ところで、本連載の第1回目で一兎戦略をとることが望ましい場合を検討したときにも、似たような図を示した。しかし、そのときの図に描かれた価値の生産曲線は、投入資源が増えれば増えるほど、投入資源の増加にともなう価値の増加が大きくなる、つまり逓増的であった。それゆえ、2つの目的を同時に達成すると、2つの価値の合計がもっとも小さくなってしまうことを明らかにした(図2参照)。

 では、価値の生産曲線が逓減的である場合はどうなるのであろうか。同様に、異なる2つの価値の生産曲線を合成してみよう。すると、2つの目的を同時に追求すると、2つの価値の合計がもっとも大きくなることがわかる。つまり、2つの目的(価値)はトレードオフではなくなるので、二兎戦略が有効になると考えられるのである。(図3参照)

 では、価値の生産が逓減するのは、どのような場合であろうか。ちょっと抽象的に言えば、次のようなことが考えられる。ある価値を高めるためにいくつもの可能性(余地)があるとき、企業はまず、もっとも有望な(価値をもっとも大きく増やす)方法を試すであろう。それがうまくいけば、次に有望な方法、その次に有望な方法と、期待される価値の増分が大きい順に、可能性を試していく。したがって、資源投入を続けていくにつれて、それほど有望でない方法も試されるようになり、価値の増分は減少していく。さらに資源投入を続けると、もはや有望な可能性は試し尽くされ、ほとんど価値が増えなくなる。ゆえに、一兎戦略をとって1つの目的(価値)を追求していけばいくほど、価値の生産性は低下し、価値の生産曲線は逓減的になるのである。

 少し抽象的で分かりにくいので、再び小売業の例を挙げよう。小売業でよく考えられるもう1つのトレードオフに、在庫(コスト)と機会ロス(売上)がある。機会ロスを少なくして売上を増大させるためには、在庫を十分に抱えた方が良い。しかし、それでは在庫コストがかさみ、利益が低下する。

 このトレードオフを解消するプロセスは、E. ゴールドラットによる『ザ・クリスタルボール』(注3)において興味深く描かれている。『ザ・クリスタルボール』は、タオルやテーブルクロスなどの家庭用繊維製品の小売りチェーンのある店舗での話である。その店舗では、他と同様に売上と在庫の対立に悩んでいた。偶然、水漏れで店舗に併設されている倉庫が使えなくなったため、多くの在庫を地域倉庫に戻し、売れた分だけ納品してもらうようにした。その結果、在庫は減ったが、売上は減るどころか伸び、利益も急増した。なぜなら、死に筋をカットし、売れ筋を見極め、売れた分だけ小ロット多頻度に補充することができたからであった。さらに、従来は、売れ筋商品でも、注文がある程度大きなロットにまとまらないと店舗には配送されなかった。そのため、常に品切れ状態なものがたくさんあった。しかし、水漏れ事故で店舗に配送するロットが小さくなったために、地域倉庫に中途半端な数量で残っている商品も店舗に届けられるようになった。その結果、機会ロスを小さくすることができたことも売上増に貢献した。