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自己責任に備えるための心理学 |
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評者: 奥村哲史 滋賀大学 経済学部 教授 |
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今回紹介の書籍 |
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相場の心理学 |
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ラース・トゥヴェーデ=著 赤羽隆夫=訳 (ダイヤモンド社) |
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投機バブル 根拠なき熱狂 |
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ロバート J. シラー=著 植草一秀=監訳 沢崎冬日=訳 (ダイヤモンド社) |
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検証バブル 犯意なき過ち |
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日本経済新聞社=著 (日本経済新聞社) |
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| 経済心理学のインパクト |
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二〇〇二年のノーベル経済学賞がダニエル・カーネマンに授与された。一九九六年に急逝したエイモス・トバスキーも存命ならば、共同受賞していたことは間違いない。彼らは、人々の現実の行動が、旧来の期待効用理論のいう「常に合理的に効用を最大化するはずの意思決定」といかに乖離するか、そしてその非合理性にある一般的傾向と要因を解明してきた。
一つひとつは瑣末にも見える実験の成果は、七〇年代に心理学系の学術誌に続々と報告され、七九年に「展望(プロスペクト)理論」として発表されたあたりから、経営と経済の領域に一気に応用され、さらに実用性豊かな諸概念を刺激するようになった。
心理学も経済学も日々の生活にごく自然に組み込まれているだけに、だれもが何らかのセオリーやモデルを意識せずに使っている。
そのせいかカーネマンとトバスキーの業績に派手な印象はない。しかし、丹念に実験を重ね、定説や概念の妥当性を検証した彼らの仕事は、心理学と経済学を本格的に結ぶ領域を育ててきた。その成果は、日本でも過去一〇年に主に翻訳として刊行された金融、交渉、意思決定の書籍に圧倒的な影響を見せており、そこから、今回の受賞を予感した人も少なくないはずだ。
彼らは、経済を構成する政府、企業、個人といった主体が、理論上の前提ほど合理的には動いていない、むしろどの主体も心理的な落とし穴に無防備に近い体質があることを明らかにした。この落とし穴を、判断と選択という情報処理プロセスから整理したのが「認知バイアス」である。
代表的なものには、何か基準があるとそれを中心に判断する「アンカリング」、同じ事象でも表現の枠づけが肯定的か否定的かで判断が左右される「フレーミング」、期待や希望から現実や将来を見る「自己過信」などがある。これら認知バイアスの作用は、我々の日々の意思決定だけでなく、社会に大きなインパクトを及ぼす意思決定の場にも広く観察される。
企業や政府にもそれは普通に見られる。さしたる理由もなく前例に従う、取り巻きがもたらす情報に安住し、変化する環境のモニターを怠る、粗雑な表現で関係を損なったり、処理すべき問題を都合のよい言葉で覆い自分さえごまかした気になる、希望的観測のまま実現可能性を省みないなどだ。このような態度で下された意思決定の事例は枚挙にいとまがない。
こうした行動によって浪費された有形、無形の資源や機会損失は、通常の計算を無意味にするほどの額だと考えてよい。これらを無責任な行動だと非難することはよくあるが、その行動のメカニズムを説明する知識に基づく批判は意外に少ない。
カーネマンらが開拓した領域には、行動経済学や行動ファイナンスの名称も使われる。こうした呼称は経済学の亜流とも取られかねないが、何より「行動」が再認識されたことが大切なのだ。意図があっての「行為」(アクション)に対し、何となくそうしてしまうのも含むのが「行動」(ビヘイビア)である。
では、しかるべき合理性を期待し、多くの人が人生計画の一部を預けている金融市場はどのように行動しているのだろうか。
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| 自己保存バイアスの破壊機能 |
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相場は、上昇するといわゆる抵抗圏に、下降すると支持圏に出会い、その間に収まっている時期が大半なのだが、いったんトレンドがスタートすると、上昇であれ下降であれ、多くの市場参加者の心理を揺さぶる。売っても買っても見送っても、心のなかでは理由づけなしにはいられなくなる。
デンマーク人の実務家による『相場の心理学』は、バーナード・バルークの名言を著者自身のトレーダー経験から昇華させ、市場現象を欧州的な教養に裏打ちされた知識で分析している。バルークの言葉とは、「株式市場の変動に記録されているのは、ありのままの出来事ではなく、人間の反応である。それらの出来事が彼らの将来に及ぼしうる影響について、何百万もの男女がどう感じたかの記録である。つまり株式市場は人間そのものなのだ」というものである。
本書は個人の意識と認識に関する心理学の主要学説をすべてカバーしているが、中心は行動を導く情報処理プロセスの分析を対象とする認知心理学である。その視点から、相場のトレンド期、転換期、パニック期の現象に作用する認知バイアスを解釈している。
こうした株式市場の動態に対する心理は、突き詰めて言えば、損と得の見込みと不確実性に関する心の作用である。損得勘定には合理的な思考が不可欠のはずだが、現実には非合理的な選択がごく普通に見られる。
カーネマンとトバスキーがその名を確立したのが、利潤増大に賭けるより損失拡大の危険を冒すような行動として、この非合理性が現れる一般的傾向を実証した仕事だった。次のような有名な実験がある。
グループAには「あなたがいまいくら持っているかにかかわらず、1000ドル与えられたとしたら、次の二つの選択肢のどちらを選ぶか」と尋ね、
(1)確実な500ドルの追加(合わせて1500ドルになる)
(2)50%の確率でさらに1000ドルを得るが、50%の確率で何も得ない(合わせて2000ドルになるか、1000ドルのまま)
と提示した。グループBには「あなたがいまいくら持っているかにかかわらず、2000ドル与えられたとして、次の二つの選択肢のどちらを選ぶか」と尋ね、
(1)確実な500ドルの損失(手元には1500ドル残る)
(2)50%の確率で1000ドルを失うが、50%の確率で何も失わない(手元に1000ドル残るか、2000ドルのまま)
と提示した。
グループAでは84%が(1)(確実な利得)を、16%が(2)(より大きな利得の可能性がある)を選択し、グループBでは31%が(1)(確実な損失)を、69%が(2)(より大きな損失の可能性がある)を選択した。フレーミングが利益か損失かにより、かくも認知に差が出るのである。
これを株取引で言えば、「損失を出しているポジション(Bの(1))で手仕舞いするのではなく、利益を上げているポジション(Aの(2))を閉鎖する」、つまり「利益の少ないうちに売却し(Aの(1))、損失が増える可能性に向かう(Bの(2))」ことになる。現実の市場でも、投資取引の合理的判断(Aの(2)、Bの(1)を選択する)とは逆行する行動がごく普通に現れていることをこの実験結果は解明している。
そして、人は後になって、利益を見逃したり損失を導いた判断を合理化しようと、犯した間違いを確認する行動の回避(後悔理論)、過去の意思決定を再肯定するような変更(防衛機制)をはじめ、実に多彩な理由づけがほぼ無意識に行われる。
こうした認知バイアスは一般人だけでなく、アナリストやメディアといった情報関係者やトレーダーという市場のプロにも作用しているのである。地すべり的な乱高下を導く連鎖反応や、場合によっては「深海の怪魚が突如現れて大暴れし、忽然と姿を消す」というような極端なケースには、彼らも自覚なく加担しているのである。
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相場の心理学 |
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ラース・トゥヴェーデ=著 ダイヤモンド社 |
2001年発行 定価 2,940円 (税込) |
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| 群集心理と増幅のメカニズム |
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アメリカの経済学者による『投機バブル 根拠なき熱狂』は、九〇年代のアメリカの株式市場の高騰を、経済のファンダメンタルズの存在を認めつつ、その諸要因の分析では正当化されえない背景があったことに注目している。
心理背景には、インターネットという「印象」、経済ライバルに対する勝利「感覚」と「愛国的心情」、ビジネス的成功を尊重する「価値観」、企業寄り政権の「雰囲気」、ベビー・ブーマーの世代的「通念」、インフレ率の「象徴性」とマネー「幻想」、宝くじなどギャンブル機会の「誘惑」があった。制度的な環境には、ビジネス情報の「氾濫」、アナリスト予測が染まる「楽観色」、確定拠出型年金への「関心」、ミューチュアル・ファンドなる「コンセプト」、低手数料の証券会社や二四時間オンライン・トレーディングなどアクセスの「容易化」がある。
いずれもファジーな要素が相互に作用し、市場と参加者に「自己催眠性」を誘発する機能を帯びる。市場の非合理的側面としてくくられるこれらの要素は、いずれも何らかのかたちで日本にも見られる。
だが、この自己催眠性に対する耐性は、どれくらい学習されているのだろうか。オイル・ショックの時、人々がトイレットペーパーの買いだめに殺到する映像はいま見てもさほど違和感がない。それは行列のような特定の事象への過剰な反応、逆に驚くほどの忘却ぶりといった相似形の社会現象を以後もどこかで目にしているからである。
汚染が疑われた野菜や狂牛病騒動では「風評」の被害がいわれたが、同じ事象もフレーミング次第で伝わる内容も大きく変わりうる。そのことは当時の閣僚たちも直感はしたのだろう。テレビカメラの前でいくつかのパフォーマンスをしてみせた。しかし、いずれも効力がなかっただけでなく、その稚拙さは多くの人をあきれさせた。
残念なことに、彼らには、状況を正確に把握する能力も、受け手となる一般の人々の基本的な心理や知性を考える能力もなかったのである。
ミネラルウォーターの需要や有機野菜の人気など人々の安全や健康への意識にある潜在的なニーズや不安は省みられなかったらしい。
逆に、メッセージがそうした不安や欲求に触れるように設計されると、自己強化的にフィードバックを重ねて伝わることがある。情報の断片でも、自ら収まりのよいフレーミングや材料を見つけ、一つのストーリーにまとまりさえする。そこにブランドや「みんなが言うから」といった何らかの権威の彩色が施されると、社会的な現実味がさらに増す。
最近の我々の調査も追証しているが、日本人の価値観や社会規範は依然として集団主義的で、しかも上下意識が強い。これは多数意見やウエの見解に比較的弱いことを示唆している。
では、その頼りがちな「お上」の意思決定に、この認知バイアスを合わせると、何が見えるのだろうか。
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| お上の実態と自己責任 |
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日本の新聞記者チームによる『検証バブル 犯意なき過ち』は、まさに陶酔と失意をもたらしたバブル期前後の日本の現象を描いている。本書の登場人物の言動に、前掲書の諸々の心理概念を適用すると、彼らの思考態度が丸裸になる。幾度も軌道修正のチャンスがあったにもかかわらず、正しい情報は放置され、機会はことごとく失われた。国家の意思決定者が、まるで傍観者か解説者のような姿勢でいたことも露呈する。
金融外交の場でこの国の代表者が振り回されるさまからは、認知心理学の素養はもとより、交渉学の知識が完全に欠落していることもわかる。
判断から決定、特に実行に関わる正負の帰結は、あらゆる能力を駆使して計算しなければならないはずだ。しかしどの段階、どの選択肢にも利害が絡みつく。安易にたどり着きやすいのが現状維持、「何もしないことによるリスク回避」である。
しかし、回避できたと思っているのはアクションに伴うリスクであって、それが目立ちやすいための勘違いにすぎない。先送りが将来もたらすリスク(イナクションのリスク)は、アクションによるリスクより、見えないふりをしやすいだけなのだ。
産業構造の変化や十分予測しうる人口動態に、適切に対応してこなかった政府の負債や、バブル運用を焦げつかせた企業の負債は、いくつもの認知バイアスが複合して作用した判断と選択の結果である。
かつては、政府や官僚機構、会社、あるいは慣例や市場も含む制度といった「お上」に委ねておけばうまくいっていた時代もあったのだろう。任せたまま、自らの判断や思考を停止しても、さほど不都合はなかったのかもしれない。
しかし、目の前にはすでに別の現実がある。ずさんな意思決定に作用した心理的メカニズムの分析を明日のために資すべきである。むしろ活用せざるをえない状況に置かれているといってよい。お上が担い切れなくなった諸々を、「自己責任」の名の下に我々に投げ返してきているからだ。
ちなみに自己責任とは巧みなフレーミングである。人生設計を自分で管理することは、まともな成人には自明のことだからだ。だが、これまでどこかに任せ切りにしていた領域には、対応に必要な思考や判断のスキルは培われていないものなのだ。
この実情で自己責任をまっとうするには、判断と選択の能力がますます重要になる。認知バイアスの知識は、自らの情報処理と意思決定を改善する有効な道具となるはずだ。
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| 投機バブル 根拠なき熱狂 |
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ロバート J. シラー=著 ダイヤモンド社 |
2001年発行 定価 2,520円 (税込) |
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| 検証バブル 犯意なき過ち |
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日本経済新聞社=著 日本経済新聞社 |
2000年発行 定価 1,680円 (税込) |
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評者プロフィール |
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評者: 奥村哲史 滋賀大学 経済学部 教授 |
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1959年札幌生まれ。1990年、早稲田大学大学院博士課程修了。滋賀大学助教授を経て、2003年より現職。ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院紛争解決研究センター・フェロー、ESSECビジネススクールIRENE(欧州交渉調査教育研究所)評議員。 |
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