その時、デナの祖母のミミが現れた。

 デナのそばに立っていた一同の間をぬって、ミミは彼女の横に腰を下ろした。そしてデナを片腕に抱き、静かにそこに座っていた。やがて、デナはミミの肩に頭をもたせかけた。しばしの静寂の後、ミミはデナの頭にキスをしながらこう言った。「この大会のために、どんなに頑張ってきたか、私はわかってるの。デナ、失格は悲しいわね」

 ここで、デナは泣き始めた。ミミはそのまま座って、数分のあいだ何も言わずにデナを抱きしめていた。

 やがてデナはミミを見上げ、涙を拭いて、ただひとこと言った。「ありがとう、ミミ」。私はこの時、すべてのリーダー、マネジャー、チームメンバーはこれを見るべきだと思った。

 デナが何を必要としていたのか、ミミを除く全員がわかっていなかったのだ。私たちはデナをなんとか元気づけようと、失敗の利点を挙げたり、負けることがどんな意味を持つのかを説明したり、失敗から教訓を得ることを教えたり、もっと頑張ってうまくなれば失敗しない、という動機付けを試みたりした。

 しかしデナは、そうした助言など必要としていなかった。彼女にとっては自明のことだからだ。そうでないとしても、やがて自分の力でそれらを理解していくだろう。彼女が必要としていて、自分ではどうにもならないもの――ミミが差し出したものは、何だったのだろう。

 それは共感である。

 デナは、自分が独りではないと感じたかったのだ――ここにいる私たちが自分を愛していて、水泳で失格になろうがそのことは変わらないのだと。皆がデナの気持ちをわかっていて、皆が彼女なら大丈夫だと信頼しているということを、彼女は実感したかったのだ。

 すべてのリーダー、マネジャー、チームメンバーにこの情景を見てもらいたいと私が思った理由は、失敗に対して共感を示すことは、思いやりのある行為というだけでなく、生産的でもあるからだ。

 共感は信頼を伝える。そして人は、信頼されていると感じる時に最高のパフォーマンスを見せる。

 あなたが間違いや失敗を犯した時に、私が無言でそばに座り、何もせずにいるとしよう。そうすることで、あなたに「失敗したっていいんだ」と伝えているのだ。そして、これは直感に反するかもしれないが――失敗した自分に前向きな感情を持つことができれば、あなたは新たな挑戦のために再起する活力を取り戻せる。

 このことを、ほとんどの人はわかっていない。私たちは失敗した人を非難したり、指導したり、励ましたりする。逆説的だが、これらは相手の気分をさらに悪くさせるだけだ。さらに、こうした接し方は相手の自己防衛本能を刺激し、保身に走らせる原因にもなりうる。失敗が許されないなら、自分の失敗にならないように操作しよう、という考えだ。