たとえば、あなたの会社の誰かが解雇されるとしよう。あなたは悲しみや怒り、不満を感じるかもしれないが、同時に自分が解雇されなかったことに安堵を覚えるだろう。こういった感情はどれも簡単に肯定できる。その一方で、あなたは解雇された誰かの後任を命じられるかもしれず、めぐってきたチャンスに胸躍らせるかもしれない。あるいは、大嫌いだったその人がいなくなるのを喜ぶかもしれない。

 そして、胸躍らせたり喜んだりした自分を恥じる。実際、深く恥じ入るあまり、喜びの感情を抱いたことを自分自身でさえ認めないかもしれない。誰かがつらい思いをしているというのに、それを喜ぶなどもってのほかだと考えるからだ。

 しかし、それこそが問題なのだ。抑圧された感情は、ゆっくりと、望ましくないかたちでどこかに現れる。感情はエネルギーであり、自分が認めなければ、体内に蓄積され、往々にしてかたちを変えて表出する。

 その1つは、身体の痛みだ。首の筋をちがえたり、腰が痛んだり、病気になったりするかもしれない。だが、抑圧された感情が厄介なのはこれだけではない。

 あるスタッフが解雇され、別のスタッフがそのために訪れたチャンスに対して熱意を示したとしよう。あなたはその無神経さに激怒する。なぜだろう? たしかにその人は鈍感すぎるのかもしれない。しかし、あなたの怒りが度を過ぎていたなら、実はあなたも心の底で同じ気持ちを抱き、そのことを恥じていたからかもしれない。そんな気持ちを直視できず、そのスタッフを遠ざけてしまうのだ。

 そのスタッフは思いやりがなく、無頓着で冷たい人間だ、といったん決めつけてしまえば、もはや信頼することはない。そうなると、そのスタッフとの関係を発展させる機会を失ってしまったことになる。友人を失ったとも言えるかもしれない。そして、さらに自分自身の感情から身を遠ざけようとし、それらを心の奥深くに封じ込める。そうなると、病気になるか、また腹を立てるか、もっと多くの人を遠ざけてしまう可能性が高まるだろう。

 別の選択肢がある。充実した人生を生きるためのスキル――それはすべての感情を受け入れることである。

 1つの感情は別の感情を打ち消すものではない。複雑にするだけだ。家族と過ごし、子どもたちがはしゃぐのを見ることで喜びを感じたからといって、ハリケーンの惨事に対する心の痛みが消えるわけではない。ただ、複雑になるだけだ。

 ここで大事なことがある。すべてを感じることは、すべてを表現することとは違う。いろんな感情を持つことは適切だし、必要でもある。しかし、その感情を周囲の誰とでも分かち合うのがよいというわけではない。では、どうすればいいか。