こうした組織の経営者は、自分たちがコントロールできないものを責める傾向がある――「こんな変化を予測できるわけがない」。ある意味で、それは非常に正しい。彼らには変化を予測する手段などないのだ。「測れないものは意味がない」という信条によって、「未来が過去とはかけ離れたものとなる」という可能性を、みずから除外してしまうからだ。しかし、これは彼らが自分で築いた牢獄だ。そこに自分を閉じ込め、カギを投げ捨てたのだ。そして、不当に投獄されたと文句を言うのである。

 我々は測定と経営に関する従来の言い回しから、脱却する必要がある。だから、私は次の新たな格言を提案する――「想像できないものは、創造できない」。未来は思い描くものであり、測るものではない。未来を想像するには、測定できる変数以上のものを見る必要がある。過去のデータで証明できるものの先を見るのだ。

 モトローラがフィーチャーフォンの販売台数を予測していた時、リサーチ・イン・モーション(RIM)の創業者マイク・ラザリディスは、携帯機器で電子メールが受信できたらビジネスマンの生活はどう変わるだろうかと想像した。ブラックベリーをベルトに付けられたら、一般的な電話機はどれほど必要だろうか。彼はこれが優れたアイデアだと証明することはできなかった。スマートフォンに関する需要パターンはなかった。なぜなら、スマートフォンが存在していたのは彼の想像のなかだけだったからだ。しかし、その想像から生まれた製品を発売してから11年後の2010年現在、RIMの売上げ、市場シェア、利益率はモトローラを上回っている。

 ラザリディスがブラックベリーを生み出した時に用いたような思考法を、パースははるか昔に「仮説的推論」(アブダクション)と名付けた。パースによると、これはある物事を「最も適切に説明しうる推論」であり、「思考の論理的な跳躍」である。ラザリディスは企業人が彼の発明にあれほど夢中になり、そのため製品に「クラックベリー」(クラックは麻薬を指す)というあだ名が付くだろうということは証明できなかった。しかし、彼らの仕事の様子を見て、オフィスにいても外にいても電子メールがチェックできることは大きな価値となる可能性が高いと推論した。測れるものは何もなく、重要なのは推論だった。たくさんの定性的洞察や「思考の論理的跳躍」に基づいた推論である。

 マイク・ラザリディスの世界と「測れないものは意味がない(実現できない)」の世界の違いは、夜と昼の違いのようなものだ。仮説的推論を用いる人にとっては、世界は拡大するもので、可能性には際限がない。測定型の人にとっては、世界は厳しく、予測できない不快な驚きに満ちている。だから、「測れないものは・・・・・・」で始まる言い回しはどれもが、経営の健全性を脅かすのだ。


HBR.ORG原文:Management by Imagination January 19, 2010