私たちは「こうありたい」を追求し続ける

創業300年のその先に

中川政七商店は、1716(享保元)年に創業して以来、手績(てう)み手織りの麻織物を扱ってきた奈良の老舗だ。現在は、工芸をベースに生活雑貨や衣料品などの企画・製造・卸・販売を手掛けており、「中川政七商店」「遊 中川」「日本市」といった人気ブランドを持ち、全国に50以上の店舗を展開している。全国的な知名度を得たのも、会社の存在意義を見つめ直し、中川政七会長が「日本の工芸を元気にする!」という「旗印」を掲げたことがきっかけだった。コンサルティングを通じた伝統産業の再生のみならず、スポーツチームを通じて奈良の地域興しをも狙う、気鋭の経営者に、パーパスを重視した新しい経営スタイルを見出した。
『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2019年3月号より、1週間の期間限定で抜粋版をお届けする。

「日本の工芸を元気にする!」
なぜ新たな目的が生まれたのか

編集部(以下色文字):創業300年を超える老舗企業が企業の存在意義を見直し、「日本の工芸を元気にする!」という新しいビジョンを掲げ、成長につなげました。パーパスを重視した経営スタイルだとお見受けしましたが、その経緯について教えてください。

中川(以下略):まず家業を継ぐと決め、2002年に中川政七商店に入社しました。その当時、会社には茶道具全般を扱う第一事業部と、麻生地を使った雑貨を扱う第二事業部との2つの事業部がありました。

 特に、第二事業部には「生産管理」という概念がなく、赤字でもありましたから、まずは業務改善に力を注ぎました。その後、予算も順調にクリアするようになりました。

 ところが黒字になった時、「これは何のためにやっているのか」と頭をよぎりました。赤字の時はひたすら改善を重ねればよかったのですが、ここで、会社の存在意義というものを考えました。「なぜ」がないと自分自身が緩んでしまうと思ったのです。

 そこで、世の中の会社のビジョンや社是を集めた本を読みました。すると、よいと感じるものと、そうではないものとがありました。この差が何かと考えると、ビジョンとして掲げていることと、会社が実際に行っていることとが一致しているかどうか、でした。

 さて、そこで「自分たちはどうするのか」と考え始めたのですが、これがなかなか出てきませんでした。

 もともとは家がやってきたことも知らずに育ちましたし、たかだか会社員を2年勤めて家業に戻ってきて、赤字の事業を黒字化しただけでした。

 親父(12代の故・中川巌雄氏)に家訓や社是について尋ねても、「そんなもん、あらへん。そんなもんで飯が食えるか」と一蹴されました。

 何かを思い付いては紙に書き、それを捨てるということを繰り返しました。そんな時、天から降ってきた言葉が「日本の工芸を元気にする!」だったのです。

 天から降ってきたのですか。

 ええ、2007年末頃だったと思います。本当に降ってきたとしか言いようがありませんが、いまあらためて振り返ると、いくつかのきっかけが重なったのだと思います。

 当時、仕入先の方々が「いままでお世話になりました」と廃業のあいさつに来られていました。これが毎年、数件ずつ継続的に起きていることに気づきました。伝統工芸が廃れていくと、私たちのものづくりが続かないという危機感を覚えました。

 日本の伝統工芸に注目が集まっているにもかかわらず、失われてしまう。一消費者としても、日本古来の技法が失われるのは残念ですし、何とかしたいと思いました。

 一方、私のやってきたことは、平たく言えばブランディングなので、これは、焼き物でも竹細工でも適用できると思ったのです。

 つまり、伝統工芸の廃業を防がなければならないという「MUST」と、日本の工芸を元気にしたいという「WILL」、そしてブランディングのお手伝いができるという「CAN」がありました。

「やらなければならないこと」と「やりたいこと」に加えて、「やれること」という3つの円が重なって、ビジョンが生まれたのだと思います。

 中川政七商店といえば、おしゃれな工芸ブランドを扱うお店のため、若い客層にも人気です。若者の心をつかむために、どのようなマーケティングをしてきたのでしょうか。

 私たちのお店の特徴は、お客様が20代後半から70代までという年齢の幅にあります。商品を企画する際も、ターゲット年齢を設けてセグメントするようなマーケティングはしていません。

 普通、マーケットを先に見て、そこから顧客のセグメントを絞り、商品開発に入りますが、私たちの場合は自分たちが提供したいものから始まります。一商品で何十億円を狙う商材ではないので、たいていは市場が空いているのです。

 市場が空いている、ですか。

 ええ、たいていはですね。だから自分たちの強みを活かして、やりたいことを愚直に形にして、正しくコミュニケーションを図れば、お客様は反応すると見ています。そのため、マーケティングではなくブランディングだと言い続けてきました。

 そもそもブランドというのは、お客様の頭の中にあるものです。100人いたら100人なりのブランドに対するイメージがある。それでは、そのイメージがどうできたのかといえば、お店で見たことがあるとか、家族から話を聞いたとか、テレビで紹介されたのを見たとか、店員の態度とか、そういったものすべてがミックスされてできあがります。そのうえで、好きや嫌い、興味ないなどと決まるのです。つまり、ブランディングというのはコミュニケーションとほぼイコールだと考えています。

 現在、商品そのものやウェブ、紙、接客などさまざまな接点がありますが、大事なのは、「どのようなブランドとして思われたいか」です。贈り物として使われたいのか、おしゃれだと思われたいのか、いずれにしても、自分たちが「こう思われたい」ということから始まらなければならないのです。そのためにも、ビジョンが必要でした。

「旗印」を掲げることで
経営にどう影響を与えたのか

 ビジョンを定めても、組織に落とし込むのは簡単ではありません。

 2008年に初めて、全スタッフの前でビジョンを発表しましたが、最初はもう全員、何を言っているのかわからない様子で、ぽかんとしていました。無理もありません。それまでビジョンなんて会社になかったからです。

 そのタイミングで、同業の伝統工芸メーカーの再生コンサルティング事業を始めることにしました。いきなりコンサル案件が舞い込むわけではありませんので、雑誌の連載を始め、書籍の出版につなげ、私なりに考えてきたことを広めました。

 その本を読んでいただいたマルヒロがコンサルティング第一号案件となり、2010年に長崎・波佐見焼の陶磁器ブランド「HASAMI」が生まれました。いまでは波佐見焼産地を牽引する人気のブランドです。

 マルヒロの方を招いて直接、スタッフの前で話していただく機会を設けました。スタッフは「なるほど、工芸で元気にするとは、経営不振の会社をコンサルティングという手段で何とかするということか」とわかってくれるようになりましたが、それでもまだ「コンサルは社長の仕事で、自分たちには関係ない」と考えている節がありました。

 しかし、お店で販売して工芸品を持ち帰ってもらうことも、バックヤードで流通を支えることも、スタッフみんなの仕事がビジョンの実現につながっているのです。

 ビジョンを浸透させるため、スタッフには機会を見て何度も、何度も話をしてきました。たとえば、「石垣を積んでいるのではなく、日本一の城をつくっているのだ」という話です。もし目の前にある石垣を積むという単純作業だとしても、それが日本一の城を築くために必要な仕事だと思えれば、やる気も仕事の質も大きく変わります。

 また、新しい店舗がオープンするたびに新規の店舗スタッフと食事をして、次のようなことを伝えてきました。

「あなたたちの仕事はいわゆる予算を達成することだけではありません。その先にあるのは、日本の工芸を元気にすることです。ビジョンを理解して仕事をするかしないかで、結果が変わるのです」

 店舗の仕事は、ある程度覚えてしまうと、大きな成長を感じられなくなってしまいます。そんな時こそ、その仕事が自分のためではなく、誰かに貢献している、つながっていると感じられることが必要なのだと思います。

 手応えを実感できたのは2013年頃だったと思います。多少の理解の差はありますが、「何のために仕事をしているのですか」と尋ねたら、アルバイトスタッフでも「日本の工芸を元気にするためです」と言えるようになりました。

 ビジョンに共感して入社された方にもお目にかかりました。ビジョンが浸透したことで組織はどう変化しましたか。

 ビジョンというものは、「旗印」を掲げることだと考えています。それぞれの会社にはそれぞれの価値観があります。その最たるものがビジョンであり、それを世の中に旗印として表明したということです。

 旗印を掲げたことで経営がやりやすくなったことに、間違いはありません。実際、その旗印を見て、価値観の近い人たちが集まるようになりました。それも、奈良の中小企業では手に届かないような優秀な人材が採用できるようになったのです。

 会社の価値観が多くの人に届くことで、そこに共感をする人と、そうでもない人がはっきりしたことも大きかったです。

 昔、親父に人材獲得について相談したことがありましたが、「そんなもの、奈良の中小企業で、優秀な人なんか採られへんのや」と言われました。「採れない中で、どうやるかを考えろ」と親父は言っていましたが、「いや、絶対採れるように、いずれなる」と私自身は思っていました。現在は、店舗スタッフまで含めると約500人の会社になりました。

創業の麻すらも捨ててもいい
父が遺した「囚われるな」

 インタビュー前に、中川政七商店の蔵を改築した部屋「時蔵(ときぐら)」(写真)を見学しました。創業の1716年から、2137年までの資料棚が各年、用意されているのには驚きました。

 時蔵は、その年々の資料をきちんと整理しておきたいと思ってつくりました。まだまだ整理が必要ですが、いつか一般公開もしたいと思います。2137年までの棚があるのは、自分が死んだ先、100年先も会社が続くものと考えてのことでした。

 300年以上続く伝統のある会社です。会社を変化させる際、伝統に押し潰されそうになりませんでしたか。

 ありません。申し訳ないぐらい、何も感じませんでした。300年の会社であるということについては、先人たちへの感謝しかありません。私がどれほど努力しても手に入らないものですから。

 ですが、それを重荷に感じたことはないのです。おそらく、親父の姿勢であり言葉がそうさせたのだと思います。

 それはどういったものですか。

 中学校に入学する前、親父に呼ばれてこう言われました。

「予定より少し早いけど、お前は割としっかりしているから、今日、話しておくわ。これから、もう全部好きにせい。その代わり、全部自分で責任を取れ。自分で決めろ」

 当時の自分がこの言葉通りに受け止めたかはわかりませんが、この時のことはよく覚えています。以来、就職する時も、家業に戻る時も、一度たりとも親父に止められたことがありません。

 2008年に社長に就任した時も、親父に呼ばれました。かしこまって呼ばれたのはこの2回ぐらいだったかもしれません。2人で食事をしていると、親父は「話したいことが2つある」と切り出しました。

 1つが「自分の代で中川家の財産を3分の1にしてもうた、すまん」と。何となく株でやられているのは知っていたので、特段の驚きはありませんでした。もう1つは、「囚われるな」ということでした。

 何に囚われるなとおっしゃったのですか。

 当時ですら、私は業界の慣習を気にせず新しいことを次々と展開していたので、なぜいまさら、こんなことを言うのだろうかと思いました。すると親父は、「お前は麻に囚われている。麻ですら、別にどっちでもいい。囚われるな。判断を誤るぞ」と言ったのです。

 もともと、中川政七商店は麻屋から始まりました。歴史を振り返ると、麻だけでなく綿も扱っていましたし、蚊帳も取り扱ってきました。その時代、その時代で多少なりとも業態が変わっています。

 それこそ昔は問屋だったのが、製造にまで広げた時期もありました。ある時からは小売りを始めました。酒造業もやっていたし、高利貸し的なことも営んでいたようです。

 そのため、親父は「別に麻であろうがなかろうが、どっちでもいいのや」と。明文化されていたわけではないのですが、中川家としての家訓、あるいは中川政七商店としての社是は「囚われない」という言葉に凝縮されていると気づいたのです。

 そのため、300年の会社を預かった時も、別に何かを守らなければならない、という意識がありませんでした。

 もともと幼少期は非常に慎重なお子さんだったようですが、変化を起こせたのはなぜだと思いますか。

 とっさの対応は得意ではありませんし、何かを習得するのにも割と時間がかかりますし、慎重なほうだと思います。ただ、会社経営には心配することが必要です。この場合の心配とは、事業のリスクや可能性を考え抜くということです。

 もちろん、ボーッとしていたら、不安はぬぐえませんが、考え抜けば自分の中で答えは見えますし、決まります。判断には、情緒的なことや感情的なことを、基本的に持ち込みませんし、何となく怖いということはありません。その答えが正しいかどうかは別としても、決まった以上は、もうやる。そこに迷いはありません。

 そのお考えを持つようになったのは、経営者になってからですか。

 おそらくそうですね。私個人としては、与えられた状況の中でいかにうまくやるか、ということを考える性格だと思います。ただそれだけだと、会社経営には足りないということもわかったので、遠くに置くべきビジョンが必要だと考えました。

 社長就任以降、売上高は10倍以上伸ばして57億円(2018年2月期)に達し、利益も前年に最高益を出しています。店舗数も3店舗から50店舗超まで増やし、株式公開も間近でした。にもかかわらず、ビジョンがきっかけで上場を取りやめたと伺いました。

 ええ、中途で優秀な社員を採用したいと思っていましたが、ある時期までまったくできませんでした。会社の認知を高めて人材獲得につなげようと、上場準備を進めてきました。

 その途中、想像した以上にデメリットがあることに気づきました。それまではノリでできた事業も、きちんと数字に置き換えて株主に説明しなければなりません。そう思うと、私の中ですべて止まってしまいました。経営者としての力のなさですが、何か新しくてふわふわした施策が出なくなったのです。これが地味にきついなと思いました。

 一方、創業300周年を機に、(独自性のある戦略により、高い収益性を達成・維持している企業を表彰する)「ポーター賞」に応募しました。これを受賞すると、世の中の私たちに対する印象が変わりました。経済系のメディアにも取り上げられるようになり、人材も集まるようになったのです。

 もちろん、ビジョンと株式市場で求められるものが微妙にズレているというのはわかっていたことですが、当初、感じていた人材獲得のメリットが薄れ、ビジョン達成に向けての経営の自由度が失われるというデメリットが大きくなりました。ここで、2年半かけて準備して来た上場を取りやめるという判断をしたのです。

中川会長はビジョンをどのように浸透させているのか、また、ビジョンをどう事業に落とし込んでいるのかなどが語られる本稿の全文は、『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2019年3月号に掲載されています。

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◇私たちは こうありたい を追求し続ける(中川政七)
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