1970年代の日本のグローバル・リーダー

――そうしたグローバリゼーションに対応できる人材が日本では育っていません。

 日本はグローバリゼーションの流れとその影響に関する認識に関する限り、米国やEUに大きく後れを取っています。当然グローバリゼーションの展開する先行きの展望を持っている経営者もあまり多くないのでしょう。相互連鎖はますます多層化・多様化して、技術革新がそれに拍車をかけています。日本は周回遅れどころか2周遅れくらいになってしまっているとよくいわれますが、かといってひたすら追いかけるという発想では単なる「問題の裏返し」の答えでしかなく優れた行動につながらない。企業経営者だけでなく、各分野のリーダーの先見性のある行動を組み立てる責務は重大です。

 これまで米国はグローバル化の名の下に、実は世界の「米国化」を進めてきたのではないかと思います。マイクロソフトやアップル、グーグル、フェイスブックがそうだといえます。

 古くは、かつて名門銀行であるチェース・マンハッタン・バンクが、デイビッド・ロックフェラーが頭取を務めた時期に、米軍の世界各地への進出と一緒に拠点を拡大していたのもその一例でしょう。当然、米軍の影響力の縮小と一緒にその「米国化」は終わってしまいました。

 同じころ、日本の大手銀行が何をしていたかといえば、「国際化」と称してカリフォルニア州で買収をしたりしていました。それは振り返ってみると海外での「ローカル化」であったわけですが。

 ところが一方で、グローバルな活躍をした経営者もいます。日本郵船の有吉義弥会長(1965~71年社長、71~78年会長)です。

 今でこそ自由競争の下で解散していますが、当時の海運の世界網は、19世紀後半に英国が作り上げたいくつかの海運同盟(Shipping Conference)により強力にコントロールされていました。これは定期船の航路における海運会社間の国際カルテルで、そのメンバーでなければ商売ができません。それはトップのクラブ組織のような面もありました。当時、この「クラブ」に日本人メンバーとして活躍していたのが有吉会長でした。

 彼は洒脱な英国紳士風の身のこなしや社交術もさることながら、並外れた慧眼の持ち主でした。排他的なクラブで欧米の海運会社トップとスマートに付き合い、片方の目ではコンファレンス破りをしようとする新参者を厳重に見張り、もう片方の目では来るグローバル競争時代を見据えていたのです。

 バルクキャリア(ばら積み貨物船)の時代は終わり巨大なコンテナ船の時代が来るだろう、長くこの世界を支配し続けたclubbyな楽しい同盟の時代も終わりを告げる、そう確信した有吉会長は、コンテナ輸送に適したオペレーション・システムを航路、港湾、陸上輸送まで含めた一気通貫のシステムとして作り上げることを目指します。数十年先を見据えた洞察と、そこへの道筋を描き切る手腕。グローバル時代のリーダーのなすべきこととはこういうことです。

――日本ではいまだに、グローバリゼーションというと「現地に骨を埋めるんだ」といった根性論がいわれたりします。また、海外売上比率をもってグローバル化を論じています。

 IBMの変遷をよく見てください。1990年代に倒れゆく巨象を立て直したルイス・ガースナーが何をしたのか。彼によってすべての組み立てが変えられました。ガースナーが成し遂げようとしたのは、地域にとらわれることなく、世界中の拠点の持つ機能を活用しながら、それらを一気通貫するシステムの構築でした。

 MNC(マルチナショナル・エンタープライズ)、現地化、土着化といっていた時代を超えて、グローバル・エンタープライズを目指していると思います。その場合、どこに本社機能があるのかはあまり重要ではなくなるかもしれません。

 米国の先端企業では、グローバリゼーションはそこまで来ている。戦争もそうです。今は無人戦闘機が飛びます。米国の無人航空機が演じる砂嵐の中の苛酷な戦闘も、実は気候のよい米国の某所のぬくぬくとした部屋で操縦されているかもしれません。

 こうして現地に行く必要もなく、悪くすれば現場のリアリティ感覚を喪失していった先に、どのようにグローバリゼーションの次のステージが展開するのでしょうか。さらなる定義の書き換えが必要になってくるのだと思います。

――有吉会長が見ていた世界を見られるようになるには、どのような能力が必要なのでしょうか。

 まず、課題を設定する能力です。課題が設定できれば、問題の50%は解決したことになると一般にいわれている通りです。ところが日本人は、これまで課題を自分で設定したことがない。誰かに与えられた課題を解決してきた。グローバリゼーションもその一つでしょう。したがって、課題を的確に設定できない。だから何も行動が起こらないか、あるいは間違った方向に向かってしまう。解決は得意なのに、そこへの努力が報われずむしろ悪い結果を招いてしまう。そしてタイミングを失い、いっそう、課題設定が難しくなる。

 この悪循環を断ち切るためにも、次代の日本を担うリーダー人材は、他に先駆けて課題を設定する能力を絶対に身に付けないといけない。目の前の、他から与えられた問題を解決するというような、ある意味では安易なものではないのです。この意味を理解できる人材が、どれほどいるか、大いに疑問です。

 このような課題設定能力の重要さを理解していれば、現在のように、身に付けるべき技能水準のあいまいな自称プロフェッショナルが量産されることはないはずなのですが……。これについてはプロフェッショナリズムの定義と共に、次回詳しく説明しましょう。

(構成・文/田中順子)