卓越した偉大な日本の企業は、お金や数字にこだわるのではなく、優れた製品を生み出し、素晴らしいサービスを提供することによって大きく発展してきた。要するに「コミュニティシップ」によって成長を成し遂げたのだ。そうした企業のトップは、個人的に会社に関与し(例えば本田宗一郎のオートバイ・レースへの取り組み、松下幸之助の有名な経営哲学)、会社を人間が情熱をもって参画できるコミュニティとした。分断された人的資源の集合体として会社を扱ったのではない。品質に執着し続け、一時たりとも品質への関心を失うことはなかった。

 では、日本の文化とは対極的と思われるモデル――ひとりの英雄的なリーダーが従業員の熱意や参画を抑圧するような限定的なモデルに、日本が屈しようとする理由は何だろうか。誰かを真似たのではなく、自らと真摯に向き合った結果、日本は大きな成功を収めたにもかかわらず、他の誰かのモデルを採用したがるのはなぜなのだろうか。

日本を再発見する

ヘンリー・ミンツバーグ
(Henry Mintzberg)

カナダのモントリオールにあるマギル大学(クレグホーン寄付講座)教授兼経営学大学院教授。著書に『マネジャーの実像』、『MBAが会社を滅ぼす』、『戦略サファリ[第2版]』、HBRへの寄稿論文を集めた『H.ミンツバーグ経営論』など。また近年、Rebalancing Society…radical renewal beyond left, right, and center(社会の均衡を取り戻す――左派、右派、中道を乗り越えた革新的な再生)という題名の電子パンフレットを完成させた(参照)。

 少なくとも日本の何人かのエリートたちの態度からすると、おそらく日本が失ったものとは自分自身の姿であろう。日本という国、文化、物事が見事に機能する理由を見失ったのだ。

 株主価値という限定的なモデルに埋め込まれた無神経さや貪欲さが、現在、世界の多くの国を支配している。このモデルは多くの人の犠牲のうえに成り立った、ごく少数の人のためのものであるが、さらに危険なのは、民主主義ひいては地球そのものを犠牲にすることである。日本は、嵐のように襲うこのモデルに対して、何とか抵抗してきた国のひとつだった。少なくとも、これまでは。

 今回の短い日本滞在において私が感じたのは、かつての数多くの訪問と比べても遜色のない繁栄を保ち、文化や尊厳、そして慎み深さを維持しているように見えるということだった。こうしたことすべてが戦後の日本を築き上げてきたのである。

 私たちの地球を危険なまでに不均衡にしている限定的なゲームの中で、数字上の業績を上げるために、文化や尊厳、慎み深さの多くを剥奪しようという圧力は、まったく無意味なことである。

 もし日本がその良識を持ち続けることができるならば、問題が山積する世界にとって新たなモデルとなるだろう。勝利するために、他に例を求めるのではなく、自らの強みを見つめるのだ。かつての時代のように、世界から孤立するのではない。自らを振り返ることからつくり上げるのだ。

 日本の精神は失われてなどいない。そのことに気づけば、実現は可能である。