ヤーク・パンクセップ

 感情の脳科学の導き手として、彼の不思議な名を聞いたのは、岩井克人先生との2時間の対話の最後であった。私は先生に問うた。

「消費者の頭の中に、物語として企業の顔を伝える場合、記憶をどのように構築していくべきでしょうか。ヒュームは『類似』『近接』『因果』、その3つが頭の中の観念同士の引力だと言っています(注1)。ヒュームの他に参照すべきものがあるでしょうか」

 先生は、少し間を空けてから、こう仰った。

「わたしは最近脳科学ばかり読んでいるんです。前にやったことをまとめて書こうと思って、脳科学を勉強して、最終的に脳科学に還元できないことが経済学だということが言いたいのです」

 先生の著作の中には、生物学に触れたものは多い。生物としてのヒトを社会的な人たらしめるものとして、遺伝子に還元されない「貨幣・法・言語」を考えてこられた(注2)。ただ、近年、本格的に脳科学を勉強されているとは存じ上げなかった。

「つい最近非常に面白かったのが。もう70歳くらいの爺さんなんだけど、リトアニア出身のヤーク・パンクセップ(Jaak Panksepp)っていう不思議な名前の人です。この人が”The Archaeology of Mind”という、「心の考古学」っていう本を出している。彼は人間と動物っていうのは、感情の部分であまり変わらないと言う。彼のYouTubeをいくつか見ているんですが。面白かったのは、ネズミをくすぐるとネズミが笑うっていうのがあるんです。本当に笑うわけ。

 彼は人間も動物も共通に、7つの基本的な感情があると言う(注3)

 パンクセップ教授の「7つの感情回路」とは、SEEKING(ワクワク)、RAGE(怒り)、FEAR(恐怖)、LUST(性欲)、そして哺乳類共通のCARE(慈しみ)、GRIEF(寂しさ)、PLAY(楽しみ)の7つである(次回詳説)。

「この7つの基本的な感情がある、システムがある。これは人間も動物も共通。人間の理性の部分じゃなくて感情の部分、ここがこれからのね、何か物語を作る時の基本の柱として使えるかもしれないね」

 物語論の歴史はギリシア・ローマの頃より古い。ただ、そこにあるのは、アリストテレスなど天才による洞察と、長年の経験則である。ただ、もし人間の感情が科学的に分かるとしたらどうか。情報とイメージの氾濫する世界で、企業の伝えるべき物語を、消費者に鮮明に記憶させられるかもしれない。熱狂(マニア)をもたらす「新しい価値」とは何かが分かるかもしれない。

 筆者の疑問にも気さくに応じてくださった、感情の国でのヨーダとも言うべき、パンクセップ教授の理論を紹介しよう。