GMの歴史から考察する、テスラの将来

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GMと、テスラとイーロン・マスクとの関連性

 さて、歴史の講義は済んだ。だが、それがテスラとどのような関係があるのか。

 テスラに注目している人は、スローンはGMの創業者ではないと知れば興味を持つかもしれない。スローンは、ボールベアリングを製造する小さな企業の社長であり、同社は1918年にGMに買収された。1923年にスローンが社長に就いた頃のGMは、すでに7億ドル規模の企業であった(今日に換算すると、約102億ドルの売上高)。

 けれども、GMをその規模にまでつくり上げた人物の名前を耳にしたことはないだろう。16年前の1904年に、ゼネラルモーターズの母体を創業した起業家は誰か。GMの創業者にちなんだ慈善財団、ビジネススクール、病院などはないのだろうか。その人物は、どうなったのだろうか。

 ゼネラルモーターズの前身を創業したのは、ウィリアム・(ビリー)・デュラントである。20世紀にさしかかる頃、デュラントは馬車製造の最大手事業者の1人であり、年間15万台を製造していた。だが彼は、1904年、ミシガン州フリントで初めて車を目にして以降、今後は内燃機関で駆動する斬新な移動手段の時代が来ることを、初めて予見した1人となった。

 デュラントは、馬車製造会社からの資金をつぎ込んで、ビュイックという名の業績不振の自動車スタートアップを買収した。デュラントは優れたプロモーターかつビジョナリーであり、1909年までに、ビュイックを米国で最も売れている車にした。

 自動車という新しい業界でビジネスモデルを模索する彼は、同年、自動車会社は複数のブランドを提供すべきであるという先見の明に基づき、小さな自動車会社を新たに3つ買収した。キャデラック、オールズモービル、ポンティアックというそれらメーカーをビュイックと合併させて、社名をゼネラルモーターズに改めた。彼はまた、成功するには会社を垂直に統合する必要があると信じ、部品のメーカーとサプライヤーを29社も買収した。

 翌1910年に、問題が生じる。デュラントは優れた起業家ではあったが、複数の会社とサプライヤー群を統合することは困難であった。そこに不況が襲い、GMはいくつもの買収による2000万ドルの負債が返済能力を超え、キャッシュが底をつこうとしていた。

 デュラントに融資する銀行と取締役会は、彼をみずから立ち上げた会社から解雇した。

 通常ならば、物語はそこでジ・エンドかもしれないが、デュラントの場合は違った。翌年にデュラントは、ルイス・シボレーと共同で別の自動車スタートアップを立ち上げた。続く5年間で、デュラントはシボレーをGMと競合するまでに成長させる。そして1916年、彼はピエール・デュポンの後ろ盾を得て、GMの経営権を買い戻した。最も盛大な復帰劇の1つである。

 彼は再びゼネラルモーターズを掌握し、シボレーをGMに吸収させ、車体メーカーのフィッシャーボディと冷蔵庫メーカーのフリッジデールを買収し、GMの系列金融会社としてGMACを創設した。そして、6年前に彼を解雇した銀行家たちをお払い箱にした。

 その後デュラントは、GMの実権者として華々しい4年間を過ごす。当時の彼はGMの経営者だけでなく、ウォール街の大物投機家(GM株も対象)でもあり、ニューヨークの社交界でも重要人物であった。

 だが、問題の兆しは見えていた。デュラントは、見境のない拡張を許すだけの資金がある間は勢いがあった(彼はシェリダンとスクリップス・ブースという2つの自動車会社を買収したが、どちらも既存製品と競合)。しかし、1920年までには、第一次世界大戦後の金融危機が襲い、車の売上げが伸び悩む。デュラントは、キャッシュと顧客は今後も途切れないものと信じて、せっせと製造を続けた。

 この間、在庫は積み上がっていき、株価は暴落し、GMのキャッシュは底をつきつつあった。1920年春、同社は銀行に頼り、営業資金を調達するために8000万ドル(2018年の約10億ドル相当)の融資を得るはめになった。デュラントの周囲の誰もが、彼には先を見る目があると認めてはいたものの、そのワンマン経営が会社にダメージを与えていた。

 彼は優先順位づけができず、直属の部下と顔を合わせる時間をつくれず、混乱について不満を口にする部下の首を切った。会社は財務管理において、デュラントの金策の手腕に頼るほかなかった。株価が暴落すると、デュラントの所有株は、彼が返済義務を負う銀行に乗っ取られる危険にさらされ、そうなれば、銀行がGMの相当部分を所有することになる。取締役会は、先は見えたと判断し、デュラントの株式を買い上げ、業務遂行力のある誰か他の人物が必要だと考えた。

 こうして再び、取締役会は、デュラントをゼネラルモーターズから追放(このときはデュポン一族が主導)した(当時のGMの売上高は、今日に換算して100億ドルであった)。そして、アルフレッド・スローンがGMの社長に就任し、その後30年間にわたり舵を取る。

 ウィリアム・デュラントは自分の3つ目の会社、デュラント・モーターズを築こうとしたが、依然として投機的な株取引を続け、1929年の世界大恐慌で破産し、1931年に廃業した。晩年、デュラントはミシガン州フリントでボーリング場を経営し、1947年に亡くなった。

 1920年にデュラントが解雇された日から、以降の半世紀にわたり、米国の商業は、既存のビジネスモデルを管理・遂行する「スローン式の経営者」たちによって牽引されてきたといえるだろう。

 だが、ビリー・デュラントの精神は、のちにシリコンバレーを成すものの中に再び湧き起こる。そして100年後、イーロン・マスクが、移動手段の未来はもはや内燃機関にはないと予見し、次の偉大な自動車会社を築いた。

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