共感こそイノベーションの原動力である

現代経営思想の大家ゲイリー・ハメルが、サービスの革新に成功した米医療機関の事例を紹介。自著で経営の5大課題に挙げている「理念、イノベーション、適応力、情熱、イデオロギー」が、すべて凝縮されたようなエピソードだ。

 

 私は最近、医療機関のCEOから電話をもらった。複数の病院や医療センター、クリニックを擁するレイクランド・ヘルスは、医療スタッフ4000人を雇用し、年間およそ5億ドルの収入を上げている。その施設はいずれもミシガン州の南西部にあるのだが、同地域の平均所得は全米平均の70%にとどまり、また慢性病の発生率は全米標準を著しく上回っている。医療機関にとっては厳しい環境だ。

 私は、情熱を原動力にしたイノベーションについて見聞きするのが大好きだ。それを知るCEOは、「君が飛びつくような話がある」と電話をかけてきたのだ。

 1年前、彼はレイクランド・ヘルスの新CEOに就任した。その後まもなく、患者満足度を検証するために会議を招集した。米国の病院は、このデータを連邦政府に報告する義務がある。そしてスコアが所定の水準に達しない病院は、公的医療保険の対象額の削減という形で罰を受ける。

 ここがCEOの悩みどころであった。同院は患者満足度において、パーセンタイル順位で20~50という下位グループに属していることがわかったのだ。なぜこうなってしまったのか――。

 幹部チームの報告によれば、その原因は努力不足ではないという。同院は患者満足度を左右する項目を追跡記録していた。ナースコールへの応答時間、疼痛管理、病院食の質、患者とのコミュニケーションの有効度などである。これらの評価基準の大半では、他の病院と比較して遜色がなかったが、それが総合満足度には表れていなかったのである。

 幹部らの指摘によれば、問題の一部は、困窮と不健康がはびこる周囲の環境にあった。レイクランド・ヘルスは人材プールに恵まれておらず、重病患者の数は、スタッフの数に見合わないほど多い(その中には保険未加入の患者も珍しくない)。また多くの患者は治療後の指示に従うことができずに、何度も再入院を繰り返していた。

 他の病院とのベンチマーク分析をした結果、相対的に恵まれた場所にある病院は概して、同程度のサービス水準でより高い患者満足度を達成していた。逆に、レイクランド・ヘルスと同等の立地条件にある病院の実績は、同院と似たり寄ったりだ。

 どうすればレイクランド・ヘルスは患者のために医療体験を改革できるだろうか、とCEOは考えた。同院ではサービス面を管轄するリーダーたちが、ベンチマーキングとベストプラクティスの適用を担ってきた。他の病院からこれ以上学べることは、それほど多くなさそうだ。また、金銭で問題を解決することも不可能である。スタッフの増員や、快適性を高める設備の新設などに、多額の投資をする元手はない。

 数週間にわたって熟考と内省を重ねた末、CEOはある考えに思い至った。スタッフが仕事に、職業的スキルだけでなく「心」を持ち込んだら、どうなるだろうか?

 この考えを胸に、彼は3つの市で映画館を借りるよう手配し、20を超える決起集会のスケジュールを回覧した。各会場のポスターに書かれたテーマは、「仕事に心を込めよう(Bring Your Heart To Work)」。翌数週間にわたり、週末にレイクランド・ヘルスのほぼ全スタッフがどれか1つの決起集会に参加した。CEOのメッセージは、シンプルだが意表を突き、その実行は困難に思えた。

「ここにいる誰も、顧客をたびたび失望させる組織で働きたいとは思わないはずです。私たちは現状よりもよい結果を出せるはずですし、出さなければなりません。ですから、いまから90日後に90パーセンタイル(上位10%)に入ることを目指しましょう。リソースの補充によって大きく改善するのは不可能なので、知恵を存分に発揮しなければなりません。

 患者さん1人ひとりの心に触れることで、満足度スコアを上げるのです。つまり、病気に対していかによいケアを提供しているかだけでなく、患者さんそのものをいかに大切に思っているかを、しっかりと理解してもらうのです。もっと愛情を込めることを学んでいきましょう。そのために皆さんには、新しく創造的なやり方で仕事に心を込める、という挑戦をしていただきたい」

 10〜20年の経験を持つ看護師やエックス線技師にとって、ケアの提供はルーチン業務となっている。だが、患者にとっては日常とは程遠いものだ。病院での滞在はどんな人にとっても、最も感情的になる体験の1つであり、その後何年にもわたり記憶される出来事である――CEOはスタッフにそう念を押した。

 フロリダ病院で実施された調査を借用して、彼は患者の病院滞在を3幕のドラマになぞらえた。第1幕は来院で、通常は痛みや恐怖、不安が伴う。次は入院中の治療期間で、不快感と退屈が交互にやってくる。そして第3幕の退院では、患者はしばしば「退院の準備ができていない」あるいは「見放された」とさえ感じる。

 スタッフに患者役を演じさせることで、CEOはドラマの各場面でいかに患者との愛情あふれるつながりを生む機会があるかを明らかにした。関心といたわりを示し、慰めと励ましを提供することで、絆が生まれるのだ。

 医療スタッフに、台本や研修プログラムは提供しなかった。その代わり、次のような課題を突き付けた。「患者と接する時には毎回、あなたが“誰”で、“何”をするためにそこにいるのかを伝え、心のこもった“なぜ”を分かち合うこと。たとえば、『トムです。あなたの包帯を交換するためにここにいます。なぜなら、お孫さんの結婚式に間に合うように、家に戻るお手伝いをしたいからです』」。心のこもった“なぜ”を表明する時には、患者の希望と不安をドラマの中心に据えなければならない。

 CEOは、90日間で120回の“回診”をした。すべての部門、シフト、施設に姿を現し、スタッフに「調子はどうだい?」と尋ねて回った。「心のつながりを持てたかな? ぜひその話を聞きたいね。もしまだなら、いますぐロールプレイをしよう。私が患者役を演じるから」

 当初は、スタッフの多くが心のこもった“なぜ”を思いつくのに苦労した。医療現場では常にいたわりが存在するが、それを特定の個人に合わせて示すことは、自然にできない場合もある。訓練が必要なのだ。「自分がうまく心をこめられたかどうか、どうすればわかるのでしょうか」――これがCEOに最も頻繁に寄せられた質問だ。彼はこう答えた。「患者さんの笑顔に表れます。声に表れます。相手があなたの手を握った時にわかります。そして最終的には、あなた自身の心で実感するはずです」

 次の数ヵ月の間に、2つのことが明らかになった。まず、すべてのスタッフが日々、常に患者に心を開かなければ成功は見込めないこと。たった1人でも態度の悪いスタッフがいれば、その他大勢による心を込める努力が水の泡になりかねない。意外なことではないが、現場のスタッフも管理職も、態度の悪い同僚に対して以前ほど寛容でなくなった。不適切な態度が原因で、最終的に職を辞すよう求められた者も少なくない。

 第2に、取り組みの焦点はナースコールへの応答時間や疼痛管理、退院計画などに置かれてはいなかったが、心のこもったコミュニケーションが根付くにつれ、これら従来の評価基準に関しても患者満足度が上がり始めた。ここに1つの教訓がある。こちらがより多くの愛情を示せば、相手はあらゆる些細な物事についても寛大さを示すようになるということだ。

 レイクランド・ヘルスでは間もなく、心のつながりに関する逸話がたくさん聞かれるようになった。ならば、仕事に心を込めているスタッフ全員に感謝の念を示す方法はないだろうか――CEOは一案を思いつく。

 まず、ささやかでも心のこもった対応を見聞きした患者とスタッフは、それを報告する。するとシニアリーダーが数分以内に、思いやりを実践したスタッフの元へ行き直接感謝を述べる。近くに居合わせたスタッフたちに、そのリーダーはエピソードをふたたび語って聞かせ、当人にお礼を述べ、その職員証にハートマークを付ける、という仕組みだ。やがて数ヵ月のうちに、レイクランド・ヘルス全体で6000を超えるエピソードが称えられ、6000を超えるハートマークが職員証に添えられた。

 ここまでを聞いて、私はCEOに典型的なエピソードを1つ話してくれるように頼んだ。以下はその引用だ。

 廊下で騒動が起こり、警備員が駆け付けると、完全に取り乱している男性がいた。重症の妻に付き添って来院していた夫だ。精密検査の後、妻が末期のがんであり、生きて退院することはおそらくないだろう、と告げられたのだ。雷に打たれたようなショックを受け、彼は我を失っていた。現場に呼び出された警備員がいまにも警察に通報しようとしていた時、1人の看護師が通りかかる。

 取り乱した夫が周囲に見境なく食って掛かっているのを目にした彼女は、彼に歩み寄り、静かにこう尋ねた。「抱きしめてもいいですか?」。男性がうなずくと、彼女は両腕で彼を包み込んだ。それから20分間、彼が白衣に顔をうずめてすすり泣いている間、彼女はずっと抱きしめていた。ようやく落ち着くと、男性は妻を支えるために病室に戻り、スタッフも職務を再開した。彼女は准看護師で、コンフリクト管理や緊張緩和に関する講習を受けたことはなかった。しかし他者とのつながりを築く方法については、多くの話を聞いていたのだ。

 CEOは私に言う。「すべてのエピソードがこれほどドラマチックなわけじゃないよ。でも、多くは君の涙腺を刺激するはずだし、そのすべてが君を笑顔にするはずだ」

 スタッフの何人かは、もっと思いやりのある言い方で患者に話しかけることを学んだ。たとえば経過観察の予約を担当する受付係は、「先生はあなたに、2週間後にまた来てほしいそうです」という言い方から、「先生は2週間後に、あなたをまたお招きしたいそうです」と言い変えると、相手が笑顔になる確率が高いことを発見した。それはささやかな変化だが、ポジティブな感情を生む。

 ただし、CEOがスタッフに常に言い聞かせているように、些細なことが患者の感情を乱すおそれもある。彼がたびたび口にするのは、数年前にレイクランド・ヘルスで出産した女性と交わした会話だ。新生児は健康と幸せに恵まれて誕生したが、病院での経験を振り返る母親の目は涙で溢れたという。

 病院に到着後、彼女に産科で最初に応対したスタッフは、顔も上げず、彼女を笑顔で出迎えなかった。希望と不安を抱えた妊婦は励ましを必要としているのに、それは与えられなかったのだ。落胆した母親は、数年経ってもその時の冷たい出迎えをずっと覚えていた。

「それで」と私は口をはさみ、「6000のエピソードは後で聞くとして、最終的に患者満足度はどんな結果になったのかな?」と尋ねると、CEOこう答えた。「90日以内に95パーセンタイル(上位5%)に入った。こんなことは初めてだよ」

 彼は続けた。「満足度が改善しただけでなく、臨床面の効果もあった。我々の仕事は、命を救い、健康を増進させ、希望を取り戻すことだ。患者の心の琴線に触れれば、そこには癒しの関係ができる。この関係性によって、患者はリラックスして、血圧が下がる。幸福感につながる神経伝達物質が活性化されるし、痛みも抑えられる。患者とケア提供者の両方にとって、良い結果になるんだ」

 ところで、このCEOとは私の弟、ローレン・ハメル医師である。

 彼の話の要点は、シンプルだが核心的だ。すなわち、共感はイノベーションの原動力であるということだ。だからこそ私は、現代社会の組織が非人間的になったことをしばしば危惧している。

 典型的なCEOのスピーチ、あるいは従業員重視を謳うウェブサイトでは、次のような言葉が頻繁に登場する――執行、ソリューション、アドバンテージ、焦点、差別化、優位性。これらの言葉に落ち度があるわけではないが、人間の心の琴線に響く言葉ではない。なぜ問題なのかといえば、人がイノベーションを起こすには、まず当人が何かに心を動かされる必要があるからだ。次に職場の同僚が、そして最終的には顧客が、やはり心を動かされる必要がある。

 20世紀初頭、ドイツの名高い社会学者マックス・ウェーバーは、近代について次のように述べた。

「我々の時代の運命は、合理化、知性化、そして何にもまして、世界の脱魔術化を特徴とする。究極かつ最も崇高な価値観が、公的生活から姿を消してしまった」

 それから1世紀後の今日、この言葉はいまだに的を射ているようだ。私たちの住む社会は宗教的価値観が薄れ、機械化され、没個性化されている。それをあらためて痛感するのは、たとえば無愛想な航空会社の搭乗席に押し込められる時だ。あるいは「カスタマーサービス」を受けるために延々と電話をたらい回しされている時。必要な申請書類があるとされる役所のウェブサイトで、迷路に迷い込んでしまった時もそうだ。

 もっと他のやり方があるはずだ。これらはイノベーターの熱意の産物であっても、利用者にとってはうんざりするほど非人間的な経験となる。

 スティーブ・ジョブズがアップルのCEO末期に行ったプレゼンの1つで、自社は「テクノロジー」と「リベラルアーツ」の交差点にいると述べた。もしジョブズが違う会社のCEOであったならば、建設とリベラルアーツの交差点、あるいは航空、銀行業、エネルギーとリベラルアーツについて語ったかもしれない。ジョブズにとって、リベラルアーツとは「人文科学」の別名だった。それは、古代ギリシャの哲学者が正義、美、善と称したものを、詩や散文、芸術、音楽などに凝縮したものだ。

 最良のイノベーションは、社会を良くするものであれ経済的な価値を生むものであれ、崇高かつ時代を超越する理想の追求から生まれる。すなわち喜び、英知、美、真理、平等、コミュニティ、持続可能性、そして何にもまして、愛――。私たちはこうしたもののために生きている。

 そして真に優れたイノベーションは、人々の人生を豊かにするものだ。だからこそイノベーションの核心は、世界にふたたび魔術をかけ魅了したいと強く願うことなのだ。


HBR.ORG原文:Innovation Starts with the Heart, Not the Head June 12, 2015

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ゲイリー・ハメル(Gary Hamel)
ロンドン・ビジネススクール客員教授(戦略論、国際マネジメント)。マネジメントの進化を目指す非営利研究機関、マネジメント・ラボのディレクター。新時代のマネジメントを再発見するオープン参加型プロジェクト、マネジメント・イノベーション・エクスチェンジ(MiX)の共同創設者。C.K.プラハラッドとの共著『コア・コンピタンス経営』(日本経済新聞出版社)が注目を集める。他に『経営の未来』(日本経済新聞出版社)、『経営は何をすべきか』(ダイヤモンド社)など。