すべては「培養できたら」──頓挫した「ニューサンシャイン計画」

 こう決めた後の行動は速い。

 しかし当時近藤先生は、すでに東京大学を退官されていたので、近藤先生の教えを引き継いだ東京大学の大政謙次先生と大阪府立大学の中野長久先生に会おう、と決めた。この2人こそ、ニューサンシャイン計画を引き継いだ中心的な研究者だった。

 僕はすぐに鈴木のゼミの指導教授であった大政先生にお会いして話を聞き、さらに紹介状を書いていただいて大阪へ向かった。

 大阪府立大学の中野先生のところを訪れた僕は、開口一番にこう尋ねた。

「先生、この近藤先生の研究は、本当にすごいです。自分はぜひこの計画を現実化して、ビジネスにしたいと思っているんですが、現状はどうなっているんですか?」

 すると中野先生は、「……ミドリムシか。実はいま、その研究は進んでいないんだ」と言われた。

 僕はポカーンとして、問いを重ねる。

「……どういうことですか?」

「ミドリムシはね、本当に難しいよ。この論文はね、全部『培養できたら』という仮定の話なんだ。つまり『培養後』の未来を描いた論文で、ミドリムシの培養には、世界でまだ誰も成功していないんだ」

 確かに論文を読み返してみても、どうすればミドリムシが培養できるかは、一切触れられていない。中野先生に聞くと、1950年代からさまざまな研究者が世界じゅうで培養を試みてきたが、芳しい成果はあがっておらず、いまではほとんど誰も目を向けていないという。ユーグレナ研究の権威である近藤先生や、研究を継いだ大政先生も中野先生も四苦八苦して実験を続けたが、いずれも満足のいく結果に至っていない、というのだ。

 しかも2000年、すなわち僕が訪れたこの年に、ニューサンシャイン計画は頓挫、終了したのだった。

 まさにそのタイミングで、若い僕が勢い込んで大阪までやってきた、というわけだ。

「難しい挑戦だよ。すべては『培養できたら』だから」

 中野先生は、そう僕に告げた。

 鈴木は大政先生のゼミに所属していたため、僕よりミドリムシについてずっと詳しく知っていた。そのため内心では「ミドリムシの培養は無理だ」と思っていたらしい。大政先生も、ミドリムシの研究については難しいだろうと考えていたため、鈴木がそれを研究テーマとすることに対しては、「どうしてもと言うならやってもいいけど、メインのテーマにしないほうがいい」と助言していた。
 

【書籍のご案内】

『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました』
~東大発バイオベンチャー「ユーグレナ」のとてつもない挑戦

 いま日本に、世界から注目を集めるバイオベンチャーがある。名は、株式会社ユーグレナ。「ミドリムシ」の大量培養技術を核に、世界の食料問題、エネルギー問題、環境問題を一気に解決しようと目論む、東大発ベンチャーだ。そのユーグレナを創業した出雲充氏が、起業に至る7年と、起業してからの7年を初めて語る。


【目次】
はじめに―くだらないものなんて、ない。
第1章 問題と、自らの無知を知るということ
第2章 出会いと、最初の一歩を踏み出すということ
第3章 起業と、チャンスを逃さずに迷いを振り切るということ
第4章 テクノロジーと、それを継承するということ
第5章 試練と、伝える努力でそれを乗り越えるということ
第6章 未来と、ハイブリッドであるということ
おわりに―ミドリムシに教えてもらった、大切なこと

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