ダイナミック・ケイパビリティと経営戦略論

コダックと富士フィルムのケース

新しい理論を一から十まですべて自分で完成させた研究者はほとんどいない。大抵、著名な研究者の研究というものは多くの支持者を生み出し、その支持者たちがその理論を宣伝し、徐々に完成させていくものだ。今日、経営戦略論の流れの最先端にあるダイナミック・ケイパビリティ論もそのような状況にある。ダイナミック・ケイパビリティ論が企業戦略経営に及ぼす影響を明らかにするために、コダックと富士フイルムを比較分析してみたい。

経営戦略論分野の推進者

 ダイナミック・ケイパビリティ論は、経営戦略論、多国籍企業論(国際経営論)、垂直的統合論(企業境界論)という三つの研究分野から登場し、今日、各分野で多くの研究者たちによって議論されている。

 このうち経営戦略論分野の展開は、ダイナミック・ケイパビリティ論の創始者の一人であるデビッド J.ティース教授の考えを多くの研究者たちが肯定的であれ批判的であれ、発展させてきた。

 ティース教授の強い味方は、ダートマス大学タック・ビジネス・スクールにいる2人の女性研究者、コンスタンツ・ヘルファット教授とマーガレット・ペトラフ教授である。2人とも美人で、クールだ。アメリカでは彼女たちのように外見もクールな女性が目立ち、力を持っていると感じさせる。とにかく、2人とも「かっこいい」研究者だ。

 ヘルファット教授はカリフォルニア大学バークレー校卒業で、ティース教授と共同論文を書いている。ペトラフ教授はヘルファット教授と同世代で、ともにイエール大学大学院の出身。おそらく2人はそこで出会ったのではないかと思われる。いずれにせよ。いま2人は経営戦略分野におけるダイナミック・ケイパビリティ論の強力な推進者である。

 これに対して、進化経済学やルーティンという概念で有名なペンシルベニア大学ウオートン・スクールのシドニー・ウインター教授は批判的だ。もともとダイナミック・ケイパビリティの主張者であったが、近年は、環境が変化してもダイナミック・ケイパビリティなど必要ない、どの企業も保有しているアド・ホックな問題解決(その時々の火消活動)能力で十分対処できるし、そのほうが経済効率的だと主張している。

 はたして、どちらの主張が現実的なのだろう。

ポーターの競争戦略論

 経営戦略論の出発点は、マイケル E.ポーターの競争戦略論にある。それまで、経営戦略論という分野は経営学にはなく、経営計画論という名のもとに、それに似たような議論が展開されていたにすぎない。その意味で、ポーターの登場は経営学者にとって衝撃的であった。

 ポーターの戦略論は、基本的に<1>ファイブフォースモデル、<2>三つの競争戦略論、<3>バリューチェーン論からなっている。彼の戦略論は、ミンツバーグによって、ポジッショニング論として特徴づけられているが、実はその本質は、状況決定論である。つまり、状況が企業の戦略行動を決定するというのが、ポーターの戦略論の本質である。

 これは、ポーターの議論が、S-C-P(構造-行為-成果)パラダイムという産業組織論におけるハーバード学派の伝統的フレームワークにもとづいているからである。経済学は、基本的に人間行動の心理的な説明を避ける。というのも、再現可能性がなく、反証可能性がなくなるからだ。再現可能性を高め、テスト可能性を高めるために、状況が人間行動を決定するように説明しようとするわけである。

 そして、事実、ポーターの状況決定論的な戦略論は経験的に批判にさらされることになる。すなわち、同じ状況、同じ業界におかれているにもかかわらず、成功している企業群の戦略的行動が異なっているということである。また、産業の特徴が企業の特徴的な戦略行動を決定するという因果命題が統計的に実証されない。これでは、状況が企業の固有の戦略的行動を決めているとはいえないことになる。

資源ベース論とケイパビリティ論

 こうした状況で登場してくるのが、バーガー・ワーナーフェルトの資源ベース論やジェイ B.バーニーのケイパビリティ論である。企業の戦略的行動は企業が保有する固有の資源やルーティンなどを形成する固有のケイパビリティ(能力)によって決定される。それゆえ、企業の競争優位は企業が保有する固有の資源やケイパビリティで決定されるので、企業はそれがいったい何かを認識し、それに基づいて選択と集中を行う必要があるという。こうして、同じ状況や業界でも企業は異なる戦略的行動を取りうることが説明できるわけである。

 ところが、資源ベース理論では企業の短期的な競争優位は説明できるが、長期的にはそのような資源や能力が逆に硬直性を生み出すことがわかってきた。レナード・バートン教授が主張するコア・リジリティである。特定の資源やケイパビリティに固執すると、逆に変化する環境に適応できず、企業は自滅することになる。たとえば、シャープは液晶技術を固有のリソースと見なし、そこに選択と集中を行ってきたが、それがシャープを硬直化させ、環境に適応できなくなってしまったのである。

 では、企業が持続可能な競争優位を得るにはどうしたらいいのか。こうした問題を抱えていたのが、この分野の研究者であったヘルファット教授やペトラフ教授であった。彼女たちは、ダイナミックな資源ベース論が必要だと考えていた。また、ウインター教授は、ルーティンやケイパビリティを修正するより高次のメタ・ルーティンが存在することを比較的早い時期から主張していた。彼らは、ともに資源ベース論の延長線上でダイナミック・ケイパビリティを考えていたのである。

ダイナミック・ケイパビリティと
その戦略思考

 こうした状況で、ティース教授によるダイナミック・ケイパビリティ論が登場する。

 ダイナミック・ケイパビリティとは、ポーターのように環境状況の変化を認識し、それに対応させて資源ベース論のように企業に固有の資源を認識し、それを再構成・再構築して、最終的に全体的にオーケストレーションする能力のことである。ティース教授は、「ダイナミック・ケイパビリティとは、企業が技術・市場変化に対応するために、その資源べースの形成・再形成・配置・再配置を実現していく(模倣不可能な)能力のことである」と説明する。

 ダイナミック・ケイパビリティは、決してゼロから新しいものをつくり上げる能力ではない。これまで競争優位を生み出してきたルーティン、ケイパビリティ、資源、知識、資産を再構成するより高次のメタ能力のことである。しかも、それは自社の資産や知識だけではなく、必要とあれば他社の資産や知識も巻き込んで再構成する能力でもある。

 さらにティース教授は、ダイナミック・ケイパビリティは3つの要素に分解できるという。すなわち、<1>機会を感知する能力、<2>機会を捕捉する能力、<3>企業境界の内部・外部に存在する資産の結合・再結合・再配置を通じて脅威のマネジメントを実行する能力、である。

 そして、再び市場の新しい変化に伴う新たな脅威を感じとるならば、再び同じプロセスをたどることになる。

 以上のように、企業内に多くの固有資源、知識、そして技術があり、しかもトップがより多くの他社のトップとコミュニーケンションを図り、より多くの知り合いがいれば、ダイナミック・ケイパビリティを発揮できる可能性が高まる。その目的は利益最大化ではなく、生存のためのゼロ利益回避あるいはプラスの利益である。

 そして、まさにこのダイナミック・ケイパビリティを用いて、まったく新しいものを生み出すのではなく、あくまで市場や環境の変化にしなやかに対応するように既存の資源を再利用し、再構成し、全体をオーケストラのように再編成する。これによって、一時的な競争優位ではなく、持続的な競争優位を確立しようとする。このしなやかな戦略思考が、ダイナミック・ケイパビリティ戦略なのである。

イーストマン・コダックと富士フイルムに学ぶ
ダイナミック・ケイパビリティの戦略学

 このダイナミック・ケイパビリティの戦略思考が生死を分けたのが、イーストマン・コダックと富士フイルムのケースだ。コダックも富士フイルムも、写真フィルムの生産販売を通して、長く多大な利益を獲得してきた世界的な大企業であった。
 ところが、1990年代にデジタル・カメラが普及し始め、写真フィルム販売が大幅に落ち込み、両社とも経営難に陥った。当初、両社は多くの資金を保有し、しかも同じように写真フィルムをめぐる高度の技術や知識資産を保有していた。特にコダックは、今日、デジタル・カメラに利用されているコア技術を世界で初めて発明した会社でもあった。

 しかし、結果的に、コダックは資源を有効利用することなくして倒産した。これに対して、富士フイルムは本業を捨てて生き延び、むしろ以前よりもさらに成長している。両社の「何が」異なっていたのか――まさしく、ダイナミック・ケイパビリティ戦略の差であった。

 コダックは、早い時期から市場の変化に伴う脅威を感じていたが、株主価値や利益の最大化を求めて既存のルーティンやケイパビリティの踏襲に固執した。豊富な資金で大量の自社株を購入し、株価対策を講じるなど硬直的な戦略を一貫して採っていた。

 コダックには環境の変化に対応して、既存の高度の技術や知識資産を再構成・再利用するという考えはなかった。コダックにはダイナミック・ケイパビリティがあったのかもしれないが、その能力を利用して持続的競争優位を確立するという戦略思考がなかったのである。

 これとは対照的に、富士フイルムはダイナミック・ケイパビリティを積極的に利用した。株主価値や利益の最大化ではなく、生存するためにゼロ利益を避け、既存の高度な技術や知識資産を徹底的に再利用して新しい知識や技術を開発し、そこに保有していた資金を投入したのだ。

 たとえば、すでに保有していた高度の写真フィルム技術を利用し、液晶を保護するための特殊な保護フィルム技術を開発していた。今日、この分野では独占的な状態にある。また、写真フィルムの乾燥を抑えるために利用していたコラーゲンをめぐる技術を応用し、新しい化粧品を開発した。そして、今日、化粧品業界に進出し、成功している。さらに、今日、エボラ出血熱の特効薬になるのではと注目されている医薬品の開発まで行っている。

 富士フイルムは、まったく新しい技術をゼロから生み出して競争優位を生み出しているわけではない。まさに、ダイナミック・ケイパビリティのもとにその時々に環境の変化に対応して既存の技術や知識を再構築したり、再配置したり、そして再利用することによって、短期的ではなく持続的競争優位を形成してゆくという新しいしなやかな戦略を展開しているのである。

 コダックと富士フイルムの運命を分けたのは技術力や知識力や資金力ではない。実は、ダイナミック・ケイパビリティとそれを利用して持続的競争優位を確立しようする戦略思考にあったといえる。

 今日、シャープ、パナソニック、そしてソニーなど日本の電機産業は衰退の危機にさらされている。だがいずれも世界最高水準の技術や知識をいまだ多く保有している。富士フイルムとコダックの例から明らかなように、電機(産業)復活のカギは、ダイナミック・ケイパビリティとそれを利用しようとするしなやかな戦略的思考にあるようだ。

参考)
『戦略学――立体的戦略の原理』菊澤研宗著(ダイヤモンド社、2008年)
『ダイナミック・ケイパビリティ戦略――イノベーションを創発し、成長を加速させる力』デイビット J.ティース著、谷口和弘、蜂巣 旭、川西章弘、ステラ S.チェン訳(ダイヤモンド社、2013年)