人材育成の「常識」を、いま見直す理由

ハーバード大学教育大学院のロバート・キーガン教授に聞く

発達心理学の権威であるハーバード大のロバート・キーガン氏は、人は大人になっても成長可能であると述べ、職場を大人の成長を支援する場へと変えることを提案する。企業が一部の社員だけでなく、全員の成長を支援するメリットはどこにあるのか、キーガン氏に伺った。

大人の成長を
強力に支援する仕組みは何か

編集部(以下、色文字):成人の成長についての研究を続けていらっしゃいますが、どのような問題意識からなぜ弱さを見せあえる組織が強いのかをご執筆されたのでしょうか。

ロバート・キーガン(Robert Kegan)
ハーバード大学 教育学大学院 教授(成人学習・職業発達論)
リーダーシップ学習の専門サービス会社「マインズ・アット・ワーク」の共同創設者。リサ・レイヒーと30年にわたって一緒に研究と実践に取り組んできた。二人の共著に、『なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか』、『なぜ人と組織は変われないのか』(ともに英治出版)、『あの人はなぜウンと言わないのか』(朝日新聞社)がある。

ロバート・キーガン(以下略):私は「人間の潜在的な可能性」について興味を持っており、一貫してこのテーマで研究を続けてきました。

 研究を始めておよそ40年ですが、その間を3つに区切ることができます。初めの期間では、構造発達理論(Constructive Developmental Theory)という青年期後の成人の発達の軌跡についての理論を提唱しました。成長に関して科学的な基礎をつくった後、次に関心を持ったのが、どうすれば人の成長を支援できるのかということで、それをまとめたのが、私たちの著書『なぜ人と組織は変われないのか』です。この中では、コーチングのような一対一の関係や、チームでそれをどう支援するかに焦点を当てていました。個人の成長を支援することに関して、多くを実証したのです。

 このような研究の流れを経て、近年は「人の成長をより一層支援できるのは、どのような文脈においてだろうか」というテーマに関心を持ちました。人は自分たちが大切だと思っているものを守ったり、より良くするために組織をつくります。例えば、敵から守るために軍隊を、人の健康を守るために病院を、そして若い人たちを育てるために学校をつくります。

 では、大人の成長を支援することをミッションとした組織があるかというと、ありません。そのような組織を実際につくることができるのか。それが実現できるとすれば、どのような場合なのかを考えました。大人の成長を支援する組織は、おそらく崇高な意思だけでは成り立たず、きっとその組織にとってもメリットがあるものでなければならない。結果辿り着いたのが、仕事であり職場です。大人の成長を支援するという意味では、これが強力な文脈になるのではないかと考えたのです。

 社員の能力を開花させ、発達させることに尽力している。そこで働くすべての人が、その能力を開発できる。そのような職場は実際にあるかを調査しました。すると、いくつかの組織がまさに自分たちが考えてることを実践していることがわかったのです。その上、ビジネスとしても非常に成功していました。

 社員がより一層能力を発揮することは、組織の利益にも合致します。企業という場で、いかにして大人の成長を支援するかを解き明かすために、『なぜ弱さを見せ合える組織は強いのか』を執筆しました。

「ビジネスの常識」は本当に正しいのか

 本書の中では、一部の人だけではなく、すべての社員の成長を支援することを重視されており、それが特徴的だと思います。一方、組織内で優秀な人材を選抜して、その人たちに集中的に資源を割くことが、企業の利益にもつながるし、効率的だという考え方があります。その考え方については、どのように思われますか。

 仮に、自分が5人の子どもを持つ親だと考えてください。この5人の中で1人か2人の「見込みのある」子どもだけ、育てたりしますか。選んだ子どもの才能を開花させることに尽力し、他の子どもには何もしない。それはすごく変なことですよね。

 一部のハイポテンシャルな人だけを選んで、その人たちを教育するのは、いま世界中どこでも実践され、常識になっているように思います。けれども、これ自体をもう一度考え直さなくてはならないと私は信じています。

 なぜなら、「あなたはローポテンシャルですよ」という判断無しにして、ハイポテンシャルの人材を選ぶことはできません。それが組織全体の士気にもたらす影響を考えると、大きなコストになるし、人的資源を無駄にしています。

 いま、「これがビジネスのやり方だ(business as usual)」といわれているものは、実はものすごく非効率的です。とくにこの人的資源の分野においては、非効率的なものが、これが「ビジネスのやり方です」と言われています。

 士気の問題だけでなく、効率面でも、すべての社員を育てた方が良いのでしょうか。

 私たちが主張するのは、「ビジネスの普通ではないやり方(business as unusual)」ですが、実はこれが会社の資源の使い方という意味でも効率的になります。

 選抜育成の最も非効率な点は、まず、少数の人だけが成長する能力があるとしてしまうことです。私たちは自分たちが思うほど、誰にポテンシャルがあって、誰にないのかを判断するのは、上手くありません。日米両方で人気がある野球を例にとりましょう。よくあることですが、あるチームが「この選手はポテンシャルがない」と判断し、放出します。しかし、その選手が、移籍先では大活躍して、スターになることがしばしば起きます。これは、その人自身のポテンシャルよりも、どのような環境に置かれるかが、人の成長に重要だという良い例です。

 一部の人を選んで、その人たちにどんな研修などをすれば成長するのか。そのように個別の育成方法を考えるよりも、組織に属する全員が成長できるシステムをいかに構築するかを考えた方が、よっぽど効率的ではないでしょうか。人々の能力を育むことを大切に考えるならば、日々の仕事のなかで成長を目指す活動に、社員全員がどっぷりと浸かれるような組織文化を設計することに注力すべきです。

信頼関係の構築が第一歩

 社員全員を育てる文化がない組織に、それを定着させるのは非常に難しいように思います。ご著書には、そのような組織をつくるポイントの一つとして、「弱さを見せあえることが大事だ」とありました。

 この「弱さを見せあう」とか「弱みを共有する」という提案は、非常にドラマチックな話なので、皆さんがそこに飛びついてしまいます。けれども、実はそれは最初のステップではありません。

 どのような時に人は弱さを見せられるかというと、そこが安全な場所だとわかった時だと思います。つまり最初に始めるべきは、その働く場がどれだけ信頼しあっているか、どれだけ安全安心を感じられる場所かを問うことです。

 誰もがスーパーマンではありません。内面を見せた時に罰せられない、できない奴だと判断されて価値を下げられない、と安心できることが大事なのです。

 現在、大半の人が「自分の弱さを隠す」ことに時間とエネルギーを費やしています。組織でこれほど無駄を生んでいる要素は他にはありません、人が安心して弱みを見せらせる環境が整うことで、もっと価値あることにエネルギーを費やすことができるのです。

 安心できる場であることを確認し、そのような場になった時に初めて、「弱さ」を見せあえるのですね。

「別にミスしたからって罰しないよ」とは、皆が言います。けれども、言っているだけでは、本当に罰しないかは分かりません。そういう意味では、誰かがリスクをとって、本当にミスをしても許されるのかどうかを、確かめる必要は当然あります。皆、水は温かいと言うけれど、本当に水が温かいかは飛び込んでみないと分からないのと同じです。

 職場における信頼を築く上で、まずやるべきは、一番力を持ってる人たちが最初に取り組むことです。彼らが弱みを率先して見せていくと、「変わる」ことに対する信頼が高まります。

 そしてもう一つ、安心感や信頼感を高める上で大切なのは、ポジティブなフィードバックの流れを強めることです。本書の執筆にあたって、人を育てる文化が根付いている組織を調査しました。そこでは、働いている人たちが批判的で厳しいフィードバックをきちんと受け入れると、書籍の中にも書きました。多くの人が、この事例を見ると「できるかな」と警戒してしまいます。

 いきなり、批判的なフィードバックを受け入れることは困難です。まずは真摯に心からの感謝を伝えあったり、単に褒めるのではなく「私の経験に基づくと、あなたのやっていることはすごく価値がある」というような、ポジティブなフィードバックをすることです。まずはここから始めることで、信頼や安心の文化が醸成されます。

 結果として、社員にみずからの弱点を克服するためのリスクを伴う行動が促せますし、克服するためのフィードバックを受け入れやすくなります。厳しい状態に陥った時に対応できる力も高まるし、そのような時に支え合うレベルも上がります。人々の能力を育むのに適した環境である「発達指向型組織(DDO)」へと変わるのです。

発達指向型組織が必要な理由

 どのような課題を持つ企業が発達指向型組織(DDO)を目指すべきでしょうか。

 まず、どんな組織がDDOを目指すべきではないかを考えましょう。まず非常に人の入れ替わりが激しい組織というのはDDO向きではない。人があまり長く働かなかったり、グループとしての感情がなかったりする組織は、DDO向きではないです。

 そして、リーダー自身が成長する取り組みに参画することに積極的ではない場合にも、お勧めしません。自分が学ぶことに否定的で、他の人が学べばいいと思っているようなところも向きませんね。

 最後に、その組織が非常に大きな課題に直面していない場合、個人や組織がそれまでの自己を超越しなければ対処できない「適応を要する課題」を抱えていない場合にもDDOは必要ありません。抱える課題が「技術的な課題」で、何らかのスキルを学べば解決できるのであれば、社員全員の能力を発達させていく必要性が無いからです。

 けれども、実際にいま「適応を要する課題」に直面していない企業はほとんどないでしょう。課題にきちんと対応するには、行動を変えたり、プロセス変えるだけではなく、その企業のマインドの変革が必要です。

 私たちはDDOが、この適応を要する課題に対応する、もっとも最善の組織のつくり方だと思っています。

 あらゆる組織がDDOを目指す必要がありそうです。

 リーダーや幹部向けに、このDDOに関するワークショップをする時は、DDOの話から始めるのではなく、まず彼らの事業について話をするところから始めます。

「あなたの企業はどんな課題に直面してますか」「どんな機会をつかみたいですか」といった質問に対する答えのリストをつくってもらいます。出てくる答えは、ほぼすべて、その企業の人たちがより成長したり、マインドセットを変えないと対応できないものばかりです。

 つまり、いまのケイパビリティでは、直面しているチャレンジに対応できないということであれば、やはりDDOは必要です。しかし、もしも抱える課題に対応できるケイパビリティを持っているのであれば、別にDDOをつくらなくてもよいのです。DDOの構築には、年数もかかるし、努力も要するからです。

 DDOに変わることが重要なのではなく、自分たちの課題を認識し、どのようなケイパビリティが必要なのかを、まずは考えるべきなのですね。

 そのとおりです。DDOに変わりたい本当の理由が必要です。自分たちの現状と、なりたい理想像にどのようなギャップがあるのか。ギャップがある場合に、どうすればそのギャップ埋められるかを考える。私の話を聞いて、皆さん興奮して「DDOになりたい!」と勇んでしまうかもしれません。でも、まずは落ち着きましょう。自社のビジネスのことを考え、まずはリーダー層から小さく始めて、広げていくことが大切なのです。