「見える化」が「見えすぎ化」に変わるとき

 これまでも強調してきたことだが、経営者と担当者ではなすべき仕事に本質的な違いがある。担当者であれば「決まっていることをきちんとやる」というオペレーションがこなせればよい。これに対して、経営者の本領はオペレーションを超えた戦略の次元にあるはずだ。どう転んでも不確実な将来に向かって、独自の方向性を示す。客観的なものさしでは答えが出せないような問題について、知識と洞察と論理を総動員して明確な意思決定を下す。そしてその意思を組織に浸透させ、社員を納得させ、意図する方向に向けて組織を動かす。これが経営者の本来の役割だ。

 ところが、「見える化」に過度に依存した挙句、本来の戦略的な意思決定という仕事を放棄するかのような経営者が少なくない。「見えすぎちゃって困るの」である。

 CDFにしてもNPV(現在価値)にしてもEVA(経済付加価値)にしても、ツールや指標そのものには罪はない。ただし、それらしい「科学的なツール」が導入されると、アタマでは「ツールはツールにすぎない」と重々わかっていながらも、思考と行動が知らず知らずのうちにツールに依存してしまうのが人間の弱いところだ。

 投資案件として選択肢が3つある。担当者(たとえば経営企画スタッフ)が定量的手法を駆使して、それぞれのオプションの期待ROIを算出する。すると、オプションAのROI期待値は7%、オプションBは15%、オプションCは10%という数字が出てくる。これをトップにレポートする。受けたトップは迷わずオプションBを選択。

 当たり前の話だが、これは経営者の仕事ではない。子供でもできる比較選択だ。極端にデフォルメした話ではあるけれども、「見える化」にはこのような負の側面がある。行き過ぎて「見えすぎ化」になってしまうと、経営が見える尺度に寄りかかり、甘えてしまう。「そのままじゃ見えないから判断できない。まずは『見える化』しておいてくれ。そのうえで決めるから・・・」という姿勢だ。トップが「合理的な意思決定」のために細かなデータを求めれば求めるほど、「データ待ち」になり、決定と実行は遅れる。データが整備された後の意思決定は、ほとんど疑問の余地がないありきたりの選択肢のみが選ばれる。「見える化」が経営の無能力をもたらすという成り行きだ。

 より積極的に不確実性を取り入れようとするリアルオプションの手法にしても、問題の本質は変わらない。現実世界の経営はありとあらゆる不確実性に取り囲まれている。すべての不確実性をリストアップしていたらきりがない。たとえリストアップできて、それをうまく仕分けることができても、次にそれぞれの不確実性について、なんらかの仮定を置かなければ収益性を評価することはできない。リアルオプションの手法を使える戦略スタッフを大勢抱えていたとしても、手法を使えるということと実際に意思決定をするということはまるで異なる。多種多様な不確実性のすべてに妥当な仮定を与えるというのは、大変な能力を必要とする。仮にそれができたとしても、依然として仮定は仮定に過ぎない。

 ようするに、経営者の力量やリーダーシップは「見えないものを見る力」にかかっている。もしすべてが「見える化」できるのでれば、経営者という存在はそもそも必要ない。

 このところ優れた企業経営のモデルとなった感のあるアップルにしても、いっときの停滞から近年のような目覚しい隆盛を誇る企業に返り咲くことができたのは、「見える化」のおかげではない。もしスティーブ・ジョブズさんが「見える化」にこだわっていたら、アップルは決してあのタイミングでiPodを市場化しなかったはずだ。iPadもiPhoneも世の中になかっただろう(iPhoneはあったかな?)。いずれにせよ、ジョブズさんがリアルオプションを駆使して「戦略的な意思決定」をしていたらどうなっただろう。アップルは今でもマイナーなハード(もしくはソフト)のメーカーとして四苦八苦していたに違いない。

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