交易から地球環境の未来までを内包する
――書評『海の歴史』

ハーバード・ビジネス・レビュー編集部がおすすめの経営書を紹介する連載。第88回はフランスの経済学者であり思想家のジャック・アタリ氏『海の歴史』を紹介する。


 ビジネス書の界隈で「教養」が一大ブームとなっている。歴史、哲学、美術や音楽などの芸術、そしてワインにいたるまで、これまでエコノミクス一辺倒だったビジネスパーソンに、それだけでは生き残れないと警鐘を鳴らす。

 なかでも歴史は、多様な国でビジネスを展開していくうえで、もはや必修と言ってもよいのかもしれない。地政学が注目されているのも当然だろう。そして、海に囲まれた日本こそ、海の歴史を俯瞰的に見ておくべきではないか。

 ジャック・アタリ氏はご存じのとおりフランスのミッテラン政権下で活躍した、アルジェリアの出身の思想家である。欧州ではそれこそ海の覇権争いを続けてきた歴史がある(アタリ氏いわく、フランスは世界第二位の海洋国家でありながら“すべてのチャンスを逃した”)。本書の第4章あたりまでは、海を軸に生命の誕生から人類史・世界史がつながっており、私たちの既存の知識をがらっと違った角度から編み直してみせてくれる。

 メソポタミアしかり、エジプトしかり、大きな文明は水の近くで発生したと言われているが、海路は早くから驚くほど自由で、距離をかせげる。海の交易については、今から20年ほど前、『週刊ダイヤモンド』に「歴史の交差点」というコーナーがあり、川勝平太氏(現静岡県知事)が、東南アジア、インド洋、アラビア半島にいたる海の道をひもときつつ、海洋アジアを近代の源とする新たな歴史観を示してくれた。視野をぐっと広げてくれる読み物だった(川勝氏の海洋史観は文庫で読める)。そして海運はいまもなお重要である(それゆえに紛争も海賊も絶えない)。

 そして第5章、産業革命の足音が聞こえてくるあたりから、技術革新ときな臭さが一気に高まっていく(といっても我々にとって遠い戦争より近い戦争の方がより情報が多いがゆえに、生々しく感じてしまうだけかもしれないのだが)。そして水上のみならず、水中までもが奪い合いの時代に入る。漁業資源のみならず、石油やレアメタルなどの海底資源、海底ケーブルの敷設など、海を経済的に利用し支配しようとする駆け引きは枚挙に暇がない。

 とはいえ、海を経済合理性だけで利用し尽くしてもよいのか。ロビー活動や外交を通じて競合や他国をけん制すればよいものなのか。さらにいえば、不法投棄やテロ活動、地球上の急激な人口増加に耐えられるのか。冒頭でアタリ氏述べた「海を破壊し始めた人類は、海によって滅ぼされるだろう」という言葉が、章を追うごとに鬼気迫るものとなってくる。

 宇宙と水の誕生に始まり、「海を救え」という提言で終わる本書は一貫しているのは、海は誰のものでもないというメッセージであり、しかし一人ひとりが考え、皆で解決の道を探っていこうという危機感である。そこから、個人ができること、各国政府やメディア、国際社会がなすべきこと、行動指針と解決策に踏み込んで提言している点がまさに経営的でもあり、欧州の経営者たちが本書にインスパイアされたというのもうなずける。

 アタリ氏は数々の著作を通じて、単に政治や経済のみならず、芸術や教育、イデオロギー、愛といった従来の歴史とは無縁に見えるものを含めて「包括的な歴史」を描こうと試みている。氏がビジョナリーと言われるのも、多様な視点、すなわち豊かな教養に裏打ちされてのことだろう。まさにいま、ビジネスパーソンに求められているところである。

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