独走するiPod

 一方、欧米のような成熟市場においても、スマート・リーンによって潜在的な需要を掘り起こすことが可能です。その代表例として、アップルの携帯型音楽プレーヤー「iPod」のケースが挙げられます(図1)。

 ソニーのウォークマンによって開拓された携帯型音楽プレーヤー市場は、記憶媒体の技術革新をベースとした商品カテゴリー間の競争が繰り返されてきました。カセットからCD、そしてMDへといった具合です。しかし、先進国における市場規模は、1990年代半ばに頭打ちとなりました。新しい記憶媒体を搭載しただけでは、買い替え需要以上の市場を生み出すパワーを持ちえなかったのです。

 ところが、2001年の11月にiPodが日米欧で同時発売されると、市場は突然眠りから覚めたように、急成長をみせます。この時期、ハードディスク(HD)やフラッシュメモリを搭載し、ネットワークとの接続性も高いデジタルオーディオプレーヤーを世に送ったのは、アップルだけではありません。それにもかかわらず、その後5年間で、爆発的に成長した世界市場の3分の2のシェアをiPodが占めるという完全な独走状態をつくり上げました。その圧勝の秘密はどこにあったのでしょうか。

 ソニーはアップルに先行して、「ネットワークウォークマン」を開発していました。HDやフラッシュメモリを搭載することにより、小型化や高音質化を訴求することが狙いでした。同様に東芝も、HDによる大容量化と電池時間の長さを訴求点とした「ギガビート」を販売していました。いずれも、媒体技術の進化によるサイズや音質を軸とした、これまでと同質な価値競争を繰り広げていたのです。

 これら先行企業を尻目にアップルは、iPodを世に送り出す際に「自分の音楽ライブラリをすべて持ち運べる」という、まったく異質な体験価値を高らかに掲げました。そして、そのような体験価値に沿うように、心地よく簡潔な操作性とファッション性に徹底的にこだわったのです。また、インターネット上のiTunes Music Storeを通じて幅広い音源を提供し、iTunesというソフトによってパソコン上でのストレスフリーな編集やダウンロードを可能にするなど、生態系全体にわたってiPodの利用環境を整備していきました。これらの工夫の結果、これまでとはまったく異なった商品カテゴリーが登場したような、強烈なインパクトを市場に与えることに成功したのです。

 一方、コスト軸でも、アップルは他社とは完全に一線を画した戦略を打ち出しました。ソニーや東芝がコア部品の自社開発にこだわったのに対して、アップルはHDは東芝に、バッテリーはソニーにといったように、外部の最強の供給者を起用しました。最終製品の生産も、ソニーや東芝が自社生産にこだわったのに対して、アップルは台湾のEMSメーカーに生産委託しました。その結果、規模の経済とスピードを犠牲にすることなく、極めて強靭かつ柔軟なバリューチェーンをつくり上げることに成功したのです。

 このように、アップルは、まったく異質な体験価値(スマート)を低コスト構造(リーン)で提供するという、スマート・リーンの王道を貫き通すことによって、眠っていた成熟市場に大きな風穴をあけることができたのです。