「規模」に対する限界

 均衡条件の分析は、前述のように定義された個々の「企業」の生産量の無制限な拡大を妨げる何かが存在することを必要とする。「純粋」競争下の企業のモデルでは、生産量の限界は、個々の製品の生産費用はある点を超えると生産量が追加されるにつれて増大するはずだという仮定のなかにのみ見出される。「独占的」競争下の企業のモデルでは、製品の販売量の追加にともなう収益の低下に、その限界が部分的に見出される。ある製品の生産量に対するこのような限界──それは、この文脈では、企業の規模に対する限界を意味する──がなければ、静態的理論のなかに明確な「均衡点」を仮定することはできない。

 このように、それぞれの理論の独自の枠組みを無視して、経済学者たちは、マネジメント上の限界(長期の生産費用増大の原因となる)、あるいは市場の限界(販売収益減少の原因となる)、あるいは将来の見込みに関する不確実性(リスクに対する許容値の設定の必要性ゆえに、生産量増加にともなう費用増大および販売増加にともなう収益減少の原因となる)が、企業の規模に限界を設けると考えてきた。

 この問題全体が多くの論争のもととなっており、とりわけ管理の不経済は長期的にコスト増大をもたらすのかという問題は議論を呼んできた。このような結論を出すためには、経営陣は1つの「固定的要素」として扱われなければならないし、この「固定性」の性質は、「調整」という経営者の仕事の性質と関連づけて定義されなければならない。この定義はこれまで満足に行われていないし、多くの理論家は、規模に対するその他の限界に頼ることを選び、この作業を放棄してきた。

 市場が企業の規模を制限するという考え方は、企業はある製品に拘束されている、すなわち、特定のひと固まりの市場が企業の拡張の可能性を支配している、という仮定から導かれている。しかしながら、かりにこの仮定がはずされれば、異なる「企業」概念を扱うことになり、異なるタイプの分析の方がふさわしいことになる。異なる企業概念をもてば、「企業」は、適切な資源が利用可能であるとき、需要が見出されたりつくり出されたりするものは何でも生産しうるということがわかる。そして、企業の拡張を制限する事情として、「市場」について語るか、それとも企業自らの資源について語るかは、好みや便宜上の問題になる。ある製品の需要曲線が下に傾くと仮定されるということは、追加的投資単位からの期待純収益が必ず負になることを意味するのではない。純収益は、投資の増大、したがって、総生産量の増大にともなって十分上昇していく可能性がある。不特定の新製品を生産できる企業の拡張が「需要」によって制限されるということは、この企業が有利に生産できる製品は何もないということと同じである。これはもちろん企業の理論が言わんとするところではない。それは単に、企業の理論の「企業」は、企業ではないからである。

 規模に対する限界として「不確実性」や「リスク」を取り上げることは、企業の期待費用や期待収益の計算は、将来に対する企業の期待を反映しているという事実を強調するだけのことである。このような期待には、生産量の増加とともに増大する(このため、損失のリスクも増大する)さまざまな大きさの不確実性が織り込まれている。また、企業の計算においては、予想がはずれる可能性が考慮されていなければならない。このことは、決して分析の本質を変えることはない。