なぜチャンスを見逃したか

 こうして新興の3.5インチのハードディスクを手がけるメーカーは、市場を獲得することでキャッシュを得て、さらなる技術開発投資が可能となりました。その結果、3.5インチのハードディスクの容量の増大と低コスト化が進み、3.5インチのハードディスクはデスクトップ・パソコンにも装着されるようになっていったのです。

 シーゲートは、せっかく成し遂げた技術開発の成果を事業化するチャンスをみすみす見逃し、自らの主要市場に強力なライバルを呼び込んでしまいました。クリステンセンは、その原因が、主要顧客の意向に合わない選択はできないとのシーゲートの判断にあったと指摘します。すなわち、顧客の声に忠実であることが、優良企業を苦境へと追い込んでしまったというわけです。

顧客のという存在の本来的な多様性

 このクリステンセンの指摘から、私たちは何を学ぶべきなのでしょうか。顧客志向は誤った経営思想だと考えるべきなのでしょうか。

 この顧客志向の問題については、さらにジョージ・デイが、次のような示唆に富む見解を提示しています。デイは、企業が2つのタイプの顧客に直面していることに注目します。第1は、企業が現在取引を行っている顧客(顕在顧客)、そして第2は、企業が現在は取引をしていないが、将来新たな取引が始まる可能性のある顧客(潜在顧客)です。前者は短期の企業経営に欠かせない顧客、そして後者は長期の企業経営を拡大する顧客と言ってよいかと思います。

 クリステンセンが何を指摘したかを振り返ってみましょう。この区分にしたがえば、クリステンセンが指摘していたのは、「企業が、現在の取引先(顕在顧客)に気を取られるあまり、未来の顧客(潜在顧客)に目を向けなけないことから生じる弊害」です。このような企業姿勢、さらにはその背後にある企業組織の制度や構造や文化の問題を、クリステンセンは指摘していたのです。つまり、クリステンセンが指摘していたのは、顕在顧客を志向することの弊害であって、潜在顧客を志向することの弊害ではありません。クリステンセンは、顧客志向を全面的に否定したわけではなかったのです。

「顧客志向を、単なるきれい事ではなく、企業成長の本当の駆動力にしたい」。企業の経営者やマーケティング担当者がこのように考えるのであれば、顧客という存在の本来的な多様性に真摯に向き合わなければなりません。顧客とは、顕在顧客だけではありません。しかし「顧客」と言うと、常識的な企業人は、日頃取引のある顧客の顔を思い浮かべてしまうようです。だがそこに留まっていては、企業は、自らの成長の機会を繰り返し見逃すことになりかねないのです。

(図)特定の顧客だけにフォーカスしてマーケティングを行っていないか