幸福を追求するがあまり
パラドックスに陥ってはいないか

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多忙を極める現代、幸福の重要性を説く専門家が増えている。たしかに、誰もが悩んでいる。だが、日々幸福を感じていれば、それで人生の目標は達成できるのだろうか。常にポジティブでなくてはならないのだろうか。近年賑わいつつある、幸福論を検証する動きを紹介する。


 幸福について書かれた記事や本を読むことほど、うんざりすることはない。なぜなら、幸せになる方法について、あまりにも多くのアドバイスが氾濫しているからだ。

 フレデリック・ルノワールがHappiness: A Philosopher’s Guide(幸福:哲学者の手引き)で指摘しているように、偉大な思想家たちはこのテーマについて2000年以上にわたって論じてきたが、見解の一致には至っていない。アマゾンをのぞくと、自己啓発書のサブカテゴリ―の「幸福」には14700点もの本があるし、「幸福」とタグ付けされたTEDトークは55もある。

 いったい私たちを幸せにするものは何なのだろう?

 健康、お金、人間関係、意義ある目的、"フロー(忘我的高揚)"、寛容、感謝、心の平穏、ポジティブ思考……研究によれば、すべて幸福に関係があることがわかっている。うれしいことを数える、1日10分瞑想する、無理やり笑う、といったきわめて単純な方法でも幸せになれる、と説く社会科学者もいる。

 にもかかわらず、多くの人も同じだと思うが、私にとって幸福は依然として捉えどころがない。

 もちろん私も、寝る前に子どもに本を読んだり、仕事で憧れの人にインタビューしたり、やっかいな原稿を書き終えたりしたときには、喜びもするし満足も覚える。健康だし、支えてくれる家族や友人もいるし、刺激があり融通も利く仕事もある。

 それなのに、私はネガティブな感情に覆われることがしばしばある。心配、不満、怒り、失望、罪悪感、嫉妬、後悔……私の心はいつも満たされない思いを抱えているのだ。

 幸福について書かれた膨大な、そしてなお増えつつある書物が、そんな感情から救ってあげようと語りかけてくる。だがそう言われても、落ち込んだ気分に追い打ちをかけられるだけだ。

 自分の幸せを感謝すべきだということはわかってはいる。私にはそう思うべき理由がたくさんある。人より恵まれていることも多い。幸せな人のほうが成功することも知っている。ちょっとしたメンタル・エクササイズが役に立つことがあるのも知っている。

 それでもやはり、気持ちが沈んだとき、それを乗り越えるのは一苦労だ。

 さらに正直に言うと、そんな満たされない思いを、非生産的な悲観主義の産物ではなく、きわめて生産的な現実主義の結果と考えている節が自分のどこかにある。ともかく、私にはいつもハッピーな気分でいる人生など想像できない。そんなことを言う人には大いに懐疑的になってしまう。

 私がこの小文を書くことにしたのは、ここ数年、同様の観点からの論調が目につくようになったからだ。

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