ところが、ウェルチはこうした事業をスパッと切ってしまう。理由は「ナンバー1、ナンバー2でないから」。あくまでも自分が打ち出した基準に忠実に意思決定し、実行している。「戦うことではなく、勝つことが目的だ」というのが超現実主義者ウェルチのスタンスであり、「撤退は早計」の反論に対しては、「列車はすでに走り出している。あなたにできることは、この列車に乗るか、それとも乗らずにホームで見送るか、2つに1つ。どっちなんだ!」と迫り、ねじ伏せていく。

 逆に、「ナンバー1、ナンバー2」の可能性のある事業に対しては集中的に資源を投入し、ますます競争ポジションを強化した。例えば、電球事業は当時から成熟していた市場だったが、エジソン以来の「ナンバー1」事業であった。医療機器事業は対照的に成長分野であり、「ナンバー1、ナンバー2」が十分に期待できた。金融事業は完全にサービス業であり、基本的には製造業事業の集合であったGEにとっては距離があったが、これも近い将来に強力な競争ポジションが期待できた。こうした事業は集中的な投資を受け、M&Aも活発に行われた。

「ナンバー1、ナンバー2戦略」と並んで、ウェルチによる初期のGE改革を特徴づけたのは、組織とマネジメントの徹底した簡素化、スリム化だった。ウェルチがCEOに就任した当時の従業員は40万人だったが、中間管理職を中心に「リストラ」を進め、80年代後半の従業員数は30万人を切ることになった。

 従来のGEの組織でさまざまな階層に広がっていた管理職は厳しい成果主義の評価にさらされた。マネジャーは能力と成果に基づいて、A、B、C……と「等級づけ」された。ウェルチの方針は徹底した「Aプレイヤー」主義で、「CプレイヤーをBプレイヤーに引き上げるよりも、Aプレイヤーをもっと強くした方がよい」という割り切りがあった。Aプレイヤーにはストップオプションを含む手厚い報酬が用意され、下位の等級に甘んじるマネジャーは容赦なく切り捨てられた。

 最も象徴的だったのは、本社の戦略スタッフの人員を一気に半分に削減したことだった。本社の戦略スタッフと言えば、ジョーンズの時代はGEを動かしていく「ベスト&ブライテスト」の集団として自他ともに認める存在だった。それをウェルチは問答無用で半減したわけで、「本社スタッフ部門」の「戦略計画」で会社を動かしていく経営とは決別するという明確なメッセージが社内外に伝えることとなった。

 このリストラと表裏一体の改革として、81年のGEの組織には9つの階層があったが、ウェルチはこれを半分以下の4つに整理した。例えば、個別の事業会社(事業部門)を近似した分野ごとにまとめる「セクター」という階層があり、これがジョーンズの時代にはプランニングの単位になっていたが、ウェルチはセクターを解体し、個別の事業部門がコーポレートのトップマネジメントに直結するようにした。

 階層が4つしかないということは、ウェルチをはじめとするトップマネジメントの最上位層があり、次に事業部門長、その下にマネジャー、あとは平社員がいるだけとなる。これだけの巨大組織を4つの階層で経営するということは、組織が極端にフラットになるということを意味している。1人のマネジャーが以前よりもずっと多くの部下を持つようになった。意思決定のスピードは速くなり、組織が計画よりも実行志向になった。

 CEOに就任して数年を経ると、ビジネス・ジャーナリズムはウェルチに「ニュートロン・ジャック」という多分にネガティブな意味合いのあだ名をつけた。中性子爆弾男。「ひとたび意思決定をすると、生命体はすべてやられるけれども、建物や設備は残っている」という意であった。

 もちろん当時からアメリカでは日本と比べて「リストラ」や「レイオフ」は普通に行われていたが、これだけ伝統と歴史のある企業が、これだけのスケールで、しかも傍目には業績が好調であるにも関わらず、リストラに手をつけるのは、アメリカの企業経営の歴史においても、かつてないことだった。20年後に退任するときは「20世紀の偉大なリーダー」と称賛されたジャック・ウェルチも、当初の数年は過激な破壊者、嫌われ者の「ニュートロン・ジャック」だったのである。
 

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