この性向は、とりわけ近くの競争相手に関して顕著である。ハーバード大学が全学生に1年間無料で海外留学を体験させるとしたら、焦るのはフロリダ大学ではなく、イェール大学やプリンストン大学だろう。リッツカールトンが宿泊客に無料でクリーニングサービスを行うと言えば、フォーシーズンズは、モーテル6が同じ宣言をしたとき以上に敏感に反応するに違いない。そもそも似た者同士の間では、類似の行動がしばしば見受けられる。カテゴリー内の競争集団が、一丸となって行進しているように見えても無理はない。

 有機的共謀は、競争の激しい市場に特有の現象である。カテゴリー内の競争が激化するにつれて、競い合う企業は群れと化す。警戒心の過剰な企業が周囲の企業の牽引力になればなるほど、周囲の企業も同じ行動を取るようになる。この種の攻防がすぐに消耗戦になるのは言うまでもない。そして容赦なき戦いは、自己目的化する。

 とはいえ、個々の企業がこのダイナミクスに抗うのは容易ではない。渋滞に巻き込まれたドライバーみたいなものだ。レイノルズのアルゴリズムが示唆しているように、内側から外を見たときの景色は、外側から中を見たときとは非常に異なっている場合がある。

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 1972年、心理学者のアーヴィング・ジャニスは、集団で合議を行う際、真剣な検証や評価がなされずに合意に達する現象を「集団思考」と表現して注目を集めた。彼に対する批判の多くは当時の風潮を反映していた。70年代には、あらゆる集団行動が疑問視されていた。画一性は侮蔑の代名詞となる。ピア・プレッシャー(仲間からの圧力)や群集心理もしかり。「集団」という言葉自体、ソビエトを連想させるものだった。

 しかし、数十年の間に風向きは変わった。自己組織化のコンセプトが脚光を浴び、私たちの用いる言葉の端々に新たな楽観主義があふれている。集団知能、スマートモブズ(賢い群衆)、集合知……知的で独立した意思決定から生まれる、ある種の有機的共謀がすばらしい成果をもたらす。そうした考え方が、最近では議論の中心となっている。

 ここで集団行動に対する相反する2つの考え方を取り上げたのは、どちらが妥当かを示すためではなく、両者が折り合うのは難しいと考えているからだ。

 集合知や協調フィルタリング、ウィキペディアは意図せぬ協調が奇跡をもたらした好例であり、1つの共有された成果がみんなにとって意味あるものになり得ることを示している。一方、1つの成果への収斂が、ときに息詰まる結果を残すことも、歴史が証明している。  重要なのは、それぞれの状況において、多様性に価値があるのか、複数の異なる結果がもたらされることに意味があるのか、である。陸上競技では、走者は同じ方向に走るよう求められるが、医療や高等教育となると話は違ってくる。

 ビジネスにおいては、差別化はコモディティ化に抗う術だと考えられている。理論的には、競争が激しくなればなるほど、差別化への取り組みが強化されるはずだ。だが、現実にはその逆で、企業が熱心に競い合うほど、その違いは消費者の目から見て小さくなっている。

 さらに皮肉なことに、本章で論じたある種の群れ行動は、「汝の競争相手を知れ」「顧客の声を聞け」といったいわゆるビジネスの常識から生じている。警戒心や敏感さ、向上心などは、どれもベストプラクティスが重んじる特性だ。