ヤマハの〈VOCALOID〉に見る事後創発性

〈VOCALOID〉は、ヤマハが開発した音声合成技術で、歌詞やメロディーを入力するだけで楽曲のボーカルパートを制作することができる。バーチャルアイドル〈初音ミク〉の歌声を支える技術として知られる。インターネット上のコミュニティを中心に熱狂的なファンを持つ〈初音ミク〉の楽曲や作品は、累計10万点以上に達するという。

 いまやその人気は、仮想世界から現実社会にも波及している。たとえば、ここ数年間のうちに、Zeppダイバーシティ東京や横浜アリーナなど日本国内にとどまらず、シンガポール、台北、香港、上海、ロサンゼルス、パリなど世界各地でライブコンサートが開催され、いずれも満員の盛況ぶりだ。また、カラオケの曲目ランキングの上位を、〈初音ミク〉をはじめとする〈VOCALOID〉シンガーが占めることも珍しくない。

 実は、〈初音ミク〉を展開するのはヤマハではなく、〈VOCALOID〉のライセンシーで、札幌市に拠点をおくクリプトン・フューチャー・メディア(以下、クリプトン)である。

 1995年に伊藤博之氏が創業した同社は、もともと「ビンの音」や「階段の手すりをたたく音」など身の回りの音から、「ヘリコプターの旋回音」や「車が崖から落ちて大破する音」など特殊な効果音をサンプリングし、テープやディスクを媒体として販売する企業であった。インターネットの普及とともに、バーチャルインストゥルメント(仮想楽器)と呼ばれるソフトの輸入・販売を中心事業とするようになった同社は、人間の声を仮想楽器化することができる〈VOCALOID〉に着目するようになる。

 そして、2007年に、ソフトウェア自体をバーチャルシンガーと見立ててキャラクター化した製品シリーズ「キャラクター・ボーカル・シリーズ(CVシリーズ)」として開発したのが〈初音ミク〉である。

 仮想楽器市場は年間1000本売れれば大ヒットとされるが、〈初音ミク〉は発売から1週間で1000本が売れた。その後、瞬く間に、発売から半年間で3万本を売り上げたという。そしてインターネット上には、10万点を超えるといわれる〈初音ミク〉の作品(楽曲やイラスト、ビデオなど)が、クリプトンだけではなく多くの顧客の手によって作成され、ソーシャル・メディアを通じて共有されるようになった。そのプロセスは、伊藤氏自身が「奇跡だ」という驚きの連続であった。

「歌うソフトという技術の先進性に反応した人、ミクのキャラクターに“萌え”たアニメファン…それぞれがそれぞれの理由で初音ミクを手に取り、自分の歌を歌わせ、「ニコニコ動画」に投稿し、無数の聴き手が聴き入って、コメントで盛り上げた。

 質の高い楽曲が何万回、何十万回と再生され、ヒットソングが一夜にして誕生する。初めて作ったつたない曲が、見知らぬ誰かの目に止まり、時に強く心を打つ。コメントに励まされた作家が、また新しい曲を作って発表し、聴き手を喜ばせる。

 曲だけではなかった。ミクのイラストを描いて発表する人、イラストを動かしてアニメにし、楽曲と合わせて公開する人、3D映像を作り、ゲームのように動かす人、同人誌やフィギュアを作る人――全方位の創作が高速回転し、広さと深さを増していった。

『こんなことが世の中に起きていること自体、奇跡だと思った』――同社の伊藤博之社長は言う。『みんなで作って公開するというムーブメント自体が、ありえないほどすばらしく、可能性に満ちている』」
(「初音ミクが開く“創造の扉”」 ITmedia ニュース 2008年2月25日、http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0802/25/news017.html

 個人創作による作品は、当初、「ニコニコ動画」などメディアを介する無断利用が当たり前とされたが、伊藤氏は個人の創作活動をさらに促進するために、作品を安心して持ち寄り、利用し合い、謝意を伝え合う場として、投稿サイト「ピアプロ」(Peer Productionの略)を設置したほか、音楽レーベル「KARENT」(カレント)を創設し、自社の〈VOCALOID〉キャラクターを用いた楽曲の権利処理や販売促進を担うようになった。

 そして、これらクリプトンによる価値共創の場づくりが、さらなる個人創作活動を刺激することになる。これらはすべて〈初音ミク〉市場導入後にクリプトンと顧客側によって事後創発された価値共創である。

 2014年4月には、〈VOCALOID〉の生みの親と称される剣持秀紀氏が率いる、ヤマハのVOCALOIDプロジェクトチームが、〈VOCALOID〉での楽曲制作を支援する会員制クラウドサービス〈ボカロネット〉を発表した。〈ボカロネット〉では、これまで法人向けのみのサービスであった自動作曲サービス「VOCALODUCER」(ボカロデューサー)を利用できたり、〈VOCALOID〉アプリケーション間の連携に役立つクラウド・ストレージ「ボカロストレージ」が活用できるという。

 この〈ボカロネット〉上で具体的にどのような作品が、どの程度、どのように生成されるかも、今後の企業と顧客による事後創発的な価値共創といえる。