この地区の人たちが必要な物資を得ているとは、にわかに信じられなかった。それなのに私たちは、物資を車に積んでいながら、それを渡すための配給所にたどり着けないのだ。

 この時、私は問題に気づいた。救援物資の配給に際して行われた一連の調整・手配は、非常に有益なものだった――ある段階までは。必要とされる物資が車に積まれ、必要とされている場所へと私たちは回された。ところが、いまはどうだ? 調整そのものが支援の妨げになっている。

 この気づきがどれほど大きなものだったかは、言葉ではうまく説明できない。しかし、これに気づいたことで私は、いわば雇われの身から起業家になった。指示どおりに行動するのをやめ、この目で見て必要だと感じたことを始めた。

 私たちは、大勢の人が自宅のガレキを片づけている所へ車を進めた。そしてマイクとケリーに出会う。彼らが改装したばかりの地下室には天井まで水が入り込み、2台の車を水没・全壊させていた。彼らの息子はホコリのために喘息の発作を3度起こし、ウェストチェスターの祖母の所へ避難したという。

「ええ、物資を頂ければ助かります。自分たちも、この辺の人たちも」と2人は答えた。マイクが近所の人に物資を配ってくれると言うので、私たちはマイクの家の前に車を停め、手分けして物資を降ろした。

 マイクとケリーは、ハリケーンに襲われた夜のことを話してくれた。水が地下室に流れ込んできた時の轟音が、すごかったという。ケリーは私の娘たちに、海と湾について――海水がどんなふうに両側からやってきて、すべてを流してしまったのか――を教えてくれた。近所の人たちと食べ物を分け合い、力を合わせてガレキを片づけていることも話してくれた。そしてハロウィーンの残りのキャンディーを、娘たちにたくさんくれた――私が許すよりはるかに多く。

 マイクとケリーを見舞った惨事と、それに立ち向かう彼らの勇気について聞きながら、私は思った。この素晴らしい機会を得られたのは、組織的な活動が破綻しているおかげでもあるのだ。

 ボランティア組織による調整がなければ、私がミニバンに物資を詰め込んでファーロッカウェイに来ることはなかっただろう。しかし、それが全部スムーズに運んでいたなら、物資を誰が受け取るかも知らずに配給所に降ろしていただろう。マイクやケリーと会うこともなく、彼らの話を聞くこともなかったはずだ。彼らも決して私たちに会うことはなく、自分たちの経験を私たちに語ることもなかっただろう。