マインドフルネスは目標達成の
お役立ちツールではない

瞑想によって、いっさいの判断をせず「いま、この瞬間」をとらえ感じるのがマインドフルネス瞑想だ。それが米ビジネス界で「生産性向上のツール」として普及していくことに、筆者は違和感を表明する。

 

 私は大学3年の時、精神刺激薬であるアデロールへの依存を克服後、回復の一環でマインドフルネス瞑想を行うようになった。私が依存に陥ったのは、集中するためにアデロールを服用するのは大した問題ではないと思ってしまったからだ。これは米国の大学生の81%に共通する行動である。

 アデロールは、何かをやり遂げるための無害な、そして容易かつ効果的な近道に思えた。初めて服用した夜に感じた高揚感はいまだに覚えている。フォークナーの課題部分(簡単ではない)を読破し、提出期限が数週間も先のレポートに手をつけて書き上げた(できそうだ、じゃあやろう、という感じで)。さらに部屋の床を掃き(2回も)、未開封だったメールすべてに(自分と関係ないものにも)返信した。一晩中食事を忘れ、午前4時になって気づけば目が冴えわたり、歯を食いしばっていて、お腹が鳴っていた。眠くなる気配すらなかった。

 だが、最初は集中力と生産性を高める近道に思えた行為は、結局は回り回って自滅へと向かう道だった。集中力は自分自身の能力で生み出すべきものなのに、外に頼り、薬が問題を解決してくれると考えていたのである。

 私はやがて問題に向き合い、薬をやめ、深刻な自信喪失状態から抜け出す方法を見出した。瞑想、特にマインドフルネス瞑想である(ヴィパッサナー瞑想とも言う)。

 いまやマインドフルネスは、集中力と生産性の向上に有益だと科学的に証明され、メディアを騒がすようになった。私からすればこれは何とも皮肉に思える。私がマインドフルネスに行き着いたのは、「生産性を上げなければ」というプレッシャーからの回復をはかるためだったからだ。そして、小さな青い錠剤ではないこの方法が、集中力と生産性を高める近道だと見なされつつあるからだ。まるで朝のコーヒーのように。

 本来のマインドフルネスは、自己の成長と洞察にまつわる伝統的な知恵である。にもかかわらず、いまではキャリア形成と効率性向上のツールとして私たちの文化に取り込まれようとしている。果たしてマインドフルネスに特定の目標、それも(効率性向上などの)具体的な目標は必要なのだろうか。1つの「状態」になるための行為を、「行動のためのツール」と捉えてよいのだろうか。

 企業は「問題なし」と考えているようだ。マインドフルネスのブームを受けて、米国中でこのプログラムを実施する企業が増えているのは驚くに値しない。たとえばグーグルは、職場でマインドフルネス瞑想を教える「サーチ・インサイド・ユアセルフ(自分の内面を探る)」という講座を開いている。ゴールドマン・サックス、ケーブルテレビ局のHBO、ドイツ銀行、小売チェーンのターゲット、バンク・オブ・アメリカを含むいくつもの企業が、生産性向上の手段として従業員に瞑想を推奨している。デイビッド・ゲレスは著書『マインドフル・ワーク』の中でこうした動きを賞賛している。

 プロスポーツの世界でも、マインドフルネスの流行に内在する成果主義的な側面に注目が集まっている。特に最近では、アメリカンフットボールのNFLだ。『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙は、2014年のスーパーボウルで優勝したシアトル・シーホークスの成功の理由を探るなかで、チームの「秘密兵器」に言及している。それは、スポーツ心理学者が伝授したマインドフルネスに積極的に取り組んだことだという。アシスタントヘッドコーチのトム・ケーブルは同紙の取材に対し、「チームは非常にマインドフルになっている」と述べた。

 この記事が執筆されたのは2015年1月のことだが、シーホークスは翌月の2015年のスーパーボウルで敗退を喫した。皮肉を言うわけではないが(私はスポーツには本当に関心がない)、この敗北を受けて興味深い現象が起きた。知り合いや家族の間で(皆スポーツ好きで、瞑想はしないがその効果については聞き及んでいる)、集中力を高めて成功を引き寄せるという瞑想の力を疑問視する声が聞こえてきたのだ。瞑想で知られるチームがスーパーボウルで負けたとなれば、マインドフルネスが「成功のツール」として有効であることを、どれほど認めてよいのだろうか。

 それでも大いに有効であると、私は思っている。(まだ気づいていない人のために)ここで正直に言えば、マインドフルネスが生産性を高めるツールとして普及したことに、確かに苦い思いを抱くようにはなった。特に、瞑想に対する目的論的な姿勢に違和感を覚える。瞑想が特定の目的のためにつくられた「ツール」とされ、「結果」を伴うものと見なされるのが嫌なのだ。

 そんな思いに駆られるうちに、数年前に完全菜食主義者(ビーガン)のいとこと交わした会話を思い出した。いとこは生物学的人類学の博士課程の学生で、動物愛護活動家でもあり、約15年前から完全菜食を続けている。「ダイエット目的で完全菜食主義者になるセレブが多くてうんざりしないか」と私が尋ねると、彼は首を大きく横に振って否定し、こう言った。「正しいことをまったくやらないよりは、たとえ動機は不純でも正しいこと(完全菜食)をしてもらいたい」

 この考え方は、マインドフルネスの大流行(それを揶揄して「マックマインドフルネス」とも言われる)にも適用可能ではないだろうか。瞑想によるさまざまなメリットを、多くの人が享受するようになれば私も嬉しい。熱心に瞑想していても、パチョリ(インド産の植物)の香りで大麻の匂いを隠したヒッピーだと誤解されずに済むのでありがたい。企業が実施するマインドフルネスのプログラムによって従業員のセルフケアが重視されるならば、それはそれでよいことだ。

 ただし、瞑想を別の観点から論じる余地もあるはずだ。特に、仕事と瞑想の関連については他にも考えるべきことがある。

 マインドフルネスを目標達成のツールと見なすと、人は「いま、この瞬間」への意識を拡張するよりも、未来志向の考え方に囚われてしまう。もちろん、それで神経科学的な効力が損なわれるわけではない。マインドフルネス瞑想を行うと、より多くのことをこなせるようにはなる。

 しかし、マインドフルネスそのものを目的としてみてはどうだろう。古くから続くこの習わしに、マーケティング的な謳い文句を加えず、ただ瞑想自体の力を体感するのだ。

 心理学者のクリスティン・ネフは、「セルフ・コンパッション(自己への慈しみ)」という言葉を考案したことで知られている。その主張によれば、セルフ・コンパッションの第一の要素は「自分への優しさ」である。すなわち、To Doリストを全部処理できなかった時などに落ち込む気持ちを、吹き飛ばす力だ。残り2つの要素は、「普遍的な人間性への理解」、そして「マインドフルネス」だという。セルフ・コンパッションが目指すのは、より多くをやり遂げることではない。「自分は十分に頑張っている」「自分の価値は結果によって決まるわけではない」と理解することだ。(なお興味深いことに、ある研究結果によれば、自分を許すことによって物事を先延ばしにしなくなるという〈英語論文〉。)

 私は理想主義者ではない。誰もがセルフ・コンパッションに専念してTo Doリストを忘れ、マントラを唱えるべきだと説いているわけでもない。だがマインドフルネスについて語る際には、慈しみ――特に自己への慈しみが、もっと強調されるべきだと言いたいのだ。たとえ企業の瞑想プログラムであっても、それは同じである。

 仕事の生産性を高めたいと思うのは恥ずべきことではない。しかし同時に、職場で何かがうまくいかない時に、少し肩の力を抜いて自分を慈しむことができるのも、恥ずべきことではない。


HBR.ORG原文:Is Something Lost When We Use Mindfulness as a Productivity Tool? August 25, 2015

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シャーロット・リーバーマン(Charlotte Lieberman)
ニューヨークを拠点とするライター、編集者。ハーバード大学で英語を専攻し、最優秀で卒業。