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| 戦略の時間感覚 |
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経営戦略とは、どのくらいの時間単位で物事を考えるものなのであろうか。たとえば、月単位の戦略などありえるのか。それとも年単位で考えるものなのか。それでも短すぎるのか。
戦略そのものを論じる本は数多くあるが、戦略にまつわる因果関係の時間感覚を明示的に論じる本は意外と少ない。本稿では、そういう時間感覚について何らかのヒントをくれる本を三冊紹介したい。
結論を先に述べると、私は、戦略とは非常に息の長い企てだと考えている。企業経営の現実においては、三年程度をにらんだ中期計画、または五年程度を見越した長期計画が戦略を論じる場になっているようである。世のなか(市場や技術)の変化が早いので、それ以上の期間を対象に議論を重ねても意味がないということであろう。
こうした見解は、戦略を、組織として記す計画と取り違えるから生まれる誤解にすぎない。本当の戦略とは、合議や予測、そして長期を超越するところ、すなわち通常の知的推論の範囲を超える次元にあるのではなかろうか。
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| 戦略は計画にあらず |
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戦略と計画の違いの対比について、決定版ともいえるのがヘンリー・ミンツバーグの『「戦略計画」 創造的破壊の時代』である。原題を忠実に翻訳すれば、「戦略計画の興亡」となり、特に「亡」の字に当たる単語が強調されている。戦略計画という表現は日本語として聞き慣れないが、大企業における事業計画のことと解釈すれば間違いないであろう。ビジネスプランという言葉がもっぱらベンチャー向けに使われるようになったため、言葉の差別化がなされたと思えばよい。したがって「事業計画に対する期待の高まりと失望」というあたりに、本書の真意があることになる。
事業計画とは、売上げや利益に関する明確な数値目標を掲げ、それを達成するために必要な手段を総合的に検討したうえで、だれがいつまでに何をするのか定めた文書を指す。定期的に事業部門ごとに策定され、本社による調整を経たうえで、社長が最終承認を与えることになっている。このサイクルを年度ごとに回すのが年次計画で、ここでは月次の予算が確定する。
事業環境の変化を織り込むために、年次計画は半期が経過した時点で見直しを受けるのが普通であろう。多くの企業は年次計画とは別に、本質的には同じプロセスを概括的に複数年度にまたがって回している。三年サイクルのものを中期計画、五年サイクルのものを長期計画と呼ぶのが一般的である。
大企業の経営は、事業計画抜きでは考えられない。事業計画こそが、国境をまたぐ巨大企業の出現を可能にしたと言ってもよい。巨大企業は、多様な事業を内包するようになり、社長一人ですべてを掌握し、意思決定を下すことは不可能になる。社長は、各事業の専任者に権限を委譲せざるをえない。
その代わり、社長には新たな責務が生じる。全社の経営資源を事業部門間で適切に配分し、個々の事業を統治するのである。この新たな使命を首尾よく果たすには、それぞれの事業部門が何を企て、どれだけの経営資源を必要とし、いかほどのリターンを上げるのかが事前にわかれば好都合極まりない。社長は計画を元に資源を配分し、計画と実績の乖離だけを監視すればよいからである。これを可能にするのが事業計画にほかならない。
事業計画は、社長が司る企業経営のみならず、社長から権限の委譲を受けた専任者が司る事業経営にも役に立つ。事業は、いったん成熟してしまうと惰性に陥りやすい。これまで成功してきたやり方というものがあり、あえてそれと違うことをする理由がないからである。
しかしながら、ただ回すだけという状態を長く続けると、組織は沈滞し、事業も打開しがたいジリ貧に突入していく。これを防ぐためには、能動的に目標を立て、日々自らの目標に挑戦するという気構えが有効になる。これも、事業計画が担う役割であろう。
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| 戦略に合理性を求める非合理 |
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ミンツバーグは、この事業計画を正面から否定するわけではない。彼が主張するのは、プランニング(事業計画を策定するという制度化されたプロセス)と、プランすること(企業、または事業の将来に思いを馳せるという営為)は別物なり、という点である。戦略は後者に含まれるので、事業計画と戦略は互いに独立ということになる。わかりやすく言えば、事業計画があっても戦略があるとは限らないし、事業計画がなくても戦略があるということは十分に考えられる、ということだ。それを承知のうえで事業計画を練る分には、何ら問題はない。
ミンツバーグが積極的に攻撃するのは、事業計画を無用に精緻化することと、その挙げ句の果てに分厚いバインダーに綴じられた事業計画を戦略と勘違いする愚挙である。彼によると、戦略とは人が抱くインフォーマルな直感であり、およそ人間が行う認知や社会行為のうちで最も高度かつ複雑なプロセスを経て形成される。潜在意識のなかで生まれることも珍しくない。したがって、戦略に合理を求めること自体が非合理なのである。
癖のある人間や再現性に欠ける直感を、非人間的な制度や手続きで置き換えると頭の硬い人は安心するかもしれないが、そうして生まれるのは分析と計画だけである。プランニングをいくら精緻化しても戦略は生まれないし、むしろ戦略を阻害することすら起こりうる。これが、ミンツバーグの主張するところである。
よい戦略とは、事後に見れば合理的でも、事前には非合理的と映るものである。『「バカな」と「なるほど」--経営成功のキメ手!』(吉原英樹、東洋経済新報社)が指摘するとおりである。ここに罠が潜んでいる。企業の成功を事後的に説明する、または戦略とは何かを一般的に説明するとなると、どうしても人は論理や分析に頼ってしまう。ありたい姿と現状のギャップ分析、SWOT分析、PPM分析などは、だからこそ生きながらえるのであろう。こんなに機械的で単純なものを本当に戦略と呼んでよいのだろうかと頭の片隅で疑問を覚えながらも、簡便さには抗しがたいのだ。こういう非合理を見逃さない点においては、ミンツバーグは天才的な冴えを見せる人である。
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| 「戦略計画」創造的破壊の時代 |
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ヘンリー・ミンツバーグ=著 中村元一=監訳 黒田哲彦・崔 大龍・小高照男=訳 産能大学出版部 |
1997年発行 定価 3,990円 (税込) |
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| 戦略は大局判断なり |
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戦略が定期的かつ組織的につくられるものではないとすると、いったいこれをどうとらえればよいのであろうか。この疑問に答えるのが、岡崎久彦の『戦略的思考とは何か』である。外務省の初代情報調査局長、そしてサウジアラビアとタイの大使を務めた日本の外交官が国家戦略を論じた本で新書版ではあるが、決して単行本に劣らない内容を持っている。
岡崎によれば、戦略とは大局的な判断のことであり、そのベースになる基本的な情勢認識を普段から磨くことが戦略的思考ということになる。ここで言う大局的な判断とは、日々下すようなものではなく、いったん出来上がるとその後数十年にわたって存続するような、基本的な枠組みの設定に関わるものである。外交の文脈で言えば、日英同盟や日米安保条約がそういう大きな枠組みに相当する。
この意味での戦略が悪いと、戦術的によく戦えば戦うほど結果が裏目に出ることすらあり、国家は苦況を免れえない。逆に戦略さえよければ、戦術的な間違いはやり直せばよいという。
事例を見てみよう。太平洋戦争に日本がなぜ負けたのかは、いまでも大きな関心を呼ぶ話題である。PCでタイトル検索をかけると、五〇〇冊を超える本がヒットする。そのなかに日本の敗因と銘打ってNHKの取材班が出した六冊シリーズの本がある。それによると、(1)太平洋シーレーンを確保する合理的全体計画がないままに戦争に突入したこと、(2)精神主義に蝕まれ組織学習ができなかったこと、(3)兵器思想に劣ったこと、(4)失敗の責任が問われなかったこと、(5)占領地をうまく統治できなかったこと、(6)和平工作をソ連に託そうとするほどまでに外交感覚が麻痺していたこと、に日本の敗因はあるという。きわめて常識的な見解といえよう。
これに対して岡崎は、何と太平洋戦争開戦にさかのぼること三七年、日露戦争の終わり方に敗因を求めるのである。ロシアから見れば、後退しながらでも敵の主力の損耗を図り、日本軍を完全に圧倒できる体制ができてから反攻に転ずるつもりであったところ、国内の統治が優先課題として持ち上がったので講和に応じたにすぎない。
これを、日本は誤解した。個別の戦闘で成果を上げれば、相手が大国でも日本に有利な講和に持ち込めると受け止めたのである。そして日本は戦後処理を間違えた。講和で日本が手に入れた東清鉄道の共同経営をアメリカが申し入れてきた時、明治維新第二世代の小村寿太郎がこれを拒絶したのである。
それ以降、日本はアメリカとソ連と中国を同時に敵に回すことになった。岡崎が指摘する致命的な戦略過誤である。他方で、戦闘能力重視の決戦思想が独り歩きを始め、日本軍の装備や兵器、組織や人事に色濃い影響を及ぼしていった。戦略的な過誤がなければ、それでも取り返しがきいたかもしれない。大枠の戦略を間違えたうえに、戦術まで間違えれば、結果は火を見るより明らかということになる。それが太平洋戦争の敗北であり、そのプロセスで払うに至った多大なる犠牲である。
大局判断としての戦略を間違えないようにするためには、確たる世界観を拠り所にするしかない。星の数ほど下す判断のうち、どれが勝負所となるかは必ずしも事前にわからないからである。そうなると分析では追いつかない。むしろ総合的な判断力を支える基本認識がモノを言うことになる。
経営の文脈で言えば、どういう事業が収益を生むのか、組織や人はどう動くのか、事業環境はどう変わっていくのかといった、こういう事業観、組織観、人間観、技術観、市場観、歴史観が大切になるのであろう。こういう世界観があやふやでは、一〇年を超える時間単位で巡る因果をとうてい見渡せるものではない。
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| 戦略は万能ならず |
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戦略を超長期でとらえ始めると、初期条件の重要性を無視するわけにはいかなくなる。この点を雄弁に示すのがジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』である。ピュリッツァー賞を受賞した、学究のロマンを感じさせる大作である。
本書は、進化生物学者の手による国富論であるところがおもしろい。富める国と貧する国が同時代に並存することは実利に絡む謎であり、多くの学者が説明を試みてきたところである。なかでも古典と目されるアダム・スミスの著作は富の源泉を分業に基づく生産性の向上に求め、分業の深さを決める市場の大きさが国富のカギを握ると説いた。
では、ひるがえって市場の大きさは何で決まるのであろうか。ヨーロッパの国々の間では政策の巧拙という答えが現実味を持つのかもしれないが、ヨーロッパとアフリカの格差を同じ切り口で説明するには無理があると言わざるをえない。
ここで登場するのが文明論である。それによると、鉄を手に入れた文明が早くから興隆し、未開文明の勢力を技術進歩の証である銃か、家畜飼育の証である病原菌の威力で抑圧したという。
ダイアモンドは、そこで問う。早くから栄えた文明が、なぜ北半球のユーラシア大陸の一定の緯度帯に集中しているのか。彼の答えは、大自然の前における人間の小ささを感じさせるものである。文明が栄えたのは、最も食用に適した穀類と飼育に適した大型哺乳動物がたまたま自生していた地域であったという。そして気候条件が変わる南北の移動は困難で、有用な植物や動物はまず東西に伝播したというのだ。
ここには人間の能力や工夫の入り込む余地はまったくない。まさに自然の初期条件が人類史を事前に形づくっていたことになる。スミスより数千年も前に視点を移した答えがここにある。
経営戦略にも、これと似た側面があるのかもしれない。我々は人の力で企業の業績をいくらでも変えられるものと思い込みがちである。しかし、より大きな視点に立てば、実はすでに決まった命運のなかで右往左往しているだけという可能性がありえる。
実際に企業経営の現実に身を置けばわかることであるが、企業は自由に何でもできるというわけではない。過去に蓄積された制約条件のなかでしか身動きが取れないのが普通である。だとすると、企業のそもそもの成り立ちがその後の命運を多かれ少なかれ決めているとも考えられる。トヨタとホンダ、松下とソニーの対比を見れば、あながち否定できない可能性であろう。
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| よい戦略を立てるには |
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こうして見ると、経営者が大きな因果関係の働きを知ることが、よい戦略の前提になっているように思われる。短い因果関係の理解しか持たない人たちを縛る通念や俗説の虚を衝くからこそ線の太い差別化が可能になり、他社の追随を許さない成功が生まれるのである。したがって良い戦略は、長い因果関係を知れば合理である一方、普通の人には非合理と映らなければならない。これが戦略の妙といえよう。戦略を立てるには、どうしても一〇年を超える時間単位を見据える直感的な透視力が必要となるのである。
よい戦略を立てることのできる経営者を生むためには、一方で市場や組織の現実を深く知る場を持つと同時に、他方で雑音に踊らされない原理原則の理解を養うことが肝心であろう。日本でもようやく経営者教育が盛んになる兆しが見られるが、その内容が分析志向や分業志向になってはむしろ逆効果になりかねない。心してかかるべきであろう。
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| 戦略的思考とは何か |
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岡崎久彦=著 中央公論新社 |
1983年発行 定価 798円 (税込) |
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| 銃・病原菌・鉄(上・下巻) |
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ジャレド・ダイアモンド=著 倉骨 彰=訳 草思社 |
2000年発行 定価 1,995円 (税込) |
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評者プロフィール |
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評者: 三品和広 神戸大学大学院 経営学研究科 助教授 |
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1982年一橋大学商学部卒業、84年同大学大学院商学研究科修士課程修了、89年ハーバード大学文理大学院博士課程修了、同大学ビジネススクール助教授。北陸先端技術大学院大学知識科学研究科助教授を経て、2002年より現職。専攻は経営戦略。最近の論文に「日本企業の戦略不全症」(『一橋ビジネスレビュー』2002年夏号、東洋経済新報社)がある。 |
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