ニーズは急に変わらない

 こうした「マルチメディア・ベンチャー」の構想に比べれば、アマゾンのやろうとしたことはきわめて連続的だった。売り場は確かに非連続なものではあったけれども、一歩引いてみてみると、アマゾンがやろうとしたことはただの小売業に過ぎなかった。ほとんどの人々は、相変わらず紙に印刷された本を買って読んでいた。アマゾンはそういう「普通の人々」のためのビジネスだった。

 インターネットのような非連続な背景をもつ業界でのイノベーションでは、アマゾンがそうであったように、「非連続の中の連続」をとらえることがカギになる。新しい技術が非連続に生まれたとしても、それを使う人間(顧客)の方はそれほど非連続には変わらない。「あわてるな、ニーズは急に変わらない」というわけで、人間社会の需要のありようは古今東西わりと連続的だと考えたほうがよい。

 創業から十数年たった今でも、アマゾンのやっていることはせいぜいが「キンドル」を端末にした電子書籍どまり。キンドルにしても機能は慎重に取捨選択され、きわめてシンプルで、これまでの紙の本の読書との親和性を重視したつくりになっている。電子書籍の市場が広がっているとはいえ、従来通りの「本」を読む人も依然として多い。ある意味では、きわめて保守的で連続的なやり口だといえる。人間のニーズやユース(使用法や使用状況)が本来的にもっている連続性を忘れない。ここにアマゾンの強さがある。

「できる」と「する」の間には深くて大きな溝がある。このことについての深い理解がイノベーションを成功させるうえでのポイントとなる。「(そういうことが技術的に)できる」ということと「(大多数の顧客がかならず)する」ということはまるで異なる。技術的に「できる」ことが次から次へと新しく生まれる非連続な背景があるところでは、「できる」ばかりに目が向いてしまう。その結果、顧客が実際にそれを受け入れて「カネと時間を使ってまでする(使う)」という肝心のところがないがしろにされる。

 スマートフォンが台頭する直前の携帯電話の多機能化。これは「できる」と「する」のギャップを甘く見ていたという悪い例だろう。確かに技術的に「できる」ことはたくさんある。「こういうこともできる」というアイデアも次々に出てくる。それを安直に携帯電話端末の小さなスペースに詰め込んでいく。その結果、多機能のお化けのような製品になってしまう。

 しかし、ユーザーが普通の人間であることには変わりない。インターフェイスが当時の相対的に小さな液晶画面と従来の電話のボタンであれば、普通の人間が自然と「する」ことには自ずと限界がある。ユーザーが確かに「する」という骨太のストーリーが描けたのは、古い例でいうと「メール」と「写メ」、もう少し近い例でいえば「おサイフケータイ」ぐらいだろう。

 携帯電話端末の分厚いマニュアルをみると、こういう機能もある、ああいうこともできるという、「できる」のオンパレードになっていた。開発している当事者からしても、よもや全部のできることを多くのユーザーが実際に「する」とは思っていなかったはずだ。そこには非連続な何かもないし、連続的な人間の本性についての洞察もなかった。これでは悪いところ取りだ。スマートフォンに多くの人が流れたのも無理はない。続きはまた次回。
 

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