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| 外部費用の存在と環境汚染 |
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私たちは、直接的あるいは間接的に環境汚染物質を排出している。宅配便でモノを送れば、運ぶ過程で温暖化や大気汚染の原因となる二酸化炭素、窒素酸化物などが大気中に排出される。また、コメや肉を食べることは温暖化の原因となるメタンガスの排出を増やす。なぜなら水田や家畜はメタンガスの排出源だからである。
多くの場合、汚染物を直接排出しているのは企業である。しかし、私たちの消費とは直接的には無関係な製品であっても、それらが消費を支える中間投入製品であることを考えると、環境汚染は最終的に私たちの消費に起因していることは明らかである。すなわち、私たちは環境汚染の被害者であるが、同時に加害者なのである。
では、環境汚染によって利益を受けるのはだれだろうか。
汚染物質の排出削減には費用がかかる。しかし、排出削減しなければ企業には余分な費用が発生しないので、生産する製品コストは安くなり、その結果私たちが消費するモノの価格も安くなる。また、費用負担の少ない分大きくなる利潤は、最終的には配当として株主に分配される。このように、環境汚染の最終的な受益者は、企業というよりはむしろ私たちなのである。
私たちは普段自由な市場取引を通して消費や生産を行っている。このように自由な市場取引の場合に環境負荷が過大になるのはなぜだろうか。
消費や生産による環境汚染によって自分以外の人や企業に生じる被害を外部費用という。これには、健康回復のための医療費だけでなく、被害者やその家族が受ける精神的な苦痛などの慰謝料に相当するものも含まれる。
消費者や企業は、外部費用を発生させても、裁判によって外部費用に相当する損害賠償が請求されるならば、環境負荷を減らそうとするだろう。そのために余計な費用がかかったとしても、損害賠償などの費用負担を回避したほうが総費用負担を減らせるからである。しかし、現実には、多くの場合そのような責任を取る必要がないので、消費者や企業にとって汚染抑止的な行動を取るインセンティブは小さくなり、環境汚染は進行する。
さらに、この場合、電気自動車、自然エネルギーのような環境負荷低減技術も、環境問題の根本的な解決策として十分に機能しないだろう。高い費用が大きな障害となり、その普及や技術開発のインセンティブが弱くなるからである。
環境負荷低減技術の普及が期待できなければ、十分な投資も生じない。社会的に望ましい技術が普及しなかったり、十分な技術開発投資が実施されないならば、いくら有望な技術があっても環境問題の解決には結びつかない。
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| モラル頼みの解決策は有効か |
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環境問題の深刻化に伴い、環境にやさしいライフスタイルへの転換や環境倫理、環境教育の重要性が叫ばれている。それらの多くはリサイクルやエネルギー節約の必要性を唱えるだけの、人々の良心、モラル頼みに終始している。
環境負荷低減には不便や費用負担が伴う。そのため環境保全的な行動が社会、あるいは将来世代に大きな利益を生むとわかっていても、それに伴う負担が大きいほど、環境保全行動を取る人や企業の割合は低下する。
また、環境保全行動によって生じる利益は自分だけでなく他者にも及び、他者の環境保全行動によって生じる利益はその本人だけでなく自分にも及ぶ。そのため、自分が環境保全行動を取るより、他者の環境保全行動にタダ乗りしようとする誘因が存在する。
教育によって人々の考え方や価値観を環境保全型に変えていくことの重要性は改めて言うまでもない。しかし、一部の人々や企業の行動を変えることができたとしても、すべての人々、企業の行動を変えることはできない。環境を汚染し続ける人がいる限り、多くの人々が環境保全的に行動しても環境は依然として改善しない。
このように対策の実効性の観点から見ると、人々の良心やモラル頼みの環境保全対策の有効性には疑問がある。なぜなら、一部の良心的な人々や企業の負担を重くし、そうでない人々や企業を相対的に有利にすることになり、ますます環境保全を困難にするからである。
経済発展によって生じる生活水準の向上と環境保全はトレードオフの関係にある。このため極端な文明論のなかには、現在の消費生活を否定し、江戸時代の生活への回帰や自給自足の生活を推奨するものがある。
もちろん江戸時代の豊かな環境や、個人的にそのような生活を実践することの意義を否定はしない。しかし、社会全体がこのような方向を志向することが私たちにとって有益であるとは思えない。
大量消費を可能にする生活水準の向上は高環境負荷の要因となるが、医療の発展による生命の安全性向上のように、生活の質という豊かさを提供するという側面を持つ。したがって生命の危機が生じる場合は別として、生活水準の向上のためにある程度の環境負荷を許容する必要があるだろう。
では、どの程度まで環境負荷を減らすのが望ましいだろうか。
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| 重要な外部費用の内部化 |
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環境負荷を最適な水準に抑制する方策の一つに、外部費用の内部化という考え方がある。これは、消費や生産によって生じる外部費用を発生者自らに負担させるものだ。
外部費用を内部化すると、環境負荷の発生者は、その発生を減らすように努力をする。同時にこのような費用負担の増加によって、さまざまな製品やサービスの価格が上昇するので、過剰な消費や生産も抑えられ、環境負荷が減少する。
具体策としては、環境税の導入がある。これは環境負荷の発生者に対して、汚染物質排出量などに応じて税金を課すという方法である。環境税が規制に比べて優れているのは、市場メカニズムが持つ望ましい機能を利用している点にある。
では、どうして市場メカニズムを利用することが望ましいのだろうか。
汚染物質排出量に応じて課税する環境税が導入されると、排出量の少ない企業の税負担は小さいため、製品価格の上昇は小さく、そうでない企業の製品価格の上昇は大きくなる。この結果、企業間の価格競争を通して、環境負荷の大きい生産システムを備える企業の生産は減少するため市場シェアも縮小し、そうでない企業の生産はあまり減少しないため、市場シェアは相対的に拡大する。
このプロセスを経て、環境負荷の小さい企業の排出量は相対的に大きくなり、そうでない企業の排出量は相対的に小さくなるので、社会全体の生産量の低下が最小限に抑えられる。
一方、政府が総量規制などの法的規制によって、各企業の汚染物質排出量などの環境負荷を直接コントロールする方法もある。
この場合、排出削減の能力と費用は企業によって異なるため、政府は企業ごとに汚染物質排出量の上限を設定することとなる。しかし、政府による規制は柔軟性に欠け、各企業への効率的な排出量の設定は期待できない。
環境税は、市場メカニズムの利点を生かすことで、社会全体の生産の低下を最小限に抑えることができる点で優れており、効率的な対策なのである。
これに対して、「税金さえ払えば汚染物質の排出を認めるのは誤った考え方だ」と言う環境保護派は多い。
この点に関して『環境問題の考え方』は、環境庁(現環境省)に設けられた「地球温暖化防止のためのライフスタイル検討会」の報告書を批判したうえで、外部費用の内部化を目指した政策立案の重要性を指摘している。
本書によると、欧米諸国では環境保全型社会システム構築に向け、外部費用を内部化する取り組みとして「汚染者支払原則」の適用が少しずつ進んでいるという。
にもかかわらず、同検討会ではそのような動きや適用の可能性について何も言及しておらず、市場メカニズムを利用することによって持続的に環境保全行動のインセンティブを与える社会システム構築の必要性の認識が不足しているという。
経済活動とライフスタイルの関連を考えない対策は人々の良心やモラル頼みの政策であり、同書が懸念するように、「底流を無視した枝葉末節の議論に終始する危険がある」。
環境税の狙いは、汚染物質の排出によって他人(将来世代を含む)に被害を与えれば、自分の不利益も大きくなるような社会システムを構築することにある。このようなシステムを構築すれば、自分の利益のみを追求する個人や企業であっても、環境汚染を抑制する行動を取る誘因が生まれる。
環境税は、市場の外にある環境問題を人々や企業の意思決定に取り込み、彼らのインセンティブの歪みを修正することによって、ライフスタイルや生産構造、産業構造を環境低負荷型に誘導したり、環境保全技術の導入を促し、環境保全型社会の構築を促進する機能を持つ。外部費用を発生させているにもかかわらず、その費用負担を求めないことこそが、むしろ環境保全型社会システムの構築を妨げる大きな要因なのである。
もっとも、環境税による負担の増加は倒産による失業を増加させたり、炭素税(環境税の一種)のように、エネルギー価格を上昇させる課税は逆進性を持つなどの可能性はある。
しかし、この点については、天野氏が本書で述べているように、英国における気候変動税の工夫や他の税制改革を組み合わせることによって回避することができる。
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| 環境問題の考え方 |
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天野明弘=著 関西学院大学出版会 |
2003年発行 定価 2,100円 (税込) |
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| 企業の自主的な環境保全活動と情報開示 |
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『スッキリ! 日本経済入門』は社会問題を解明し、解決策を明らかにするために必要となる重要な一五の法則を示している。本書のなかで一貫しているのは、市場メカニズムという競争原理の活用と情報開示が社会問題を解決していくうえで重要な役割を果たすという点である。
著者が示した一五の法則のうち、特に、「スミスの法則」「規制の法則」「自己負担の法則」「ただ酒の法則」「自己負担によるモラルハザード防止の法則」「情報開示の法則」「経済政策の基本法則」は、環境問題を考えるうえで重要な視点を提供している。
本書で紹介される法則を環境に当てはめると、企業間の歪んだ市場競争を是正する手段として市場メカニズムに加えて、情報開示が重要なカギを握ることが理解できる。
たとえば、環境負荷低減に取り組まない企業には、将来、環境問題が発生した場合に損害賠償責任が発生する可能性が高い。また、将来環境政策が強化された時、その対処のために企業の費用負担は大きくなる。もし環境負荷に関する情報が開示されていれば、投資家が、このような企業の将来の収益低下の可能性を考慮する結果、環境負荷の低減に取り組まない企業の株価は低下し、積極的に取り組む企業の株価は上昇するかもしれない。
さらに、このことが、企業の環境負荷に関する市場の評価は、企業が環境低負荷的な行動を取るインセンティブを強める可能性がある。なぜなら、そうすることによって企業は資金調達が容易になるからである。
環境経済学における最近の実証研究(主にアメリカの研究)は、企業の環境負荷に関する情報開示が企業に環境保全的な行動を取るインセンティブを与えることや、株式市場が環境負荷の小さい企業を高く評価することなどを定量的に明らかにしている。
このように、環境負荷などに関する企業情報の開示は、市場メカニズムに企業の自主的な環境低負荷的行動を促進する機能を持たせるという点で大きな意義を持っている。 実効性のある具体的な解決策を立案するには、市場メカニズムと情報開示を有効に組み合わせながら、有効性、効率性、対費用効果性の観点から環境保全のための制度的枠組みや環境政策を検討することが必要である。
『廃棄物と汚染の政治経済学』は「廃棄物と汚染」に焦点を当て、社会的制度改革の観点から、歴史的分析や諸外国との制度比較によって、日本の環境政策の問題点を明らかに示し、具体的な解決策を提示している。
たとえば、廃棄物政策に関して、使い捨ての経済社会構造から循環型の経済社会構造への変革を促進したドイツの例を取り上げている。
ドイツの廃棄物法制は、処理→回避・処理→循環経済と変遷するなかで、「利用廃棄物」と「処分廃棄物」を区別するシステムを構築した。その特徴は、拡大生産者責任という概念を制度に組み込んでいることにある。
このため、公共機関が市民全体の費用負担で廃棄物を回収・処理するのではなく、製造業者にその責任を負わせている。それによって廃棄物をできるだけ環境に調和させる再処理・処分策が講じられ、循環型社会構造が構築されるのだ。
日本でも、容器包装リサイクル法などのように、拡大生産者責任を適用した制度が導入されるようになってきた。しかし、製造業者の責任は限定的なものになっており、依然として行政や市民による費用負担の部分が大きい。
本書における諸外国の廃棄物政策についての考察は、実効性の高い政策を立案するための方法を示唆してくれている。
環境問題は、生命と健康に関わる問題であると同時に経済問題でもある。環境と経済を両立させる社会を実現していくために、有効性、効率性、対費用効果性の高い対策を実施する時に来ている。
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| スッキリ! 日本経済入門 |
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岩田規久男=著 日本経済新聞社 |
2003年発行 定価 1,575円 (税込) |
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| 廃棄物と汚染の政治経済学 |
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吉田文和=著 岩波書店 |
1998年発行 定価 4,200円 (税込) |
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評者プロフィール |
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評者: 日引 聡 国立環境研究所 主任研究員 |
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1985年、上智大学経済学部卒業。90年、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。国立公害(現、環境)研究所研究員、バッテル研究所、イリノイ大学シカゴ校客員研究員等を経て、96年より現職。99年より東京工業大学大学院社会理工学研究科助教授。専攻は環境経済学。著書に『入門 環境経済学』(共著、中央公論新社)、『地球環境の政治経済学』(共著、ダイヤモンド社)などがある。 |
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