一等地に広告を出す、という発想から抜けられるか

田端:テレビのゴールデンタイムや有名雑誌の表4(裏表紙)などは、不動産に喩えると、都心の一等地だと思います。先に述べたようなTVの1社提供タイム枠には、不動産のような優先権があります。

 これまでは人通りの多い一等地に看板を出すことが広告で大切なことでした。一等地には限りがありますよね?だから希少であったんです。しかも、その一等地に自社が広告を出さないと、競合他社が出すかもしれない。それを考えて、短期的な費用対効果などはある程度、度外視しても、マス広告の優良な広告枠には、高値が付いてきました。つまり、一等地である人通りが多いことの純粋な利用価値と、一等地が限られているから、すぐに必要でなくても押さえておかないといけないという希少性との両面があるんです。

 その意味で広告会社も岐路を迎えています。これまでは、一等地を確保したら、それを1番高く買ってくれる企業を探せばよかったんですね。

 ところが今、目抜き通りの一等地に、人が減ってしまったり、人の流れが変わってきているわけですね。以前はみんながみんな同じ場所に集まりました。テレビや大新聞などメディアの数が限定されていましたから、人はそのどれかを見るしかなかったんです。ところが、ネットができ、皆が好きなところに散らばってしまったんです。

人が集まる一等地がなくなったということですか?

田端:というより、商品毎に、あるいは文脈毎に一等地が変わるといった言い方がいいかもしれません。

 いまはユーザーの興味や嗜好が断片化しています。ある種の商品にとっては、銀座ではなく、原宿のキャットストリートが一等地かもしれないですよね? もちろん人の集まる数だけで言えば、銀座や新宿が一等地ということになりますが、どの商品にとっても、そこが一等地だと捉えるのはあまりに乱暴ですよね。

 また文脈も刻々と変化するので、ある商品にとっての一等地も、渋谷からすぐに恵比寿に代わることもあるんです。そういう時代なんです。

 ですから、企業によって、商品によって、一等地の定義もモノサシも別々なんです。ネットの場合、広告が届いたか、認知されたかなど、取れるデータが圧倒的に増えました。それを見れば、どこに見込み客がいそうかが分かるようになり、すべての企業に共通する一等地という概念がなくなりつつあると思います。