論文セレクション

オイシックス・ラ・大地の奥谷孝司氏が選ぶ、
オムニチャネル戦略への理解を深めた3つの論文

最新の事例や理論が求められるなか、時代を超えて読みつがれる理論がある。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)の過去の論文には、そのように評価される作品が無数に存在します。ここでは、著名経営者や識者に、おすすめのDHBRの過去論文を紹介していただきます。第10回は、オイシックス・ラ・大地執行役員の奥谷孝司氏により、オムニチャネル戦略に関連する3つの論文が紹介されます。(構成/新田匡央、写真/鈴木愛子)

理論を学ぶことは実務家に価値をもたらす

 私は、良品計画でマーケターとして働きながら、早稲田大学ビジネススクールで学んだ時間を通して、自分がそれまでやってきたことを客観的に捉える機会を得ました。

 私たち実務家にとって、理論を学ぶことには大きな意味があると思います。ビジネスの現場ではさまざまな課題に直面しますが、理論化する際に課題の抽象度が上げられるので、それらの課題に潜む本質への深い洞察を得られるからです。理論を構築する根拠が普遍的であるほど、その汎用性も高まるでしょう。

 ビジネスの世界は常に変化し続けており、その変化に後れを取らないためには、自分自身をアップデートし続けなければなりません。アウトプットの精度を時代に応じて高めるには、インプットの精度を高める必要があります。しかし、自発的にインプットしようと思う知識は、いまのビジネスに直接関係があったり、個人的に関心を持っている領域に偏りがちだったりします。

 そのとき、世界の最先端にいる研究者の理論に目を通し、彼らがいま、何に興味を持っているかを知ることで、自分の関心を広げるきっかけにもなります。天才でもない限り、そうした形でインプットしなければ、質の高いアウトプットは出せないのではないでしょうか。そして、『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)は、実務家に示唆を与えてくれる質の高い理論が詰め込まれていると思います。

オムニチャネル戦略への理解を深める

 私は一橋大学大学院に進学し、博士課程において、オムニチャネル戦略を主要な研究テーマに選びました。それに関連する理論を探しているときに出会ったのが、ダレル・リグビーによる「デジタルを取り込むリアル店舗の未来」(DHBR2012年7月号)です。

 これからの小売業は、良い立地、良いブランドで勝負することに加え、顧客とデジタルによってつながり、店舗のデジタル化を進めないとeコマースに負けてしまう。この論文は、顧客理解の促進や小売業に対する危機感の醸成に役立つと同時に、私が良品計画の現場で取り組んでいたことを理論化してくれたと感じました。

 良品計画でオムニチャネル戦略を進めていたとき、私は「MUJI passport」をプロデュースしました。「MUJI passport」とは、お客様がMUJIの店舗で実際に買い物をしたり、店舗内やその周辺でチェックインしたりすると「MUJIマイル」が貯まり、マイルに応じてショッピングポイントがもらえるサービスです。

 この取り組みを通して、さまざまな顧客データを取得できました。もちろん、そうした消費者の限られた行動データからは、消費行動に関するある側面だけしか見えませんが、「MUJI passport」のチェックイン機能から取得したデータによって、顧客理解が深まったことは確かです。

 たとえばチェックイン機能は、店舗の中に入って買い物をした人だけでなく、店舗の近くを訪れただけの人もポイントをもらえます。したがって、チェックイン数の増減と売上げの相関まではわかりません。ただ、チェックインから購買までに至る人は30分以内に買い物をしていること、チェックインから30分経っても購買に至らない人は、その日に何も買わないという傾向があるなどの行動特性を把握できたことで、お客様のアプリ利用と買物の関係を理解することができました。

 データとは、分析する側が持っている暗黙知を形式知化するものであり、それは非常に大きな価値を生み出します。暗黙知のままでは、「なぜそうなるのか」という仮説を立てて、具体的に検証するというプロセスに進めないからです。ただ実際には、データから導かれた事実をにしたとき、「そんなことは知っている」と壁をつくってしまうケースが多い。私はこれを「I knowシンドローム」と呼んでいます。

「MUJI passport」を始めてからのある日のミーティングで、「『MUJI passport』のユーザーは、そうでない人より1.5倍買い物をする」「クレジットカードユーザーは、一度にたくさんの商品を買う」という情報を共有したとき、参加者の一部から「そんなのは当たり前だろ」と言われました。でも、改めて言われると当然だと思えることでも、それまで共有されていなかったということは、その気づきを言語化できていなかったからでもあります。

 そうした当たり前を理解できたら、それは異常値の存在に気づくチャンスです。その気づきは、ユーザーの潜在ニーズの発見につながることがあります。

 良品計画では「体にフィットするソファ」というビーズソファがいまも定番商品ですが、購買データから属性を調べたところ、MUJIのソファを通常購入される層ではない、20代の男性を中心に売れていたのです。次になぜそうなったのかと要因を調べたところ、あるブロガー「人をダメにするソファ」と、この商品を紹介してくれたことで火がついたとわかりました。そうするとたとえば、若い男性にもっと訴求するために何をすべきかと仮説を立て、それを検証するプロセスに進むことができます。

 データは、ただ眺めるだけで何かが生まれることはほとんどありません。しかし、データに示された事実を当然だと受け流すのではなく、その事実にしっかりと目を向けることで、勘や経験として蓄積された暗黙知を形式知に変え、仮説と検証を繰り返しながらイノベーションへと繋げるきっかけになると思います。この論文を読み、そうしたオムニチャネル戦略の基本を学び直すことができました。

良質な顧客体験(顧客時間)を提供する

 デイビッド・エデルマンとマーク・シンガーによる「『顧客体験』はプロダクトに勝る」(DHBR2016年6月号)という論文も印象に残っています。この論文の冒頭には「マーケターは徐々に、商品を管理するのと同じようにジャーニーをも管理しようとしている」というフレーズがありますが、これは私にとってのマーケティングの基本思想といってもよい考え方です。

 カスタマージャーニーとは、顧客が商品・サービスの購入を検討して購買に至るまでの一連のプロセスを指します。私はこのプロセスを「顧客時間」と呼んでいますが、検討・購入・使用・消費をオンラインとオフラインの双方でプロデュースしていくことが、これからのマーケターの重要な仕事だと考えていました。この論文で示されたカスタマージャーニーと顧客時間はほぼ同義であり、自分が考えてきたことに自信を持てました。

 オムニチャネルで良質な顧客体験を提供することで、自社の商品やサービスを買い続けてもらう。そのときに大事なことの一つに、それを担う責任者を明確にし、組織レベルで取り組むことが挙げられます。

 この論文では「ジャーニープロダクトマネジャー」と書かれていますが、これは顧客と商品が関わるあらゆる瞬間を管理する「チーフ・エクスペリエンス・オフィサー(CXO)」に近い発想であり、彼らの重要性がより高まると感じます。私がいま働いているオイシックスでも、顧客の視点に立って顧客体験を設計し、それを継続的にマネジメントする役割が重要であるという認識を持っています。

 ここに書かれているメッセージの中で、特に実務家にとって興味深いのは、ジャーニープロダクトマネジャーに「説明責任を課す」という視点です。カスタマージャーニーのイノベーションによって、どのようなインパクトが生まれるのか。それを提供するための運用コストはいくらか、収益と利益はどの程度期待されるのか。

 顧客体験というとあいまいな概念に聞こえますが、その成果を具体的に評価するための適切な指標を設けることにより、長期的かつ具体的な改善を行うこともできますし、社内で合意形成することも容易になるので、この発想はとても大切ではないでしょうか。

顧客との「感情的つながり」をどう築くべきか

 このように、カスタマージャーニーをプロデュースするという考え方でオムニチャネル戦略に取り組むとき、顧客からの機能面や価格面での要望を把握するだけでなく、彼らの「感情」や「思い」まで理解できると、より深い顧客体験を提供できると思います。スコット・マギッズらによる「『買いたい気持ち』を科学する」(DHBR2016年6月号)は、顧客と企業の感情的なつながりに焦点を当てた論文であり、とても参考になりました。

 オムニチャネル戦略を実行する際、単にネットで商品を販売するだけでなく、店舗体験や商品レビューも含めてリアルとネットの両方を行き来してもらいながら、顧客との適切なつながりを構築する。ここにしっかりと取り組むことが、本当の意味でのオムニチャネルの実現なので、そのメッセージには納得感がありました。

 オイシックスの場合、お客様とのコミュニケーションの9割はオンラインではありますが、優れたWebデザインやUI/UXを整備すれば十分というわけではありません。たとえば、オイシックスの野菜はスーパーなどと比べると安くありませんが、家族に「なぜ高い野菜を買っているのか」と聞かれたとき、その理由を説明できるような情報を提供する。あるいは、オイシックスの商品が届くのは基本1週間に1度ですが、お客様が次の到着を待ち遠しいという感情を抱くような、こちらから積極的なコミュニケーションを図るなども、感情的なつながりを構築するための手段として有効です。

 特にインターネットで商品を販売する場合は、購買までのリードタイムが長いことが特徴なので、顧客との感情的つながりを長期で構築し続けなければ選んでもらえません。かつてはID-POSで得られる購買データしかありませんでしたが、いまはソーシャルメディアなどさまざまな情報と組み合わせることで、顧客の行動データと感情を融合しながら仮説・検証することもできます。マーケターはそれらの視点や手段を重視し、顧客のエンゲージメントを獲得すべきではないでしょうか。

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