「アップルやソニーなど、昔はある面で消費者に対してわざと会社の顔を見せていた。製品を単に買うのではなく、アップルというロゴを見せて、アップルという法人格だけど人格を見せることによって、人格と交換するという形をうまく入れたところが、それで成功している」

 ただ、ウェブが世界を絡め取り、情報の伝達が容易であるのだから、企業の顔は自ずと消費者に知れるのではないか。実際に取引を行ったご近所さんのレビュー情報さえ手に入るのが現在である。情報が増えれば増えるほど効率的な交換が可能となる世界、経済学でいうアダム・スミスの世界ならば話は簡単である。企業は安心して、技術を磨き、商品のファンダメンタルな価値を高めればよい。十分な情報をもとに、顧客が自ずからその会社を、その商品を選んでくれるだろう。

欲しいものが買えない

 もちろん、現実は真逆である。情報が増えれば増えるほど、合理的であればあるほど、実際の価値から遠ざかる世界。「ケインズの美人投票」(注1)の世界が、情報の増大にしたがって現前している。

「口コミ・ランキングNo.1」、「○秒にひとつ売れる商品」。このような広告は、美人投票マーケティングとも呼び得るものである。「みなが良いと言っているから良い」の中には、それを根拠立てるような本質的な機能との連関は少ない。

 あなたが平均の星を数え、レビューを参考にしたように、そのレビューの書き手もまた他のレビューを参考にした。なぜその商品を買ったのか、それはみなが良いと言うからであり、ではなぜみなが良いと言うのかと言えば、それもやはりみなが良いと言っているからに過ぎない。ここで注意すべきは、機能差に基づく実際の使用感は、現代の美人投票マーケティングにおいては、副次的な意味しかもたないことである。なぜなら、機能差は簡単に真似される。また、個別の使用実感はあくまでも他人のものでしかなく、自身に引き比べるにも限度がある。あくまで主要な情報は、平均として「みなが良いと言っている」ことである。

 私たちはウェブを介して限りないほどの選択肢を前にしている。参考にすべき情報も溢れる。ただ、すべての情報を取捨選択してから断を下すほど、すべての商品が人生にとって重要なわけではない。コモディティであれば価格だけがシグナルともなるが、そうでないものについては、何を頼りに選べば良いのか。信頼できる権威がいればよいが、商品毎に「茶金」を求めるのは無茶である。そこで頼りにすべきレビューも、ケインズの美人投票の原理で、その本来の価値からは乖離したものになってしまう。部屋の中のレビューを参考にして買った商品を見てみるとよい。レビューを読んだ通りの予定調和はあっただろう。ただ、本当にそれはあなたが欲したものなのか。私たちは、寄る辺なき無限の選択肢を前に、腕組みするほかない。