とにかく損はしたくない!――損失回避

 人間は、損失を確定してしまうのを恐れ、それを避けようとする。これは、意思決定のあり方にも影響を及ぼす。リファレンス・ポイントに対して損失局面にいるのかどうかを把握することは、とても重要である。

◆損失の悲しみは利益の喜びよりも大きい
 プロスペクト理論では、損失局面にある状況の方が、評価益を出している状況に比べてリスク許容度が高まることが知られている。これは、投資家はプラスの利益に直面すると急いで売却して利益を確定させてしまおうとする側面を持っていることを示している。

 前出の図1、価値関数の「勾配(グラフの傾き)の変化」に着目してほしい。利益が出ている状況では損失局面に比べていち早く感応度の逓減が表れている。これは、投資家が利益に対して早急な確定を行ってしまうことを示している。

 また、前述の通り、同額の損失と利益に対して私たちが感じる心理的ストレスは、損失の方が相対的に大きなインパクトをもたらすことが示されている。そして、損失で自己資金を目減りさせてしまうことに大きな悲しみを感じるのは誰しも同じだろう。

 一方、利益の評価に関しては多くの場合、投資家は上昇した水準から再び価格が下落して、損失を抱える局面に陥ってしまうことを嫌う傾向にある。このために、利益の確定タイミングが早くなる傾向にあると考えられる。保有している金融商品を売却すること以外で、将来に対する不確実性から逃れることはできないとはいえ、この行動は将来的な価格上昇の(すなわち儲けの)可能性も排除してしまうことになるのだが、それでも人は損失を避けたがる存在なのだ。

 また、損失局面では実現損(保有金融商品を売却して損失を確定すること)が発生することを嫌うがゆえに、損切りすることをためらいがちになる。もちろん、自分自身の見方は絶対的に正しく、株価はこんなに低い状態で収まっているはずがないという思い込みのもとにポジション(注1)をキープしてしまう場合もある。

◆利益、損失とリスク許容度の関係
 プロスペクト理論では、損失局面において投資家はよりリスク愛好的になる。これは、損を抱えた状況からなんとか脱したいのだけれども、実現損を出してしまうことを恐れるがあまりに動こうにも動けないという投資家心理を表現しているといえるだろう。

 利益をいかに拡大させることができるのか、あるいは損失幅をいかに小さく抑えることができるのかという問題は、投資において永遠の課題である。リスク管理の理論も、過剰なリスクをとりすぎていないか、意図せざるリスクを抱え込んでいないかということを分析する上で重要な視座となる。こうした点が重要であることに異論の余地はない。

 ただ、重要なのは、いかにシンプルにわかりやすくその時々の状況を把握していけるかという点だ。人間心理は、リファレンス・ポイントの移動に伴って、リスク許容度が急に上昇したり落ち込んだりと、必ずしも論理性のない伸縮を示す可能性を持っている。さらには、今後の経済全体が上向きなのか、下向きなのかという根本的なベクトルを把握し、状況の変化に伴う心理状況の変化を想定することも重要である。特に個人投資家が運用を行う場合、その資金は将来への準備資金であるケースが多く、余裕資金のみを運用に回しているというケースは少ない。この点で、利食い、損切りのタイミングを入念に考えておく必要性は高い。

 プロスペクト理論にある利益・損失の各局面でのリスクに対する反応の変化と、利益の確定、損失の実現という行動を起こすタイミングの問題は、リスクリターンの点からも見逃すことはできない。過剰にリスクを取っている場合、不確実性も高くなってしまう。このために、拙速な意思決定を行うリスクも高まる。投資を含めた経済活動全般において、資金を投下する対象が内包するリスクと、リファレンス・ポイントの移動に伴う経済主体自身の意思決定の根拠の不安定さというリスクを確認する重要性は高い。

(つづく)

【注】
(1)ポジション(ファイナンス用語としての意味):運用者がリターンを獲得するために、どれだけの株式、債券、為替などの金融商品を購入しているかを、ファイナンスの現場では総じてポジションと呼ぶ。

 

【書籍のご案内】
行動経済学入門
基礎から応用までまるわかり
人の不合理な行動に注目する「行動経済学」。類書ではその読み物としての「面白さ」ばかりが強調されているが、その実際のところはどうなの?、という疑問に答えるべく編まれた、最強のガイドブック! 今話題の神経経済学にも踏み込んだ、とにかく「網羅的」で「実践的」な行動経済学の本。

46判並製、310頁、定価(本体1800円+税)
ご購入はこちら
Amazon.co.jp] [紀伊國屋書店BookWeb] [楽天ブックス


[目次]
第1章 「心」と出会った経済学──行動経済学は何を変えたのか?
1 経済学は、「どこで」現実に気がついたのか?
2 行動経済学で「何が」できるのか?
3 不合理な意思決定の源は脳にあり!──神経経済学入門

第2章 なぜ合理的に決められないのか?──損失を恐れてダマされる心
1 「プロスペクト理論」──人間の「価値」の測り方を理論化する
2 認知的不協和──「明らかにおかしな選択肢」はなぜ選ばれるのか?
3 心理勘定──心の会計処理は矛盾だらけ
4 フレーミング効果とコントロール願望──私たちの決断は、なぜかくも「もろい」のか?

第3章 直感はどこまで当てになるのか?──何度も同じワナにハマる心
1 ヒューリスティック──勘を信用しすぎる人間たち
2 初頭効果と代表性バイアス──情報の受け取り方ですべてが変わる
3 私たちは、自ら進んで確率にだまされる

4章 行動経済学はどこまで応用できるのか?──市場分析から政策提言まで
1 市場のダイナミクスを行動経済学で解く!
2 ケースで学ぶ、行動ファイナンスとその応用
3 デフレは止められるのか?──政策実行のツールとしての行動経済学