アップル復活の真相

 この成功に勢いを得たアップルは、iPod mini、iPod nano、iPod shuffleと矢継ぎ早にバージョン・アップし、iPodを進化させていきました。さらには操作性に優れたiPhoneの投入で、高機能競争に明け暮れていた携帯電話市場にも旋風を巻き起こしました。スマート・リーン戦略は、今やアップルの勝ちパターンとして、すっかり定着した感があります。

 ここで興味深いことは、かつてのアップルは、実は決してスマート・リーンな会社ではなかったということです。

 たとえば、パソコン黎明期に登場した「マッキントッシュ」。当時もその操作性の高さには定評がありましたが、自社開発、自社生産にこだわったため、コストも高く、進化のスピードも遅い一部のユーザーに熱狂的に支持されるだけの製品でした。結局、「ウィンテル」陣営が水平分業でまたたく間にデファクト・スタンダードの座を手にしたのに対して、マッキントッシュはニッチな立ち位置に追い込まれたのです。スマートであってもリーンではなかった典型例でした。

 さらには、1993年に鳴り物入りで登場した「ニュートン」。どこにでも持ち出せて、ペンで簡単に入力できる携帯情報端末 (PDA)というコンセプトは、アップルらしい斬新なものでした。しかし実際には、アプリケーションの操作性が悪く、持ち出そうにも大きすぎて壊れやすかったため、市場の大きな失望を買う羽目となったのです。スマートでもなくリーンでもなかったことによる失敗です。

 1998年にCEOに復帰したスティーブ・ジョブズは、赤字を垂れ流し続けていたニュートンの生産を中止する一方で、iPodの開発に着手しました。このアップル創設者の復帰が、同社復活の契機となったことは間違いなさそうです。しかし、それをジョブズのリーダーとしてのカリスマ性だけに帰着させるのはいささか表層的でしょう。

 ジョブズはいかにして、短期間にアップルを変えたのか。そのメカニズムの詳細は第5章で検証しますが、ここでは、大きく次の2点に注目したいところです。

 ジョブズはまず、「ユーザーインターフェースにこだわり抜く」というアップルの原点に回帰することに専念したのです。そのために、元アップル社員やMacユーザーなど、同社の本質的な強みを理解している人材を呼び戻し、社内外のリソースをiPodなどの重要プロジェクトに結集しました。マッキントッシュ以来、アップルの強い遺伝子(DNA)であったはずのスマート軸を徹底することによって、アップル独自の勝ちパターンを蘇らせたのです。

 一方で、マッキントッシュでの苦い経験を踏まえ、開発と生産は外部ベンダーに大幅に委託する方向に舵を切りました。しかしこのときも、理想のインターフェースが実現できるよう妥協をゆるさず、ベンダーに対しては何度もプロトタイプを突き返しました。さらに、「ハードからソフトまで含めたシステムとしての完成度を高める」という統合力を自らが握ることにもこだわったのです。このように、悪しきDNAであった自前主義とは訣別しつつ、自社らしさを貫くうえで必要不可欠な要件だけは押さえることによって、アップルならではのリーンな構造をつくり上げました。

 このように、アップル復活の真相は、自社のよきDNAを呼び覚まし、悪しきDNAを組み換えることによって、スマート・リーン経営に移行したことです。日本企業がスマート・リーン経営への変革を目指すうえで、アップルの復活劇から学ぶことは少なくないはずです。