。

 したがって、人に無謀なリスクテイクを思いとどまらせる唯一の方法は、そのリスクが生む深刻な結果を当事者が被るようにすることである。ナシーム・タレブが言うように、当事者にみずからリスクと犠牲を負わせるのだ。当事者が被る結果がリスクそのものよりも深刻でなければ、抑制効果はない。率直に言えば、その方法をもってしても、リスクを好みスリルを求める無謀なトレーダーが消えることはないだろう。しかしもうおわかりのように、本当に気をつけなければならないのはそうした手合いではないのだ。


HBR.ORG原文:The Hidden Danger of Being Risk-Averse July 2, 2013

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