前回も述べたことだが、ウィキペディアでも英語版では「民主主義」とか「ユーロ政策」とか重要な項目が多くの人の参加を得て充実した記述になる。だが日本では、もっとも多くの人が参加して頻繁に改訂され、充実しているのはAV女優やアイドル、アニメ関連の項目だという。暇でネット三昧の生活をしていて粘着質のある特定層が活躍している結果だ。もちろん、集合知を活用する様々なプロジェクトの中には、あるアニメについてのきわめて詳細な情報を完備させることが重要になるものもあるだろう。コミックマーケットをはじめとする同人誌市場の多くは、そうしたニッチな情報ニーズにより成立している。そうした形の集合知プロジェクトはあり得るだろう。

 だがウィキペディアのようにもう少し広い視点で百科事典を整備するという趣旨から考えると、マイナーなアニメのDVD初回特典の詳細を書くことは、おそらくあまり重要ではない。たぶんそのアニメのファン集団の中では重要なことなのだろうが、それを認識するには、一歩ひいた視点が必要となる。だがそういう認識を持つだけの常識人は、そもそもウィキペディアのアニメ項目を編集したいなどとは思わない。なぜ英語版では必ずしもそうなっていないのか、というのは、おそらく今後検討に値することだし、集合知の成功要因の分析としても重要になるだろう。集合知の活用を考える際には、それを成立させるはずのコミュニティや社会についての考察が不可欠となるのだ。

人類進化と集合知

 さて、最後なので少し大風呂敷を広げよう。人類の進化における集合知という話だ。実はある説によると、人類の進化そのものが集合知を活用するようになっているのだという。

 これはイギリスのニコラス・ハンフリーという学者の説だ。彼の問いかけは非常に簡単。賢いほうが生存に有利だ、と言われる。だったら、なぜぼくたちはいま全員がスーパー天才になっていないのだろうか? なぜあたりを見回すと(そして鏡を見ると)こんなにバカばかりなんだろうか?

 ハンフリーの仮説(というのも進化関連の話はなかなか決定的な証拠が出てこないので、もっともらしい仮説くらいしか出てこないからだが)は、非常に意外なものだ。それは、少しバカのほうが生存に有利だから、というものだ。

 え? 賢いほうが生存に有利、というのがそもそも出発点だったのに、こんどはバカのほうが生存に有利、とはどういうこと? もちろん集合知の文脈なので、読者のみなさんはある程度予想がつくはずだ。三人寄れば文殊の知恵。個別には多少バカでも、そうした人々みんなが頭をつきあわせたほうが、いい結果が出るのだ。でも、賢い人が頭をつきあわせたほうがもっといいのでは? 確かにその通り。でもここに落とし穴がある。すごく頭のいい人は、頭がいいために他人に頼る必要がない。何でも自分でできてしまう。他人にあれこれ教えを請う必要もない。結果として、頭をつきあわせる必要がないのだ。バカはバカなので、お互いにいやでも頭をつきあわせねばならない。結果として自然に文殊の知恵が生まれてしまう、というのだ。