利益動機

 本書の研究が基礎としている仮定は、単純に、投資の決定は利益の機会によって導かれると仮定できれば、企業の成長は最もうまく説明できる、言い換えれば、企業は利益を追求しているというものである。しかし、そこで、さらなる問いが生まれる。すなわち、なぜ企業は、あるいはより正確には企業の経営者は、常により多くの利益を求めるのだろうか。「利益動機」はそれが個人に適用される場合、所得や富の増加は個人にとって、正当に獲得できるものの獲得に彼を駆り立てるような効果をもつという心理学的な仮定に基礎をおくのが普通である。企業の利益は、それらが個々人の所得として支払われるのでない限り、このような効果を個々人には与えない。このことから、企業は所有者に配当を支払うために利益に関心をもつと結論づけられることが多い。確かに、企業の評価、また特に、将来の資金源としての投資家に対する企業の魅力を維持するために、何がしかの配当は支払われなければならないが、かりに所有者たちがそれを強制する立場にないとすれば、企業はそれ以上の配当を支払おうとする理由があるだろうか。

 今日のほとんどすべての大企業は、「経営者支配」として分類されるのが適切である。すなわち、(規模に関して一般に受容されたいかなる基準に照らしても)大規模化した企業の多くは、所有者の持ち分が広く分散しているか、または、業務運営に対する所有者のコントロールが、現実には経営者の形成する官僚機構によって実質的に制限される規模に達している。俸給経営者は、既存の株主が大挙して不満を述べないようにするため、必要になるかもしれない追加的資本を引きつけるため、また、良好な投資対象としての自社の評価を構築もしくは維持するために必要な水準以上に配当を支払ったところで、得るものはほとんどあるいはまったくない。それどころか、企業内に資金を留保して再投資できるとすれば、経営者はその方がはるかに得るところが大きい。それによって経営者個々人は、名声や企業の順調な成長に対する個人的な満足、より大きな責任とより高い報酬の地位、野心と能力を活かすより広い機会を得るのである。この観点に立てば、配当は、投資家を満足させるのに必要な水準にとどめておくべき一つのコストとみなされる。資本の提供者は、労働サービスの提供者と同様、時には高額で報いられなければならないが、彼らにできる限り多く報いたいという願望は、現代企業の行動のもっともらしい説明にはならない。オーナー経営者でさえ、彼らが企業から引き出せる所得よりも、企業の成長により大きな関心をもっているように思えることが多い。小規模事業経営者は、しばしば自分自身と企業を同一視しがちで、企業をライフワークとして、また、誇りをもってそれを指さし、かつ、そのすべてを子供に引き渡すことのできる建造物として考える傾向がある。このために彼らは、利益を社外に出すより社内に再投資することを好み、自らの個人的な消費のためにはほんとうにささやかな利益しか引き出さないことが多い。

 したがって、一般に企業の財務や投資に関わる決定は、長期の利益を増大させたいという願望によってコントロールされていると仮定することは理に適っているだろう。利益の合計は、投資に対する限界利益「率」がどうであれ、正のリターンをもたらす投資を行うたびに増大するだろう。そして企業は、有利と考える拡大の機会を活かすため、できるだけ早く拡大しようとするだろう。この仮定にもとづけば、企業には再投資のためにできるだけ多くの利益を企業内部に留保しておこうとする明らかな傾向があると考えられる。また、有利に活用されていない資金は、さらなる株式資本を引きつけるためにより高い配当が必要とされない限り、配当を上げるために用いられるのではなく、投資されるものと考えられる。言い換えれば、利益は、企業自らのために、そして、拡張を通じてより多くの利益を上げるために求められるだろう。このように有り体に表現した命題は、人によっては極端でほとんど非合理的な行動を意味するように思えるかもしれない。しかし、私にとっては、さまざまな仮定のなかで最も妥当なものである。