真のパイオニア

 物理的・化学的な脳の中に、どのようにして感情が生まれるのか。

 神経科学者に聞いても果々しい解答の得られなかった疑問に、正面から取り組んだのがパンクセップ教授である。Invisible Hand(「見えざる手」)を見ようとした岩井先生と同じく、まさにパイオニアである。そして彼は本当のパイオニアであるからこそ、その研究は長く守旧派からは黙殺をされた。それでも40年の間、コツコツと研究を行い、論文を発表し続けた。

 98年に”Affective Neuroscience”を発表。同年に、彼がネズミをくすぐり、笑わせる映像をBBCが放送したことをきっかけに、世間的にも知られるようになった。現在では、鬱病の治療にその研究成果が活かされ、まったく新しい薬・治療法の開発が進んでいる。

 それでも彼の研究が学会から省みられることは、その業績に比べると未だ遅々としたものと言わざるをえない。その理由は、感情を脳科学的に明らかにした彼の手法が、西洋のアカデミズムからは受け入れ難いものだからである。

「Taking the emotional feelings of animals seriously may yield more rapid understanding of human emotions(動物の感情を真剣に研究することが、人間の感情を理解する近道かもしれない)」

 この一文は彼がシアトルで行ったTEDの結論部の言葉である。彼らしくmayと言っているが、彼の積み上げられた成果から言えばmustと言ってもよい。彼は「動物はわれわれと同じ感情を持つ」という仮定に立って、動物の感情についての研究を行った。

 動物は人間が持っているのと同じ感情を持つ。これは神の似姿として、人間を特別視する西洋では、信条的に受け入れ難い仮定である。身体の他の器官については動物実験を行う彼らも、感情を生み出す器官については動物から学ぼうとはしない。 

 また、主観的(subjective)に感じるものである感情を、客観的な(objective)科学の領域で扱うことへのアレルギーも大きい。ラットの脳に電流を流しながら、「いま、どんな感じか?」と聞いても、答えるべき言葉を持たぬ以上、なおさら客観的には扱い得ないように思われる。そもそも、感情とは”pre-verbal”なもの、”pre-symbolic”なものである。そのため、言葉を持つ人間であっても、感情を客観的に扱うのは難しい。学界では、感情をブラック・ボックスに入れ、刺激に対する行動を観察する「行動主義」が長年幅を利かせてきた。