論文セレクション

ビジネス書作家・河野英太郎氏が選ぶ、
自分を律するうえで拠り所となった論文

最新の事例や理論が求められるなか、時代を超えて読みつがれる理論がある。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)の過去の論文には、そのように評価される作品が無数に存在します。ここでは、著名経営者や識者に、おすすめのDHBRの過去論文を紹介していただきます。第7回は、ベストセラー『99%の人がしていない たった1%の仕事のコツ』などの著書があるビジネス書作家であり、日本IBMに勤務する河野英太郎氏により、自分がやるべきこと、リーダーとしてあるべき姿を見失わないための支えとなった論文が紹介されます。(構成/新田匡央、写真/鈴木愛子)

 私がアクセンチュアに在籍していた20代の頃、当時はビジネスパーソンとして、まだまだ未熟でした。そのため、自分に必要な知識を学び、情報を仕入れるうえで優先順位が高かったのは、『日経ビジネス』や『週刊ダイヤモンド』などのように、実務に直接役に立つと感じられる雑誌を読むことでした。

 それでも、『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)という雑誌の存在は、心のどこかで意識してはいました。自分の名刺には、まがりなりにも「コンサルタント」と書いてあり、クライアントに高い価値を提供することが求められます。DHBRには、そのためのヒントが書いてあることや、長期的な視点で書かれている論文が多く、自分の将来を考えるうえでも役立つことが書かれていると知っていたからです。

 20代の私にとって、1冊2000円もする雑誌は遠い存在だったので、興味のあるテーマが書かれているときに購入し、その頃は自分が気になる論文を読み込むというスタイルでした。現在は定期購読しています。

トップの経営哲学を深く理解し、
仕事の判断基準を与えてくれた論文

 私はその後、PwCコンサルティングに転職しました。そして、2002年に同社がIBMに買収されたことで日本IBMグループに移籍することになり、合併後もコンサルティング業務を継続しました。ただ、徐々にIBMの事業会社の1つとしての色が強くなっていき、内心では複雑に思いながら仕事をしていたのも正直な気持ちです。

 そんなとき、同じようにPwCコンサルティングから移籍し、日本IBMの人事担当役員に就いた人から、「人事部門に来ないか」と誘われました。2005年、私が31歳のときです。その誘いは、自分の環境を変化させるには絶好のタイミングだと思い、私は人事部門で働くことを決断しました。

 それから参考にと渡されたのが、当時IBMで会長兼CEOを務めていた、サミュエル J. パルミサーノへのインタビュー「IBMバリュー:終わりなき変革を求めて」(DHBR2005年3月号)です。パルミサーノのような世界的に著名な経営者と向き合い、その声を直接届けられるのは、HBRという雑誌にしかできないことだと思います。すでに読んでいましたが、再度しっかりと読み直しながら、担当役員と「こんなビジョンを実現したい」という話をしたことを覚えています。

 パルミサーノの前のCEOは、ルイス・ガースナーです。ガースナーはハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得し、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社しました。アメリカン・エキスプレスCEO、RJRナビスコCEOを経て、IBMのCEOに就任した経緯があり、いわゆる外様です。それでも圧倒的な変革力によって、IBMをハードウェアメーカーからソリューションプロバイダーに変身させた、まさにカリスマ経営者でした。

 IBMの初代社長であるトーマス・ワトソン・シニアは、「基本的信条」と名づけた3つの大原則を打ち出しました。それは、「個人の尊重」「最善の顧客サービス」「完全性の追求」です。この価値観は長らくIBMの経営の柱として尊重されてきました。パルミサーノは、時代の変化に応じて、IBMの価値観を再定義すべきだと考えたのではないでしょうか。そうしてたどり着いたのが、イントラネット上で新たな価値観とは何かを議論する「バリューズジャム」だったのだと私は考えています。

 パルミサーノはバリューズジャムを通じて、IBMの新しい3つの価値観である、「お客様の成功に全力を尽くす」「私たち、そして世界に価値あるイノベーション」「あらゆる関係における信頼と一人ひとりの責任」を完成させました。そして、これら3つの価値観を徹底させることで「Globally Integrated Enterprise」という大変革を実現し、IBMに大きな成長をもたらしたのです。

 DHBRに掲載されたパルミサーノへのインタビューを読んで、私は多くの刺激を受けました。日本IBMの社員の1人として、バリューズジャムが実行されていることは知っていました。ただ、それがどのような意味を持つのか、組織の末端で働く人間にはなかなか理解できなかった。でも、この論文を読んだことで、パルミサーノの意図が鮮明に伝わってきました。

 それからは、目の前にある小さな業務の1つひとつにも、それはパルミサーノが提唱する3つの価値観にふさわしいのかと考えるようになりました。同時に、それらに合致しない決定に対しては嫌悪感を覚えるようになり、全力で抵抗するようにもなりました。この論文は、従業員一人ひとりが企業の価値観を理解し、それを実践することがいかに重要かを、真剣に考えさせるきっかけを与えてくれました。

組織の変革を加速させるうえで
自分を律する拠り所となっている論文

 その後、私は2013年に一度IBMを離れましたが、2016年1月、復帰することを決めました。人事時代に一緒に働いた方から「戻ってこないか」と誘われたのが直接のきっかけです。転換期の真っ最中にあるIBMで、変革を加速させることが私の1つの役割となっています。

 外の世界を見てから戻ったことで、IBMが抱えている課題をより客観的に見られるようになったと感じます。パルミサーノ時代の売上げは約10兆円でしたが、いまでは8兆円を切るかどうかという水準になりました。現在のIBMでは、技術に対する世の中の期待と、その技術を軸としたビジネスモデルへの変革のスピードにギャップがあると感じています。

 私は、自社で素晴らしい技術を持っているにもかかわらず、それを売るための組織になりきれていないことが、現在のIBMが抱える大きな課題の1つだと考えています。ガースナーは、ハードウエア事業からサービス事業への転換を打ち出し、パルミサーノがその取り組みを完成させました。以来、サービス事業は基幹事業となり、IBMを支えてきました。

 そして現在、IBMはテクノロジーを中心に、人工知能とクラウドプラットフォームを提供する会社として、ふたたび新たな方向に舵を切ろうとしています。これは非常に大きな転換点となるため、そこに人材もシフトしなければならない時期なのですが、その取り組みを実施するのは簡単ではありません。そうした状況を変えるのが私の役目の1つでもあるのですが、変革には痛みが伴うものであるということを日々実感しています。

 どれほど優れた技術を持っていても、それを売る人材も一流にならないと、お客様に買ってもらうことはできません。社員はお客様の求める新しいサービスを提供するために、新しいスキルを習得し、みずからを変革する必要があります。そのためには、長年提供してきたサービスに強い愛着を持っている社員に「いま進むべきはこちらなんです」と納得してもらうことが重要です。お客様をどう説得するか以前に、社内を説得しなければ何もことが進まない。私はいま、組織を変える難しさを実感しています。

 こうした変革を進める難しさに立ち向かうに当たり、精神的な支えになっている論文があります。それが、ハーミニア・イバーラの「『自分らしさ』が仇になる時」(DHBR2016年2月号)です。

 個人的にも、イバーラとは縁がありました。ハーバード・ビジネス・レビュー・プレスから刊行された、“Act Like a Leader, Think Like a Leader"の邦訳版である『世界のエグゼクティブが学ぶ 誰もがリーダーになれる特別授業』(翔泳社、2015年)が出版される際、私は翻訳監修者として関わっています。

 自分らしさを大切にするオーセンティック・リーダーシップも重要ですが、そこに頑なになってしまうと、自分自身を進化させようとする気持ちを妨げ、居心地がよいコンフォートゾーンから抜け出せない事態につながります。そこに居座らないための、論理的な支えになったのがこの論文でした。彼女の著書とも主張と共通するメッセージが、この論文では記されていると思います。

 身近な例で考えると、たとえば、組織のリーダーには現場で優秀だと評価される人が就くことが多く、立場が変わっても、彼らがそれまでの仕事から離れられないことは問題とされています。現場にとどまり、これまでのリーダーとしてのやり方を維持すれば、そこで着実な成果を上げることはできます。私の周囲でも実際、特に新任管理職や若いリーダーは、そこで迷っている人が少なくない印象です。

 私もオペレーションが得意なほうですから、現状の組織で成果を上げることだけを考えたら、現場のリーダーとしての仕事に戻ったほうが達成感も得られますし、それなりのパフォーマンスを出す自信はあります。しかし、自分が過去に成功したスタイルから抜け出し、組織やチームの力を引き出す方法を優先するのがリーダーの本当の役割であり、その誘惑と立ち向かわなければなりません。

 組織が変わり、進化するためには、リーダー1人ひとりが何よりまず目的を明確にし、論理的最短距離を見据えたうえで、現実的最短距離をつくるというプロセスを繰り返すしかありません。たとえ結果的に選んだ道は同じだとしても、論理的最短距離を無視して、現実的最短距離から入ってしまうとしたら、それは単なる妥協です。

 そうは言いながら、私自身、やるべきことはこれだという信念を持って行動していても、そこに確信を持てずにぶれそうになることがあります。そんなときに、イバーラのような信頼できる学者の論拠があると、心強いです。この論文は、現在のミッションをやり遂げるうえで自分がどうあるべきかを考え、そこから逃げ出さないための拠り所となっています。

 私はIBMが好きだからこそ戻りましたし、この会社は変われるという期待感が強いからこそ、歯がゆい思いをすることもあります。自分の子どもに対する気持ちに近いですね。「こんなことが、なぜできないのか」と、どうしても感情的になってしまう。もちろん、自分もその組織をつくっている1人ですから、他人事ではなく、自分を律していかなければならない。それを忘れてはいけないということも、この論文から学びました。

 今回、DHBRの論文を読み返す作業には、大きな価値があると改めて感じました。過去に読んだときの記憶と当時の自分の行動を思い出し、振り返る作業をしっかりと行うことは、これからの生き方にも活かされると思います。それができるのは、DHBRに掲載されている論文が、時代を越えて普遍的な価値を持っているからではないでしょうか。

Special Topics PR
今月のDIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー
世界のエグゼクティブが注目する話題の新シリーズEI Emotional Intelligence  知識から感情的知性の時代へ 待望の日本版創刊
定期購読
DHBR2019年4月号『シニア人材を競争力に変える』発売!
  • facebook
  • Twitter
  • RSS
アクセスランキング

 

スペシャルコンテンツ