まずはスキルとセンスを区別して考える必要があるというのが僕の見解です。アナリシス(分析)とシンセシス(総合)との対比でいえば、スキルというのはアナリシス的発想が前提にあります。個別の担当分野での担当者としての専門能力を磨くという話です。ファイナンスのスキルとか会計のスキルとか法務のスキルとかプレゼンテーション・スキルとか、そうしたものが必要になる。

 しかし、戦略の本質はシンセシスですから、スキルばかりを鍛えても、いい経営者を育てることはできません。ひどいことになると、「担当者の仕事」しかできない経営者、「代表取締役担当者」がでてくるという成り行きです。こうやったらセンスがつくという標準的な手法はない。センスは他者が「育てる」ものではありません。当事者がセンスある人に「育つ」のです。

 だとしたら経営には何ができるか。直接的にセンスを教えることはできませんが、センスが育つ環境を整えることはできます。その第一歩は、組織の中で「センスがある人」をきちんと見極めるということです。

 センスがあるのが誰かをわかっていて、その人に「商売の塊」を任せ、シンセシスをやらせている会社では、好循環が生まれます。その人の一挙手一投足に注目が集まり、センスがあるとはどういうことか、周りの人にも見えてきます。自然と触発されて、自分の潜在的なセンスに気づき、センスが育つ可能性が増します。

 逆に、誰にセンスがあるのかわかっていないと、社員はみんなスキルの獲得に走ってしまい、そうなるとますますセンスが埋没してしまうという悪循環にハマります。

 一つの救いは、全員がセンスあふれる経営者になる必要はまったくないということです。100人いたら、2、3人の本当にセンスがある人がいればよい。そういうひとに経営をやらせる。戦略をつくらせる。センスのない人は経営なり戦略の仕事に近づけないことが大切だと思います。

 なにも経営や戦略だけがセンスではありません。なんであろうと自分が優れたセンスを持つ領域を見つけて、そこに力を入れればよい。スキルも大切ですが、自分がどんなセンスを持っているか、何が好きか、そこにもっと敏感になったほうがいいでしょう。

「センスがいい」とはどういうことか。だれも一言では言語化できません。センスは千差万別です。一つひとつの「センスがいい」(と同時に「センスが悪い」)戦略の事例に当たり、その文脈で「センスの良さ」を読み解き、掴み取っていく。僕はセンスを磨くためにはそうした帰納的方法しかあり得ないと確信しています。

 絵画や小説と同じで、数多くの優れた戦略ストーリーを鑑賞し、その本質を見て、見破る。その繰り返しのなかで、ゆっくりと、しかし確実にセンスが磨かれていきます(もちろん初めからセンスがある人はそんなことをしなくてもいきなりすぐれた絵や小説を想像できるのですが)。

 いまだ途上ではありますが、『ストーリーとしての競争戦略』で僕はそういうことをしたかったわけです。

ご意見、ご要望は著者のツイッターアカウント、@kenkusunokiまでお寄せください。