だとすれば、より意味のある問いかけは「そんなに当たり前なことが、なぜ現実の経営のなかではきちんとできないのか」ということです。一見当たり前のことであっても、その本質部分の理解が十分でない。

 言われてみれば当たり前のことでも、言われるまではついつい見過ごしてしまう。大切なことだとわかっていながら、それを見ないようにしてしまう圧力に押し流されてしまう。理由はいろいろでしょう。いずれにせよ、「当たり前のこと」の本質というか、その背後にある論理をウザいぐらいじっくりと考えてみる。そうすれば実際に商売をしている人にとって、何かの役に立つだろうと思って書いたのが『ストーリーとしての競争戦略』です。

 最後のタイプ、これが圧倒的に多いのですが、「結局、どうすりゃいいんだよ?」というもの。話はわかった。でも、どうやったら優れた戦略をつくれるのか。そこを知りたいのに、この本を読んでもどうやったらよいのかわからない、実務に応用が利かないという批判です。それに対して僕はいつもこう答えることにしています。「あきらめが肝心です」と。

 どうやったらすぐれた戦略がつくれるのか。そんな上等なことがすぐにわかってしまえば世の中苦労はありません。だれでも経営者になれます。というか、そんなことがわかってしまったら商売は面白くもなんともない。こうした批判をする人でも、よもやそのような「解答」があると本心から思っているわけではないでしょう。

 僕の本をお読みいただいた方々のほとんどがビジネスパーソンだと思います。以上の4タイプの批判から、現代のビジネスパーソンの考え方のクセというか傾向が見えてきます。ようするに「新しくてよく効くスキル」を求めている人がやたらと多いのです。今売れているビジネス書も、結論となると「…ということで、これこれのスキルを今すぐに身につけなければならない」というものが多いようです。

 しかし、すぐれた戦略をつくるために一義的に必要なのは、スキルではありません。それは「センス」としか言いようのないものです。英会話や財務諸表の読み方、現在企業価値の計算であれば、スキルを身につければできるようになるかもしれません。ところが、こうした「スキルの発想」ではいかんともしがたいものが、戦略を構想するという仕事なのです。

「異性にモテる・モテない」。これはスキルよりもセンスが重要となる典型例です。モテる人というのはセンスがある、モテない人はセンスがない、としか言いようがない。それはスキルの不足が本当の理由ではありません。センスをスキルとすり替えてしまうと、ますますひどいことになる。モテようと思って雑誌を読む。「こうするとモテますよ!」というスキル(?)が山のように紹介されている。そこにあるファッションやデート方法をそのまま全部取り入れたらどういうことになるでしょうか。間違いなく、ますますモテなくなります。

 戦略も同じです。本を読んでスキルを身につけて、それでうまい戦略がつくれたら誰も苦労はしません。必要な要素の大半はセンスなのです。そのことを本当はみんなわかっているはず。でも、「スキルでなくてセンスですから」と言い切ってしまうと、多くの人が不安になる。スキルと違って、どうしたら身につくかすぐにはわからないのがセンスですから。寅さんではありませんが「それを言っちゃあおしまいよ」という話になる。だから誰も口には出さない。