「悪循環」を描く作業を別の言葉でいえば「課題分析」という。「中核課題」の仮説を作り、そこから発生する「悪循環」が現実にめぐっていることを検証しながら作業をする。うまくいかなければ新たな仮説を作り、やり直すことを続ける。当然、「悪循環」は1つではなく、多数が連鎖している可能性があるが、3つぐらいにとどめておく。人に説明する際、直感的に理解できることも大事だからである。

 自分が描いた「悪循環」における、あるステージから次のステージへと本当につながっているかどうかは比較的簡単に検証が可能である。グーグルなどの検索エンジンを使いながら定量的データ、その他の情報でチェックすればいい。風が吹けば桶屋が儲かるというたとえを例にとってみよう。風が吹くと土ぼこりが舞うところまではいいが、それが目に入ったとしてもほとんどは盲人にはならないし、たとえ盲人になっても、その多くが三味線弾きになるわけでもないだろう。何パーセントが盲人になり、そのうち、何パーセントが三味線弾きになるのだろうか。きわめて少ないに違いないから桶屋は儲からないだろう。この場合はさすがにグーグルでもデータは見つからないだろうが、多くの事象はデータ的に検証が可能であるはずだ。それを参考にしながら、「悪循環」を描き直していく。

「少子高齢化」を一緒にしない

「中核課題」の仮説を持たず、現象を現象として捉えているだけの例として「少子高齢化」を取り上げてみよう。確かにそういう現象が日本に起こっていることは確かだ。しかし、少子化とは社会・経済的な現象であり、高齢化は生物学的現象である。お互い直接の関係はない。日本ではたまたま同時に起こっているだけである。ちなみにアメリカでは高齢化は日本と同じように起こっているが、少子化は起こっていない。出生率は高く、移民の数を除いても人口は常に増え続けている。

 少子化はフランスやスウェーデンが成功したように社会・経済的施策によって逆転させることができる。しかし、生物としての日本人の高齢化を逆転させることはできない。全員もれなく毎年1歳ずつ年を取っていくのである。明らかにこの2つの課題に対処するための施策は異なる。「少子高齢化」と言って渾然一体で考えていてはメリハリの効いた施策にたどり着けない。

 少子化の現象は同じであっても、「中核課題」はフランスと日本では違う可能性が高い。フランスはPACS法という法律で婚外子も補助の対象にしたことが少子化対策に効いたのだが、フランスに内縁関係が多いのは社会的な背景があり日本とは違う。日本の少子化の「中核課題」は自分で見つけないといけない。日本での若い女性へのアンケート調査が何度か行われているが、常に「先の見通しが立たない」、「経済的に見合わない」を最初に挙げている。ちなみに日本では分娩は病気ではないのでかなり費用を自分で払わないといけないが、フランスでは無料である。

「悪循環」を見つけるために図のように楕円形の中に文章を書いていく作業を続けるのだが、その書き方にはコツがある。細かいことを言えば、簡潔だが体言止めではなく、具体的行動が動詞で終わる文章を書いていく。「人口の一層の減少」とか「就職機会の増加」などのようなマクロ的、抽象的な文章は避ける。マクロ的表現の羅列ではなかなか「中核課題」にたどり着けないのである。

 例えば、少子化の「悪循環」としてときどき見かけるのは、少子化の進行→人口の減少→税収の減少→少子化対策予算の減少→少子化の一層の進行・・・というような表現である。このようなマクロレベルでの課題の捉え方は間違いやすい。なぜならすべてが日本中同じようには起こらない時代だからである。出生率は日本中一律ではなく、ばらついている。また、税収が減ったからと言って少子化対策が打てないということにはならない。先に述べたようなフランスの少子化対策に比べて、日本政府の腰の定まらない、行き当たりばったりでどこにお金を使ったらいいのかわかっていない数十年間の無策さが「中核課題」であることは明らかだ。