現実の企業行動の多様性を研究している経済学者と同じように、教養ある一般の人々も、「企業の理論」に対して明らかなもどかしさを感じている。というのはこの理論のなかに、彼らが思い描く企業の現実を反映したものをほとんど見出せないからである。それゆえ、本書の最初に、「企業の理論」における「企業」の性質について議論し、なぜそれが企業成長の理論にふさわしくない枠組みなのかを示し、しかしまた同時に、彼らと違う庭を耕している限り、われわれは価格と生産の理論の一部としての「企業」の理論に関わるいかなる論争にも関与しないことを明確にするために、多少の手間をかける価値はある。異なる文脈のなかで「企業」という言葉が用いられるときに、それが常に同じものを意味するという不注意な仮定から、多くの混乱が生じるのである。

価格と生産の理論における「企業」

 文献のなかで「企業の理論」と呼ばれている理論は、価格および異なる用途への資源配分がいかにして決まるかという経済分析の中心的問題の1つに関する理論的考察を支えるために構築された。企業の理論は、より広範な価値論の一部分にすぎず、実際その支柱の1つである。そしてその生命力は、価格決定と資源配分の問題を経済的に分析するための高度に発達した、今なお基本的には受け入れられている理論体系との関係にほぼ完全に依存している。このことから、企業行動のうち、このより広範な理論が解こうとする問題にとって意義があると考えられる側面だけが考察されるのである。

 価値論は特定の製品やサービスの価格を決定する諸要因に関わるものである。そのため、「企業」の適切なモデルとは、個々の企業で生産される特定製品の価格や量を決定する要因を表すモデルであり、「企業」の「均衡」とは、本質的には、企業の観点からみたある製品(あるいはある製品グループ)についての「均衡生産量」である。かりに企業が何か他の方法で表されるか、あるいは価格と生産量の理論で認められているもの以外の何か別の事情が企業に影響しているとすれば、それは企業の「均衡」とはいわない。したがって、われわれが企業の他の側面に興味をもつようになれば、「企業の理論」が答えようとしていない質問をしていることになる。企業の理論においては、企業の「成長」とはある製品の生産量の増大以外の何ものでもないし、企業の「最適規模」とはある製品の平均費用曲線の最低点なのである。何が企業の規模を制限するかという問題は、「企業」を表現する際に用いられる費用と収益の組み合わせを表示する図式が適用される、ある製品や製品群の生産量を制限するものは何かという問題なのである。このモデルは、成長にともなって製品の種類を自由に変えられるような「企業」の分析のためにデザインされたものではない。