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| 制度的教育の反省 |
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大学で経営学を教えていて、虚しさを感じる時がある。
高校を出たばかりで、就業経験のない学生たちを前に、いったい何を教えるべきか。学生の側も経営理論に関する知識を次々と教えられるだけでは、すぐにやる気を失う。教授は「いまの学生は勉強する気がない」と嘆いて、ますます授業をないがしろにする。この悪循環から抜け出す道はあるのだろうか。
ここ何年か、ある企業でインターンシップを体験した学生は違った目つきで帰ってくることに気づいていた。そこで昨2004年、何日か私も参加させてもらった。
その企業では、「自分探し」からインターンシップ・プログラムが始まる。学生たちは自分自身を見つめ直し、組織のなかの人たちと交流しながら、たとえば「働くということの意味は何なのか」と問い、また同時に自分自身にも問う。10日間、自分の「内面」に語り続けるのである。それを他の学生たちと一緒に行う。
この協働の過程で、互いの内面は開放され、他者とつながり、プログラムの後半には一種の共同体が姿を現す。ただし、期間が短いため、共同体が芽生えた頃には、各人に複雑な喜怒哀楽の余韻を残しつつ、プログラムは終了する。
ここで考えさせられることは、学習主体の内面性や自主性を無視して、一方的に知識を付与する教育の限界である。このことは、企業研修にも当てはまるのではないか。近年、コーポレート・ユニバーシティ(企業内大学)を創設するなど、日本の大手企業はアメリカ企業に追随して「制度的教育研修」を重視する傾向を強めている。しかし、単なる知識教育以上の何か、社員と共有すべき、もっと価値ある何かがあるように思えてならない。

ポストモダンの思想とエンパワーメント

人の内面を軽視する傾向は、欧米よりも日本のほうが強いかもしれない。たとえば、日本ではカウンセリングを受ける人はいまでも偏見のまなざしで見られる。日本の企業文化はきわめて「男性的」であり、したがって内面的不安を訴える者は企業戦士からの脱落者と見なされてしまう。しかし、内面性の問題は「精神的な病気」ではなく、むしろ人の学習を飛躍的に成長させる役割を果たすこともある。
その意味で、ハーレーン・アンダーソンの『会話・言語・そして可能性』は重要である。というのは、同書はセラピストという職業の根底にある哲学的問題を明らかにし、それによって、実証主義、客観主義、要素還元論等、経営学を含む近代科学全般の思想的前提に関する批判的検討を可能にしているからだ。
アンダーソンは、セラピーに関する理論的根拠を追求するうちに、次第に近代科学主義的な思考(モダニズム)に疑問を抱き、それと対照的なポストモダンの哲学に引き寄せられていったという。
セラピーの常識では、セラピストは客観的かつ中立的でしかも病理や正常に関する知識を備えたテクニカルな専門家と見なされる。この常識の下、セラピストたちは精神的な病を患うクライアントを「治療」してきた。このように徹底的に科学を重視した近代のパラダイムが、これまでのモダン・セラピーの思想的背景であった。
一方、ポストモダン・セラピーの場合、セラピストとクライアントの関係は根本的に違ってくる。セラピストは、対話を通してクライアントが自分の力を取り戻し、みずからを解放するチャンスを得ることに関心を寄せる。
したがって、クライアントは「治療対象」ではない。両者は協力し合いながら、クライアントの不安や経験に関して新たな意味と理解を創造する。いままでに語り尽くされたストーリーを一緒に吟味し、同時に語られていない新しいストーリーを一緒に紡ぎ出す。
このように発生した個人の物語が、その人に新たなアイデンティティをもたらし、新しい意味、新しい歴史、新しい将来像を手に入れさせる。アンダーソンが「物語的自己の転換」と呼ぶこの方法はエンパワーメントそのものである。
では、このようなポストモダン・セラピーの哲学的前提とは何であろうか。
1.人が関与するシステムは言葉をつくり出し、意味をつくり出すシステムである。
2.現実は、社会的行為を通して構成される。
3.個々の精神は、人々との接触のなかで形成されていく。
4.現実や意味は、自分と他者との会話や相互作用のなかでつくり出される。
5.言語には、何かを発生させる力がある。
6.知識は言語として存在し、日常の言語とその使用から発生する。
哲学に関心のある方ならば、ここに「解釈学」あるいは「社会構成主義」的な思想が語られていることにお気づきのはずだ。その思想を一言で表現すれば、人間の行為を知るには、当人の行為動機という主観的部分、意味的部分を理解しなければならないという考えである。
セラピーの現場はきわめて人間的な現場である。そこに繰り広げられているのはモノ的世界ではなく意味的世界である。したがって、アンダーソンは解釈学的アプローチが必要であると見抜き、従来の近代科学の客観主義的方法を覆したのである。
それはともかく、セラピストとクライアントが協働によって新たな意味を創出し、物語的自己の転換を果たして、クライアント自身によるアイデンティティの再発見プロセスを支援するというポストモダン・セラピーは、その発想の転換、また対話という方法において、我々に深い反省を促すものだろう。
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| 会話・言語・そして可能性 |
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ハーレーン・アンダーソン=著 金剛出版 |
2001年発行 定価 3,150円 (税込) |
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| 「質」の世界における自然な人材育成 |
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1970年代の、いわゆる学園紛争のきっかけは、大学における「マスプロ教育」に対する批判だったと記憶している。近代教育は、大量生産―大量消費―大量廃棄という産業社会のなかに組み込まれた一つの歴史的な人材育成の方法であった。
日本の場合、大企業への就職をゴールとする画一的人材育成の競争が展開されてきたといって過言ではない。個性ある人材や他者の気持ちに共感できる人材は、建前は別として、真剣に追求されはしなかった。
制度的公教育や企業内教育研修に疑問を投げかけてきた企業として前川製作所がある。同社は、少人数チームに大幅な権限を委譲する「独法(どっぽう)システム」の採用で知られている。それは各チームが市場とのコラボレーティブな関係づくりに向けて行動するための優れた仕掛けであり、経営学のなかでも高く評価されてきた。
同社の名誉会長、前川正雄の『モノづくりの極意、人づくりの哲学』は、前川製作所の経営を支えてきた思想的基盤および人材育成の考え方を語っている。そのなかでは、なぜ制度的教育研修に否定的なのか、その理由の一端が明らかにされている。
前川によれば、これまでの資本主義は「量」を問題とする世界であり、そこでは企業は量を最大にするために競争する。企業社会では競争的な関係が際限なく進み、資本市場、労働市場をつくり、大量生産型社会を構築してきた。しかし、現在必要とされているのは「質」の世界であり、それは競争よりもむしろ人と人とが協力し合わなければ成り立たない世界である。
彼の言う質の世界とは、言い換えると、ほかにはない独特の「個性」の世界である。市場も、社員も、解も、すべてがこの世界にある。出来合いの理論、ノウハウ、モデルはむしろ阻害要因になる。我々は、客観的な解があってその効率的な実現に向けて競争するという「近代」のモデルが役立たないポストモダンの世界に足を踏み入れているのである。
この新しい社会は、コンテクスト(共感力)の高い人間を要請している。なぜなら、質の世界では、無意識の非言語系世界も含めてコミュニケーションを行う場面が多くなるからである。
クライアントのニーズは複雑であり、「言葉にならない不安、不満、願望」を持っている。したがって、言葉の背後に潜んでいる情報を、クライアントと一緒に言語化する共同作業が必要になる。そういう「感覚知による情報合成」の過程では、教科書的知識ではなく「共感力」が求められる。
このような全体意識や非言語的コミュニケーション能力の養成は、教育のあり方に密接に関連してくる。前川製作所に制度的教育研修はない。それだけでなく人事部自体も廃止してしまった。近代システムは人為的で不自然なシステムであり、それを可能な限り自然な組織に近づけたいというのが前川の考えであり、教育研修制度に関してもそれが貫かれている。
そこで、前川は全体意識や非言語的コミュニケーション能力の養成として、第一に若いうちから全体性を意識すること、第二に、仕事を通して自分と全体の完成度を上げていくこと、という二つが重要だと言う。
人事部も教育研修制度も存在しないから、これら二つの感性を磨くプロセスは、基本的に仕事しかない。日々の仕事を通してコンテクストを理解し、クライアントや同僚と共感する力を磨くことができれば、それほど自然な人材育成はほかにない。一方、制度的教育研修に依存する組織は、次々と人工的な制度をつくりあげ、マニュアルや指示命令なしに動かない硬直したシステムを構築してしまう。
「管理の構造を廃し、人工物を取り除き、もっと自然な状態に人を戻す。そうなって、初めて人は生物としての本来の姿になって全体性を取り戻していく」という前川の思想が、仕事を通した自然な人の育成として表れている。
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| 「教える、教えられる」という関係を超えて |
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岩垂弘は『生き残れるか生協』(同時代社、2001年)のなかで、生協には二つの類型があるという。一つは、徹底的な経営の合理化で経営の立て直しをする傾向で、全国の生協はこの方向に向かっている。もう一つは、あくまでも組合員に依拠して生協の発展を図る傾向であり、その代表としてちばコープを挙げている。
ちばコープの高橋晴雄理事長(当時)は、「要は、生協は組合員が主体だということです」と言い切る。組合員の声に耳を傾けることが二一世紀の生協づくりの方向であるという思想は、高橋晴雄の『発想の転換』で多面的に語られている。
生活協同組合は特殊な世界ではない。高橋のように「組合員の暮らしの声に依拠する」という考え方は、顧客志向のマーケティングの一例として位置づけることが可能である。これまで顧客主義経営が注目されてきたが、ちばコープほど思想的に深くインタラクティブなマーケティングを追求してきた組織はほかにない。顧客ニーズに対応するという受動的なレベルで満足せず、「生活を共に創る」という積極的なレベルにまで達しているからだ。
ちばコープは、貴重な「場面情報」が映し出されている活動日報を大切にしてきた。そこには生活における機微、生活のシーン、つまり生活そのものが描写されている。しかしそこに記されている願いや思いを読み取ることは容易ではない。
そこで、ちばコープでは「おしゃべり」を活用してきた。生活世界はほとんどがおしゃべりや話し言葉で成り立つ世界である。だから組織が本当に生活世界のニーズを読み取りたいのなら、おしゃべりと話し言葉を、組織と市場ニーズとを媒介するインターフェースとして認めるべきであろう。
その際に問題となってくるのは、「組合員たちの思いや願いを読み取る感性をどのように育てるか」である。それをうまく育てることができるならば、組織の持続的成長はより確実になるだろう。
この点に関して、『共同購入担当者研修会提案書』という冊子を批評している高橋の記述は面白い。それは、あるコンサルタント会社が生協向けにつくった仕様書であり、「対人折衝技術のレベルアップを図る」「組合員拡大のための勧誘折衝技術」等の項目が並べられている。また、組合員との関係をすべて「技術」の問題に矮小化している。
しかし、このような技術以前に、共同購入担当者に組織が伝えるべき重要なことがあるはずだ。それを抜きにして、販売スキル等の知識教育に依拠したいと考えるところに現在の生協の問題があると高橋は考えている。
新人研修に関する記述も参考になる。従来、偉い人が出ていって、ちばコープの歴史、生協の理念、これからの方針を説明してきたが、そうした形式的で一方的な教育で共感力のある人は育ちはしない。
そこで、八八年にそれを廃止し、前年度入社の人たちでプロジェクトチームをつくり、新人研修の担当を任せた。試行錯誤の末、彼らは八八年度入社の新人たちに「ちばコープとは――」について自分たち自身で調べて発表するという方法を採用した。新人たちは現場に行って取材をし、事実を体験する。
高橋は、たくさんの鮮度の高い出会いを持ち寄ることが重要だと言う。理念からではなく、具体からわかるということ。知識からではなく、感じ合うことから始めること。こうしてちばコープの新人教育は、一方的な「教える、教えられる」の関係を否定し、「みずから体験し、学ぶ」方向を選択したのである。
ちばコープはその後、「成長学校」という名のもとに独創的な教育研修を発達させていった。冒頭で「ある企業でインターンシップを体験した学生は違った目つきで帰ってくる」と述べたが、実はその企業こそ、ちばコープのことである。
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以上の三冊の著書に共通している思想を一言で要約すると「脱近代における人の育ち方」ということになろう。教える者と学習する者との一方的関係を否定し、出来合いの知識に頼るのではなく、人と人の関係性を重視し、技術教育よりも互いに感じ合う感性を優先する。
そこでのカギは「人の育て方」ではなく「人の育ち方」である。このことは企業内教育も含め、近代的教育システムを整備すればするほど、見失われていく視点である。このことを、たとえば企業の研修担当者はどのように評価するのか、知りたいものだ。
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| モノづくりの極意、人づくりの哲学 |
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前川正雄 著 ダイヤモンド社 |
2004年発行 定価 1,890円 (税込) |
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| 発想の転換 |
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高橋晴雄 著 同時代社 |
2001年発行 定価 1,995円 (税込) |
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評者プロフィール |
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評者: 工藤 剛治 千葉商科大学商経学部 教授 |
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北海道大学経済学部卒業、北海道大学大学院経済学研究科博士課程修了。現在、千葉商科大学商経学部助教授。主要な著書に『社会的組織学習』(白桃書房、2003年)、また共著書に『パワーイノベーション〈5〉環境経営』(同友館、2000年)がある。 |
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