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| 経営学を倫理学の視点で見る |
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企業不祥事の発覚、倒産、リストラ、果ては経営者の自殺など、現在、日本企業を取り巻く環境には試練がつきまとう。ビジネスの世界では、一から出直しを余儀なくされることも多々ある。
そのような逆境を跳ね返すだけの精神力を培うためには、経営学の領域に、倫理学の視点を醸成することが急務である。
私は哲学・倫理学を専攻したが、企業倫理(business ethics)という新学問領域の研究から経営分野に入った。日本では経済学や組織論などをディシプリンとする経営学者が圧倒的に多いのだが、哲学・倫理学的観点から企業経営を考察しなければ見えてこない課題も多い。
たとえば最近の不祥事などを見ても、短期的な利益や効率性だけを見て、倫理や企業の社会的責任の視点が抜け落ちていたために、企業そのものの存続が危うくなるという例が増えている。
その意味では、今後、哲学や歴史など人文系の学問を修めた人々が、企業経営の研究に携わることが望まれる。
企業経営における哲学や倫理の重要性は日本でも序々に認識されるようになってきたが、経済が閉塞し企業も個人も先の見えない不安に包まれている現状では特に重要である。それは、哲学・倫理学が精神と価値観を鍛え上げ、人間理解を深める学問であるからだ。企業経営においても価値観を共有することが重要であり、逆境の時にこそ一人ひとりの人間を支え、成員の精神的ベクトルを同方向に向け、新たなパースペクティブをひらくリーダーシップが必要となるからである。
私はここで戦時中のようないわゆる「精神論」や「スポ根」と呼ばれる理に適わない根性主義などを復活させようというわけではない。これらは言わば「センチメンタルな精神論」、「誤った精神主義」であり、真の意味での精神的強さを示すものではない。
精神の強さは山あり谷ありの人生を生き抜くうえで必要不可欠であり、冷静な合理性と普遍的な倫理性に裏打ちされた信念体系であるともいえる。合理性と倫理性は企業経営だけでなく、歴史的に永続するすべての営為の必要条件だ。
合理性と倫理性にあふれる精神を鍛えるためにはいくつかの方法がある。哲学や倫理学の古典と呼ばれる堅い書物を読破し、討論を通じてその理解を深めるやり方がその一つである。
great booksと呼ばれるこの方法は、アメリカの大学では教養教育の方法として長年行われてきた。最近日本にも、「古典」を媒介にした知的交流を図るべく活動を展開している「アスペン研究所」の支部が出来た。同研究所では、経営幹部候補を集めて一週間ほどの合宿で集中的にこれを行っている。
そしてもう一つの方法が、強靱な精神と信念を貫いて生きた人物の実例を通して学ぶ方法である。本稿では、この観点から書籍を取り上げたい。

奉仕の精神を利益につなげ

『企業のすべては人に始まる』の原題はThe Soul of the Firm(企業の魂)である。著者ウィリアム・ポラードは弁護士であり、シカゴ郊外の名門ホィートン大学で教鞭を執った経歴の持ち主だが、清掃業務を行うサービスマスターに経営者として招き入れられる。本書には、彼がさまざまな経験を経て同社を世界有数のサービス産業の雄に育て上げた過程が記されている。
エリート中のエリートであったポラードはサービスマスター入社後、会社の方針に従った研修を受けた。その体験はその後の経営哲学に結晶していく。
サービスマスターは、いまでこそサービス産業のお手本のように扱われているが、その業務内容はビルや家庭の清掃、害虫駆除など地味な業務であり、だれもやりたがらない、いわゆる三K仕事ばかりである。
彼は副社長として入社したが、研修期間中、清掃の現場に行った。大勢の人が行き来する病院の廊下の床磨きをするために、一般従業員と同じ清掃用ユニフォームを着てモップを使っていると、たまたま通りかかった知人の婦人が立ち止まり声をかけてきた。その時、「もっとましな仕事はないのか」と言いたげなさげすみと憐みの混ざった視線を忘れることができないとポラードは語っている。
ある意味屈辱的なこの経験を、ポラードは貴重な「人間学習」として回顧している。たしかにその後二〇年間で二〇倍にも成長したサービスマスターの原点は、この体験にあったのではないかと思う。
日本でも現場を巡っている経営者などザラだと言われるかも知れないが、ただ現場巡回をするだけではなく、それを「奉仕者としての指導者」(servant leadership)の経営哲学にまで深めた点に注目したい。トップが現場回りをすると何がわかるのか。仕事の最前線にいる人間を理解できるようになる。その人間とは顧客であり、顧客が何を求めているかがわかるのである。
また、従業員を一人の人間として理解し、彼らのニーズと可能性を理解することもできる。さらにどんなにつまらないルーティンワークに見える仕事であっても、現場に立てばそこには必ず改善の余地がある。そして現場の苦しみを実際に知っている人がリーダーであるということだけでも従業員の励みになる。
こうした日本の現場主義と呼応するような経営哲学を、アメリカの大企業の経営者が説いている点が興味深い。
サービスマスターの社訓は、大変にシンプルである。
何をするにも神を敬おう
互いに助け合って成長しよう
つねに一つ上を目指そう
より大きな利益をもとめよう
これらは奉仕者として現場で仲間と共に汗を流したポラードが語るからこそ重みが増す。
そして、「何をするにも神を敬おう」という彼の信仰は、「互いに助け合って成長しよう」という隣人愛の精神につながり、「常に一つ上を目指そう」という勤勉さと向上心のプロテスタント倫理は、結果として「より大きな利益を」大胆に求める経営哲学に結実している。
「だれでも人の上に立ちたいと思う者は、仕える者となれ」という一見すると逆説的な聖書の言葉は、サービス・ビジネスにおける最新のリーダーシップ論の原則として、現代でも十分に通用することを本書は教えてくれる。
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| 逆境を支える精神 |
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こうした聖書の言葉を堅く信じて、屈辱や逆境を跳ね返した経営者は日本にも存在する。『ビジネスと人生と聖書』の著者三谷康人は、五〇年に及ぶカネボウでのビジネスマン生活で、幾度となく左遷、降格を経験しつつも最後はカネボウグループのナンバー2の地位に就いた。
長い歴史を持つ日本の大企業には独自の慣習やしきたりなど特有の体質がある。日本人は波風を立てることを恐れ、しきたりに問題があるとわかっていてもあえてそれに楯突くようなことはしたがらない。組織の和を尊重して事なかれ主義に堕していく。
ところが、表では「会社のため」「組織の和」などと言いながらも、裏では激しい出世競争が繰り広げられている。保身と内部派閥のセクショナリズムで身動きができなくなってしまっている組織も多い。
三谷はこうした状況に流されることなく、原理・原則を忠実に守ったがゆえに、時には会社の方針とぶつかり、上司に睨まれ、周囲の人々からも白い目で見られたそうである。
三回も左遷、降格させられれば、通常は自暴自棄になり、失望してその組織を辞めるだろう。やってダメならさっさと見切りをつけて転職するのが最近の傾向だ。
しかし本書は、転職しなくても四面楚歌の職場環境のなかで人生の途を切り開く方法があることを明確に示している。チャレンジや困難に直面することによって、人は成長循環に乗ることができるという。ただし、それには三つのポイントがある。
第一はチャレンジに際して、常に高い目標を掲げることである。三谷は五〇歳になってそれまで経験したことのない営業の最前線に送り込まれた。この人事自体、首をかしげたくなるものであるが、現場の人間も「営業がど素人の三谷さん、お手並み拝見いたします」という態度だったそうだ。
三谷は、〈八味地黄丸〉の売上実績の五倍に当たる月間売上高一億円という大目標を掲げ、並みいる営業の強者どもの猛反対を押し切り一年半後にその目標を達成してしまう。周到に計画され、強固な信念によって逆転勝利を収めるエピソードは実に痛快である。
第二のポイントは困難にぶつかった時、ピンチをチャンスに変えるのだというポジティブ思考で臨むところである。難題こそ成長へのチャンスと考える肯定的な姿勢と、健全なオプティミズムがなければ前進も進歩も生まれないと三谷は説く。
そして人生における困難はだれにでも必ず起こり、チャレンジは生涯続くものとしたうえで、不変の真理に基づく人生観を持つことが何よりも重要なポイントとなる。
三谷の場合、聖書が人生観の基礎となった。彼にとって聖書の言葉は、ビジネスマン人生の危機を乗り越える平安と力とを与えるものであり、「汝の敵を愛せよ」という赦しの愛は、悪意に満ちた行為を取った職場内の敵をも赦す原動力となった。
さらに、ドラッカーの説く「顧客の創造」という経営の原点も「何事でも、人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのようにせよ」という黄金律に通じ、ここに「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」というキリスト教の愛から始まる信仰と、利益を求めるビジネスの二つが一体のものになる。
ビジネスと信仰、ビジネスと倫理という組み合わせは水と油でまったく無関係、あるいは混ぜないほうがいいという見解が大多数を占める。しかし、これら二つが両立可能であるばかりか、経営に携わる者に確固とした精神的確信がないならば、部下もついてこないし、ビジネスそのものも危ういものとなることを本書は示している。
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| 合理性と倫理性の融合 |
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『経営学』の著者は言わずと知れたヤマト運輸元会長の小倉昌男氏である。先述の三谷が主に社内での逆境を克服していったのに対し、小倉は行政を相手にした闘いを勝ち抜いてきた。
本来、行政は国民の利便を増進するために仕事をするものであるべきなのに、許認可の権限を持つことが目的と化した。経済や社会の変化の実態を知らない者が行政指導を行い、挙げ句の果ては結果に責任を持たない、と小倉の官僚に対する批判は厳しい。その批判の矛先は、役人の行政指導にさえ従っていれば業界の秩序が保たれ、会社も安泰と考えている自立精神の欠けた経営者に対しても向けられる。
有名な話ではあるが、ヤマト運輸が宅急便の全国展開をしようとした時、路線トラックの免許申請が各地で長年棚ざらしにされるという事態が起きた。背景には、競争の激化を恐れた既存業者の反対もあったようだが、本来消費者の便益を考えるべき行政が業者の既得権益保護ばかりを考えている。これに激怒した小倉は、当時の運輸省を相手に前代未聞の行政訴訟を起こす。運輸省は免許を出さざるをえなくなった。
宅急便Pサイズという小型サービスを開始する際もなかなか許可が下りず、新聞の全面広告を打って対抗した。小倉の「官僚と闘う男」のイメージは、この頃から定着し始めた。
こうした小倉の行動を単なる官僚嫌いとか反骨などといった言葉で括ってはならない。背後に、徹底した合理性の追求と高い倫理観があっての行動である。そこから筋の通らないこと、理不尽な自由制限などに対する論理的な異議申し立てが始まっている。
小倉によれば、「経営は論理の積み重ね」であり、顧客や従業員に対する「まごころ」と「思いやり」の心である。合理性と倫理性に支えられた確固たる信念があるからこそ、行政や政治家に頼らない自立した攻めの経営が可能なのであり、時代の風をつかんだ新しい事業へのチャレンジも可能となるのだ。
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| 超越の視点と精神の強さ |
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彼ら三人の経営者にはいくつかの共通点がある。三人とも理不尽な妨害、組織の冷遇などの試練や逆風を逆手に取って、それを成功の好循環に乗せている。まさに「ピンチはチャンス」であり、「マイナスはプラスへの転換点」だ。それを導くポイントは、仕事や自分を取り巻く環境に対する視点の転換にある。
さらに、現場を重視し、現場を歩くことによって考え方を確固たる信念の域にまで高めている。顧客や従業員を人間として重視すること、顧客や従業員の声やニーズに耳を傾ける姿勢も「人間学習」の場としての地道な現場回りから得られた洞察である。
また三人とも、信仰を精神の拠り所としていた点も共通である。この宗教観が、ビジネスを達観する超越の視点をもたらした。
三人の経営者の体験は、愛、倫理、思いやりといった従来はビジネスの世界とは無縁とされていた言葉が企業経営の本質とつながっていることを証明すると共に、二一世紀の新たな企業像を示唆する生きた証であるように思えてならない。
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| ビジネスと人生と聖書 |
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三谷康人=著 いのちのことば社 サイトブックス |
2002年発行 定価 1,680円 (税込) |
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| 小倉昌男 経営学 |
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小倉昌男=著 日経BP社 |
1999年発行 定価 1,470円 (税込) |
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評者プロフィール |
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評者: 梅津 光弘 慶應義塾大学 商学部 専任講師 |
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1980年、慶應義塾大学文学部卒業。92年、シカゴロヨラ大学大学院博士課程修了。Ph.D.(企業倫理学)。2003年4月より現職。慶應ビジネススクール専任講師、経営倫理実践研究センター主任研究員、東京電力企業倫理委員なども務める。著書・訳書に『ビジネスの倫理学』(丸善)、『ハーバードのケースで学ぶ企業倫理』(慶應義塾大学出版会)、『企業倫理学』(晃洋書房)などがある。 |
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