「浅田真央選手のフリー演技当日の意思決定」を
ディシジョン・マネジメントする

ソチ五輪開幕―大舞台で多大なプレッシャーがかかるなか、浅田真央選手は個人戦でトリプルアクセルに挑戦するかどうか。この大きな意思決定を、ディシジョン・マネジメントの観点から、ロングセラー『意思決定の理論と技法』著者、籠屋邦夫氏が分析する。


ソチ冬季オリンピックが開幕し、日本選手の活躍が伝えられていますが、このオリンピックにおける日本国民の大きな関心事は女子フィギュアではないでしょうか?

 2014年1月8日の新聞記事で、浅田真央選手の師事する佐藤信夫コーチが「ソチ冬季五輪において、基本的には浅田選手がこだわりをもつ超難度技トリプルアクセル(以下TA)にトライさせてやりたいが、最終的には、当日の体調(特に腰の調子)と直前練習でのTAの出来を見て決めたい」と語っているのを知りました。

各国のタレントが並び立ち、レベルの高い競争が繰り広げられる女子フィギュア。
画像/(c)Vit Kovalcik-Fotolia.com

 浅田選手の大ファンである筆者は、余計なお世話ながら、浅田選手と佐藤コーチにとっての当日の意思決定を事前シミュレーションすることで、何か役立つ助言ができないかと考え、ディシジョン・マネジメントの観点から検討してみました。

 検討の前提条件を次のように置きます。

◎オリンピックに向け、浅田選手はTAの成功度を高めるための練習とともに、調子が悪い場合の代替策として「TA回避」のプログラムの練習も行い、当日の演技直前に「TA挑戦」か「TA回避」かの意思決定と実行ができるよう、万全の準備を整えているものとする。
◎そのうえで臨んだオリンピックのショートプログラムではTAを跳び、着地は成功したがフルポイントはもらえず、順位は2位。1位とは僅差とは言えないものの、フリーの出来次第で金メダルが十分に狙える点差である。

そしてフリー演技の当日の状況は、

◎腰の調子は完璧ではないが、一応は大丈夫。
◎直前練習では計5回TAにトライして、1回は完璧、2回は着地には成功したもののフルポイントはもらえない出来栄え、2回は転倒。

 非常に判断の難しいこの状況で、浅田選手と佐藤コーチが、初志貫徹の「TA挑戦」で行くか、あるいは「TA回避」で行くか、の選択の意思決定に直面しているものとします。

 浅田選手の置かれた状況をディシジョンツリーの構造で表します(図1参照)。

 ディシジョンツリーとは、意思決定を小さい四角(□)、そこからの枝分かれで選択肢を示し、各選択肢を採った時に引き続き起こる不確実性を小さい丸(○)、そこからの枝分かれでシナリオ(=不確実性がどう転ぶかの道筋)を示し、意思決定状況の全体構造を表すツールです。

 このケースではまずは1つの意思決定項目(「プログラム選択」)と2つの不確実性(「演技の出来」と「成績(金メダル獲得成否)」)があると考えて、ディシジョンツリーの構造を設定します。

 演技の出来については3シナリオ、成績(金メダル獲得成否)については2シナリオとします。

「演技の出来」の不確実性については、2つの選択肢「TA挑戦」と「TA回避」それぞれについて“Good”(完璧) “So So”(まずまず) “No Good”(不成功)の3シナリオを想定しますが、選択するプログラムによって、その内容は当然異なります。

「成績」の不確実性については、浅田選手にとっては、前回のオリンピックで銀メダルを獲ったことから、金メダル以外の場合は、嬉しさとしては一律に「残念」ということで、成績を2シナリオ以上に分けて考える必要はないものとします。

 ここまでのケース分けで、ディシジョンツリーの構造全体では、2×3×2で計12ケースとなります。

 次に各シナリオの起こる確率を想定しましょう。

 TAは非常に難度が高いので、2つの選択肢における演技の “Good”/“So So”/“No Good”の確率分布は大きく違うと考えられます。

 演技の出来がよくなくても、他選手次第では金メダル獲得の可能性はありますが、当然、「TA挑戦」で“Good”のほうが「TA回避」で“Good”の場合に比べて金メダル獲得の確率は高い、等々と考えてそれぞれのシナリオの確率想定を行います。

 演技の出来(の見通し)にかなり自信があり、他選手との比較で金メダル獲得の確率が高いと思われる場合は、直感的に迷わずTAを選択すると考えられます。

 そのため今回のシミュレーションでは、あえて「演技の出来に自信が持てず、他選手との対比で金メダル獲得の確率が低い」という困難な意思決定の状況を想定して確率分布を設定しました。

 なお、ここでの確率はあくまで「主観的な感じ方」を確率で表したもの(=主観的確率)ですが、今回は浅田選手にとってどう感じられるか、筆者の想像で想定しています。

 今度は計12のケースの嬉しさの順位を考えます。

 浅田選手にとっての価値判断尺度は「自分の得意技であるTAにトライすること、そのこと自体」「TAへの挑戦・回避に関わらず、演技としての出来栄えのよさ」「金メダルを獲れるかどうか」の3つで、この3つの価値判断尺度をトータルしたものとしての「正味嬉しさ総額:Net Pleasure Value(NPlV)」で、各ケースの自分にとっての嬉しさ度合いを判断すると考えられます(ちなみに、NPlVというのは、キャッシュフローの正味現在価値:Net Present Valueをもじって筆者が名づけたもので、お金以外の要素を含めたトータルとしての嬉しさを表現する場合に便利な概念です)。

 そこで、このNPlVの考え方に基づき、段階を追って、12のシナリオの嬉しさ順番を考えて行きます。

 まず「TA挑戦」の場合で考えてみます。金メダル獲得の3つのシナリオの比較では演技の出来がよいほうがNPlVは大きいと思われますし、金メダルを獲れない3シナリオの比較でもそのことは同様でしょう。そしてもちろん、演技の出来が同じなら金メダルが獲れたほうが嬉しいに決まっています。

 さらに、浅田選手は「自らの達成感」よりも「国民の期待に応えて金メダル」をより大きな喜びとすると基本的には思われますが、「自らの出来は“No Good”だったが敵失要素で金」よりも「完璧だったが相手がより素晴らしくて金を逃す」ほうがすがすがしいと考えるのではないかと想定してみました。

 一方、「TA回避」の場合は最初から「自らの達成感」は諦めているので、「金メダル獲得」の嬉しさを優先すると考えられます。そして同じメダルの色なら、演技の出来がよいほうがNPlVは大きいと想定します。

 そのうえで、「TA挑戦」と「TA回避」のそれぞれの6シナリオの計12ケースのNPlVを比較・考察して、嬉しさ順位を設定しました。

「TAでの完璧達成感」シナリオ(上から2つ目)を除いては、「金メダル獲得」の嬉しさが優先され、それ以外の金メダルが獲れないケースでは、「TAにトライしたこと」の嬉しさが優先されると考えています。

 以上のディシジョンツリーの構造設定、確率想定、嬉しさ順位の結果は図1に表示されていますので、確認してみてください。

 ディシジョンツリーを完成し、期待値の計算をします(図2参照)。

 これまでに設定した嬉しさ順位に加えて、NPlVの数直線のようなものを考え、一番嬉しいケースを100点、一番嬉しくないケースを0点として、先の12のケースの相対的な嬉しさに点数を付与します(相対的NPlV) 。もちろんこれも筆者の勝手な想像での設定です。

 相対的NPlVを12のケースに書き込み、また各ケースが起こる確率を計算してディシジョンツリーを完成させます。

 確率の計算は、2つの不確実性での各シナリオの確率の掛け算で計算します(たとえば、一番上のケースでは、0.1×0.9=0.09、上から5つ目のケースでは、0.5×0.1=0.05といった具合です)。

 そのうえで期待値を、それぞれのケースの確率と相対的NPlVの掛け算の和として計算します(たとえば、「TA挑戦」の場合は、(100)×(0.09)+(85)×(0.01)+(95)×(0.12)+(48)×(0.28)+(80)×(0.05)+(40)×(0.45)=56.69 となります)。

 なお「期待値」というのは、上の計算方法で示したように、「さまざまな起こりうるシナリオでの嬉しさの確率重み付き平均」で、こうした意思決定を何千回、何万回と行った時の 相対的NPlVの平均値です。実際には今回の意思決定は1回限りですので、期待値というのは、その選択肢の「筋のよさ」を示す1つの指標、ととらえておくのが妥当です。

 ちなみに、図2の期待値の計算値は、主観的確率の読みと、相対的NPlVの数値を使った計算結果を、生の数値として、かなり桁数の多い形で記しています。しかし、もともとの確率の読みも、相対的NPlVの値の想定も主観的なものなのですから、実際にはこんなに有効桁数のある数値はありえません。さりながら、読者が計算を検算し理解をしていただきやすいように、あえて生の計算結果をそのまま記しています。

 完成したディシジョンツリーから、いくつかの興味深い洞察を読み取ることができます

 まず期待値としては、「TA挑戦(56.69)」が「TA回避(37.925)」の約1.5倍と、筋のよさとしては だいぶ高いことがわかります。

 金メダル獲得の確率は「TA挑戦(0.09+0.12+0.05=0.26))」と「TA回避(0.225+0.04+0.0025=0.2675)」でほぼ同じ――わずかながら「TA回避」のほうが大きい――ですが、いずれの選択肢でも、今回の確率想定においては、約26%とけっして高くないことを理解しておく必要があります。

「TA挑戦」で最も確率の大きいシナリオは「“No Good”で金メダル逃す」、「TA回避」で最も確率の大きいシナリオは「“Good”で金メダルを逃す」です。

 いずれの選択肢を採った場合も、「やっぱり安全にTA回避で金を目指すべきだった」とか、逆に「どうせ金メダルを逃すなら、浅田選手としての初志貫徹でTAに挑むべきだった」という心ない非難が寄せられる可能性が高いことがわかります。

 したがって、結果論からの非難で傷つかないように、あらかじめ浅田選手には、こういう状況での意思決定だ、ということを十分認識しておいてもらったほうがよいのではないか?!と思われます。

 なお、少し複雑な検討が必要になるので本稿では割愛しますが、NPlVの「累積確率分布」の分析をしてみると、「TA挑戦」は「TA回避」に対して「確率的優位」――どんなNPlVの値においても、その値以下になる確率が「TA回避」のほうが「TA挑戦」より常に高い(逆にいうと、その値以上になる確率が「TA挑戦」のほうが「TA回避」より常に高い)――であることがわかり、浅田選手は、今回設定したような非常に困難な判断の場面であっても、十分な安心感をもって「TA挑戦」を選択すべきであることがわかります。

 今回の検討は、筆者が勝手に想定した状況と確率とNPlVにもとづくものですので、私としては、浅田選手と佐藤コーチが以上の検討を参考に、事前に2人で自らディシジョンツリー分析に取り組むことを願います。

 そのうえで、自ら作成したディシジョンツリーのひな型をベースとして、当日に、その時点での主観的確率の読みを使って検討し、決断。

 そしていったん決めたら、それまでの分析や複数シナリオの存在などもろもろのことは忘れて、「何がなんでも完璧な演技で金メダルを 獲る!」という強い気持ちでフリーの演技に取り組んで頂きたいものだと思います。

 つまりは“Good Decision,” then shift to “Committed Execution!”(いったんよい意思決定をしたら、次は前向きに覚悟をもった実行へ!)の精神で金メダル獲得を実現することを切に願うものです。

 浅田選手がどんな選択をしようと、筆者は全力で浅田選手を応援します!!

 

籠屋 邦夫(こもりや・くにお)
東京大学大学院科学工学科修了後、三菱化成(現三菱化学)入社。渡米後、スタンフォード大学大学院エンジニアリング・エコノミック・システムズ学科修了。マッキンゼー社東京事務所、シリコンバレーに本拠を置くストラテジック・ディシジョンズ・グループ(SDG)にてパートナー、日本企業グループ代表。帰国後、ATカーニー社ヴァイスプレジデントを経て、ディシジョンマインド社を設立。企業やビジネスマンの戦略スキルや意思決定力向上を支援するエデュサルティング活動(Education + Consulting = Edusulting)に注力している。企業内教育研修のほか、スタンフォード大学、慶應義塾大学、立命館大学、青山学院大学、福井県立大学などの大学院にて講義を実施。主な著書に『選択と集中の意思決定』(東洋経済新報社、2000年)、『意思決定の理論と技法』(ダイヤモンド社、1997年)など多数。
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