2つの論点から導かれる結論

 では、改めて質問させてもらいたい。力とは、他人から与えられるものなのだろうか。よい学校でトップの成績を取り、職場ではよい肩書きと職位を得ることなのだろうか。望ましい国で、望ましい両親のもとに、望ましい性別で生まれることなのだろうか。組織図のトップにいればより力があり、一番下にいたら力がないということだろうか。社外の仕事を行うことは、力にどう関係するのだろうか。

 それとも力とは、個々人がみずから示すものなのだろうか。自身の目的を認識し、それを創造活動に反映することで、世界における自分の存在を規定する、という方法によって。

 力はこれまで、他者をコントロールする方法として定義されてきた。お金を払って何かをさせる、あるいは資源を分け与え行動を指示するなどである。この見方においては、力を持つ者と持たざる者が存在する。勝者と敗者の構図だ。

 しかしソーシャル時代には、「他者とともに創造する行為」によっても力が生じることが明らかとなった。この場合の力とは、個人が他者にどのような影響を及ぼせるかである。つまり私が「オンリネス」(onlyness)と呼ぶ、各人に固有の何かを基に貢献することだ。みずからの役割を認識した時、人はそれぞれに可能な何かを創造し貢献する力を持つ。

 つまり、力と影響力の性質は変化しているのだと、私は考えている。具体的には次の2点である。

1.力は解放されている。かつて力とは、物事を成し遂げるための権力であり、影響力はそれに付随する手段であった。しかし今日における力は、人々のつながり、コミュニティ、共有されたアイデアからも生まれる。それによって、物事を達成する新たな手段が提供されるようになった。それはオープンソースのソフトウェアであり、不特定多数の人々が作成する百科事典であり、インターネットのポータルサイトから育まれる革命である。また、それはキックスターターや、ミートアップ(Meetup:趣味や仕事関連のグループをつくり、集まりを開くためのサイト)や、ウシャヒディなど、ばらばらに分散した見知らぬ人どうしが影響力を集結できるようなプラットフォームである。そうした力は、かつては中央集権化された組織しか集められなかったものだ。従来の分類であるハードパワー/ソフトパワーとは異なる。ネットワーク化された、熱意による力なのだ。

2.力が外部から(他者の意見や地位に基づいて)与えられた場合、その力は同じように取り上げられる可能性もある。しかし、みずからに力を与えれば、それは誰にも取り上げられることがない。この場合の力とは、自分が世界にどう貢献できるかを理解することで得られるものだ。

 従来の定義が示す力とは相対的なものであり、持てるかどうかは状況によって変わり、限られた人しか手にできない。ソーシャル時代には、力についてよりたしかな真実が明らかとなった。それは次の通りである。

 力(権力)があなたを規定するのではない。あなたが力を規定する。

 力を従来の限定的な方法で定義すると、損失が生じる。そのような定義を続けたら、同じ場所にとどまることになる。周りをよく見てみよう。私たちがこれまで用いてきた力の定義が機能しないことを示す、多くの証拠がある。力という概念について考え直すことは、私たちの生活、組織、そして経済の今後にとって重要となるだろう。


HBR.ORG原文:Just How Powerful Are You? April 30, 2012

 

ニロファー・マーチャント(Nilofer Merchant)
スタンフォード大学講師。これまでに100を超える製品を立ち上げ、その総売上は180億ドルを超える。アップル、オートデスク、ゴーライブ/アドビといった優良企業での経験を持つ。協働型リーダーシップの専門家であり、著書に11 Rules for Creating Value in the Social Era (HBR Press、2012年)などがある。