何年も前、エモーショナル・インテリジェンス(EI:心の知能)が話題になった時、これで人々は職場でも素直に感情を表現できるようになるだろうと私は思った。EIを学ぶことで他者の感情を理解できるようになり、泣いている人がいれば、間違いを正すのではなく、静かに隣に座って共感できるようになる。自身の成功を喜ぶ時にも、友人であれ敵であれ、他者への共感を失わないように振る舞える――。

 ところが、これは現実にはならなかった。EIは大部分において、感情を分析的に論じるための、あるいはコンピテンシー(能力や適性)のモデルに組み込むための新しい専門用語としてしか扱われなかった。私たちの感情は、理性に縛られたままなのだ。

 私はそんな世界で暮らしたいとは思わないし、おそらくあなたも同様のはずだ。たしかに感情を抑制することで、安定していられるし安心感も得られるだろう。しかし、それは一時的なものだ。長期的に見れば、感情を取り繕って生き続けることで自分が傷つき、人間関係は損なわれ、消耗し病んでしまう。

 だとしたら、ナダルが情熱を露わにしたように、心をさらけ出して生きてみてはどうだろう?

 感情を露わにするのは恐ろしいものだ。無防備になり、恥ずかしく、弱くなったように感じるかもしれない。コートに伏して身を震わせながら泣くナダルを見て、自分の同じような体験を思い出した。ただし状況はまったく違っていた。今年の初め、ある同僚が私にとても腹を立てていた。そして他の同僚たちが同席する前で、私の行動を責め立てた。

 このような状況で私がすべきことは、弁解せずに彼女の言葉を聞くことだ。これは簡単ではなかったが(途中で何度も説明を試みた)、同僚たちは私が口を開こうとするたびに、黙って聞いているようにと穏やかに促した。私がそれに従ったことで、どれほど助かったか後になって教えてくれた。

 私への非難を黙って聞いているうちに、私の体は少しずつ震え始め、やがて周囲からもはっきりわかるほどになった。どうにも抑えられない。彼女から私に向けられたエネルギーと、私の内側から湧き上がるエネルギー、そのすべてを体が溜め込もうとしていた――そんなふうにしか説明できない。やがて堪えられなくなり、私は泣き出した。

 自分がむき出しになったようで、恥ずかしかった。同僚が私を激しく攻撃したからではない。泣いてしまったことが、とてもつらかった。

 しかし同時に、安堵感を覚えたのもたしかだ。もう何も隠さなくていい、という開放感が押し寄せてきた。本来の自分を実感でき、それはとてもよい感覚だった。

 さらに、泣くという体験を経てようやく、同僚の言葉を受け入れることができた。そのすべてに同意したわけではないが、彼女を批判したり間違いを指摘したりせずに受け止めた。これは大事なことに思えた。そして、私の反応は周囲から否定されるだろうと思ったが、結果としてつながりが生まれた。同僚たちは私を支え、慰めてくれた。

 私の涙は失敗から来ていた。一方、ナダルの場合は成功からだ。ここで興味深いのは、失敗の涙も嬉し泣きも、同じような感覚をもたらすことだ。なぜなら両者は本質的には同じだからだ。どちらも、出口を探し求めているエネルギーなのである。

 私たちは本来、感情的な生き物だ。喜びや悲しみ、恐れや怒り、愛情――どんな感情も、その人を成す大きな一部である。

 いまこそ、感情を堂々と称えよう。


HBR.ORG原文:Nadal Is Strong Enough to Cry. Are You? September 11, 2013

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ピーター・ブレグマン(Peter Bregman)
CEOおよびリーダーにアドバイスを行う戦略コンサルタント。最新刊は『最高の人生と仕事をつかむ18分の法則』(日本経済新聞出版社)。