イニエスタに学ぶ、
キャリアの幕の下ろし方

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アンドレス・イニエスタがFCバルセロナで迎えた最終戦を象徴したのは、意外な写真だった。得点を決めて喜びを爆発させるシーンでも、大歓声に涙で応える様子でもない。すべての観客と選手が去ったあと、ホームスタジアムのセンターサークルに裸足で座るイニエスタの姿だった。転職が当たり前になったいま、キャリアの区切りは軽視されがちだが、長い人生で働く意義を見出し続けるためには、その儀式をしっかりと行うことが重要だと筆者らは言う。


 試合は終わった。拍手は鳴り止み、観客はみな帰途についた。すべきことをすべて終え、ようやく休める。彼はスパイクを脱ぎ、座り込んだ。

 誰かが撮ったそのときの彼の写真がSNSでまたたく間に拡散した。彼の名は、アンドレス・イニエスタ。彼の世代で最も才能があり、成功したサッカー選手の一人だ。写真の中でイニエスタは、FCバルセロナ(通称バルサ)のホームスタジアム、カンプ・ノウでのラストマッチを終え、裸足でグラウンドに座っている。

「スラムダンク」「カウントダウン」「ホームラン」「ファンブルする」といった用語が日常生活のさまざまな場面で使われるくらいスポーツは身近な存在だ。そんなスポーツ業界の写真として、これは特異な1枚だった。スポーツ写真は通常、勝負や失点、カムバックといった競技中の決定的瞬間をとらえる。

 イニエスタを映したその1枚は、通常のスポーツ写真とはまったく異なる瞬間をとらえていた。それは、もっと存在の根源に近い瞬間であり、仕事や試合、あるいはショーを終え、誰もいなくなった空間にいる瞬間だ。過去は歴史となり、未来はまだこれから始まる、そんな空間だ。誰もが多かれ少なかれみずから望んで訪れる空間であり、働く期間がどんどん長くなり、キャリアはより細切れになっているいま、より頻繁に訪れる空間でもある。

 人は、生涯で12回以上転職することも珍しくない。リンダ・グラットンとアンドリュー・スコットは「人生100年時代」をテーマにした著書の中で、すべての転職が昇進やステップアップではなく、大きなキャリアシフトとしての転職があることを示している。

 イニエスタにとってカンプ・ノウでの試合は、そんなキャリアシフトとなる一夜だった。彼の職業人生は、ここで終わりではない。最後のワールドカップへの出場や日本でのエピローグ、そして、その後もまだ新たな道が続いていく。

 にもかかわらず、その夜の写真は1つのシーズンの終わりをとらえていただけではなかった。1つの時代の終わりを映していたのである。

 12歳でバルサのユースアカデミーに入団したイニエスタは、プロに転向してから22年間、スペインのサッカー史上で最も多くのトロフィーを獲得した。退団するまで彼は一度も移籍せず、バルサを「美しい試合で観客を魅了するチーム」に育て上げるのに貢献した。

 イニエスタは行く先々で、バルサファンのみならず、敵陣チームのファンからも大きな喝采を浴びた。華麗なプレーに加え、その人柄が多くのファンから支持された。2010年のワールドカップでは、決勝ゴールを決めた後、ユニフォームを脱いだ。アンダーシャツには、前年に心臓発作で急死したダニ・ハルケへの思いが手書きされていた。「僕たちはいつも、ともにある」

 死を意識すると、人はより有意義な活動に取り組み、仕事へのやりがいもより強く感じることが、さまざまな研究でわかっている。時間が限られていると知ると、時間を意味あるものにしようという意識が働くからだ。

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