論文セレクション

マネジメントの役割とは、
時を告げるのではなく、
ビジョナリーな時計をつくること

ジェームズ C. コリンズ

『Harvard Business Review』を支える豪華執筆陣の中で、特に注目すべき著者を毎月1人ずつ、首都大学東京名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選して、ご紹介します。彼らはいかにして現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会としてご活用ください。2018年3月の注目著者は、元スタンフォード大学ビジネス・スクール教授であり、『ビジョナリー・カンパニー』シリーズでもお馴染みのジェームズ C. コリンズ氏です。

『エクセレント・カンパニー』の制作に
調査スタッフの一員として携わる

 ジェームズ C. コリンズ(James C. Collins)は、1958年に米国コロラド州オーロラ市に生まれた。当年60歳になる。

 幼い頃は、アーティストであった父の仕事の都合で、サンフランシスコで過ごしたが、離婚した母に伴ってコロラドに戻り、同州で高校まで過ごした。1976年、スタンフォード大学(以下スタンフォード)に進学し、数理科学を専攻した。だが、大学のキャンパスにいることよりも、シエラネバダ山脈の西山麓に広がるヨセミテ渓谷で、ロッククライミングのトレーニングをすることに多くの時間を費やした。のちに、「人生の真の生き方はヨセミテで学んだ」と述べているほど、屈指のロッククライマーであった。

 コリンズは50歳になったとき、ヨセミテ渓谷にそそり立つ約1000メートルの岩壁「エル・キャピタン」(El Capitan)に、24時間で登攀することを決意した。エル・キャピタンの登攀には通常、数日を要する場合がほとんどである。だが、同氏は若いパートナーの支援を受けながら、結果的に19時間での登攀に成功した。

 ロッククライマーのコリンズは、その人生も同じように、リスクを恐れず果敢に挑戦してきた。それは、グラマンのテストパイロットであり、若くして航空機事故で亡くなった祖父ジェリー・コリンズ(Jerry Collins)の血を引いているからだという自覚があり、コロラド州ボルダーの経営研究室には祖父の写真を飾っている。

 コリンズは1980年5月、1つ年下でスタンフォードの学生であったジョアン・アーンスト(Joanne Ernst)と知り合い、同年の12月に結婚した。スタンフォードを卒業したのち、同大学ビジネス・スクールに進学し、1983年にMBAを取得した。その間、マッキンゼー・アンド・カンパニー(以下マッキンゼー)サンフラシスコ・オフィスで調査補助を務めることもあったが、妻が働いて2人の生活を支えていた。

 マッキンゼーのコンサルタントであるトーマス J. ピーターズ(Thomas.J. Peters)とロバート H. ウォーターマン(Robert H.Waterman)が著してベストセラーとなった、In Search of Excellence, 1982.(邦訳『エクセレント・カンパニー』講談社、1983年)の巻頭には、“Among those nameless, many of our Stanford Graduate School of Business students are included.” と書かれている。文字通り、コリンズは無名の調査スタッフの1人として同書の制作に加わり、企業の成功要因に関する調査研究を経験した。

 コリンズはMBA修得後、マキンゼーにコンサルタントとして採用されたが、18ヵ月で同社を退職すると、ヒューレット・パッカード(HP)に移り、PCグループのプロダクトマネジャーを務めた。しかし、HPでの仕事も長くは続かなかった。会社人としての決まり切った生活や、HPの組織文化と肌が合わなかったこともその理由だが、1983年以来、会社を辞めてトライアスロンに挑戦していた妻の活動をサポートするために、ナイキやバドワイザー等の企業とスポンサー交渉などを行う、スポーツマネジメントの仕事を始めた。

 それは、コリンズがビジネス・スクールに在学中、同氏を支えるために働いてくれた妻に対する感謝の表れでもあった。彼女はトライアスロンに挑戦してから3年目の1985年、ハワイで開催された世界大会に出場し、念願のチャンピオンとなった。[注1]

 コリンズは、スポーツマネジメントの仕事や、フィットネスのアプリケーション・ソフトウエアを開発するベンチャー企業を立ち上げたこともあったが、それも長続きすることはなかった。それは、1987年、妻がランニング中に交通事故に遭い、怪我からは復帰できたものの、アスリートとしての生活に戻ることはなかったためである。

エクセレント・カンパニーを超える
ビジョナリー・カンパニーを求めて

 コリンズは1988年、組織行動論のケースディスカッションを担当する講師として、スタンフォードに採用された。同大学でメンターを務めたのは、同じ分野を担当するジェリー I. ポラス(Jerry I. Porras)教授であった。1991年、コリンズが師と仰ぐポラスとの執筆した最初の論文として、“Organizational Vision and Visionary Organizations,” with Jerry I. Porras, California Management Review, 1991.(未訳)を『カリフォルニア・マネジメント・レビュー(California Management Review)』に寄稿した。

 コリンズはこれまで、6冊の書籍を出版している。最初の著書は、ポラスの指導を得て6年間の調査研究をまとめた、Built to Last, with Jerry I. Porras, 1994.(邦訳『ビジョナリー・カンパニー』日経BP社、1995年)である。

『ビジョナリー・カンパニー』は、企業が永続するには何が必要なのか、という問題意識に答えるための調査研究である。同書は、ベストセラーとなった『エクセレント・カンパニー』を超える出版部数を記録した。なお、『Harvard Business Review(ハーバード・ビジネス・レビュー)』(以下HBR)誌に寄稿した、“Building Your Company’s Vision,” HBR, September-October 1996.(邦訳「ビジョナリー・カンパニーへの道」DHBR再掲2006年11月号)は、『ビジョナリー・カンパニー』の要約である。

 長年にわたり永続する企業には、価値観(Core Values)と企業目的(Core Purpose)から成る、しっかりとした基本理念(Core Ideology)があり、さらに未来に向けて社運を賭けて挑む大胆な目標のBHAG(Big Hairy Audacious Goal)と、鮮やかな未来像(Vivid Description)があるとし、それらを備えた企業を「ビジョナリー・カンパニー」と命名した(下図参照)。

図1:ビジョナリー・カンパニー

 調査対象となったのは、HPや3Mなど代表的米国企業として広く尊敬されている、卓越した企業である。ウォルト・ディズニーに対してコロンビア・ピクチャーズ、マリオットに対してハワード・ジョンソン、3Mに対してノートンというように、18の業種を対にした「ペア分析」を行った結果、その対象企業は36社となった。米国以外の企業としては、ソニーとケンウッドについて詳細な検討がされている点が特徴的であった。

 HBR誌のシニア・エディターを務めたジュリア・カービー(Julia Kirby)は、 “Toward a Theory of High Performance,” HBR, July-August 2005.(邦訳「『高業績理論』の過去と未来」DHBR2005年12月号)において、成功企業に共通して見られる要因を探索した著作について、比較検討を実施した。

 同論文の中では、対象企業の特定化について、『エクセレント・カンパニー』は6種類の異なる財務諸表を選定基準にしているが、その適用には一貫性がなく、きわめて恣意的であったと評価した。一方、『ビジョナリー・カンパニー』は組織文化の強さと経済的な成功との関連性に着目し、純利益の成長率、投下資本利益率、株価という3つの視点で成功を定義して、同じ業界の勝者と敗者の「ペア分析」を採用することで、異なる業界で勝者となった企業に共通するパターンを鮮明に描いていると評した。

 コリンズは、同書の制作の共著者としてポラスが加わったことで、客観性のある調査手法に関する指導を受けられたと、師に対して感謝を述べている。

ピーター F. ドラッカーとの出会いが
コリンズの人生を変えた

『ビジョナリー・カンパニー』の出版は、コリンズにとって新たな人生への転機となった。

 1994年12月、コリンズは、クレアモントの閑静な住宅街にあるピーター F. ドラッカー(Peter F. Drucker)家を訪問した。同書を出版して間もない頃、ドラッカーからコリンズに電話があり、訪問する旨を答えていたからだ。緊張して訪問した当時のことについて、コリンズは後年、“The Daily Drucker”[注2]として自身のウェブサイトに記している。

 そのときコリンズは36歳であり、ドラッカーは85歳であった。ドラッカーは『未来企業』(1992年)や『ポスト資本主義社会』(1993年)を上梓したばかりであり、直近ではHBR誌に、“The Theory of Business,” HBR, September-October 1994.(邦訳「企業永続の理論」DHBR1995年1月号、2010年6月号)を寄稿していた。なお、ドラッカーは同論文で1994年度のマッキンゼー賞を受賞した。

 ドラッカーは『企業永続の理論』において、企業が永続するためには、社会とその構造、市場、顧客、技術、そして組織の社会的な使命という前提があるのだから、それらの変化に合わせて、社会に対して何を貢献できるのかという視点で検証し、再構築することが必要であると主張した。

 ドラッカーとコリンズの主張を比較すると、企業が永続するためには、将来に向けて自社の事業を再定義した未来像を持つ点は一致していた。だが、コリンズが、基本理念が「時計」として備わっているとした点は不十分であり、その時計となる企業の価値観として社会的な使命が必要ではないか。ドラッカーは、そう言いたかったのである。

 ドラッカーには、ウインストン・チャーチルが激賞した『経済人の終わり』(1939年)にはじまり、企業組織のあり方を説いた『会社という概念』(1946年)など、社会ばかりでなく企業にも多大な影響を与えた26冊の著作があった。コリンズは、その中でどの本が一番誇りとなる著作か、と質問した。するとドラッカーは、“Next One.” と答え、新たな課題に向けて次の執筆に取り組んでいることを話した。コリンズは「36歳の自分は、たった1冊の成功に喜んでいてはいけない」と悟ったという。

 ドラッカーとの出会いを機に、コリンズは、ドラッカーのような問題意識を持って執筆に専念したいと考えるようなった。

 スタンフォードでは、ケースディスカッションにレッドフラッグ[注3]を導入したことで、最も教育に貢献した教員として表彰されたこともあり、Ph. D. を取得してテニュアの教員になる道も残されていた。しかし、1995年に同大学を退職して生活の場をコロラド州ボルダーに移すと、『ビジョナリー・カンパニー』で得た資金をもとに経営研究室(management lab. “Chimp Works”)[注4]を設立した。1892年に建てられた赤煉瓦づくりの廃校をリフォームしたオフィスを借り、コロラド大学ボルダー校リーズスクール・オブ・ビジネスから推薦された優秀な大学院生を調査スタッフとして、次なる著作の執筆に向けて調査研究を開始した。

グレート・カンパニー(偉大な企業)とは何か

 研究室の設立に当たり、コリンズは、「偉大な企業(Great Company)とは何か、よい企業は偉大な企業になれるのか、どうすれば偉大な企業にはなれるのか」という問題意識を持ち、調査チームを組織した。それは、マッキンゼーのサンフランシスコ・オフィスの幹部から「『ビジョナリー・カンパニー』は役に立たない。そこで取り上げた企業には、偉大な創業者がいて、基本理念と大胆な目標に向かっており、最初から偉大だった。よい企業といわれる凡庸な企業が偉大な企業になるためにどうすればよいのか。それが問題なのではないか」と指摘されたためである。

 研究室の創設から最初の著作となり、コリンズにとっての2冊目は、Beyond Entrepreneurship, 1995.(未訳)であった。同書では、小規模企業が偉大な企業として永続するためには、経営者が自己中心的な企業家精神を超えて、大胆な目標を持ちながら、謙虚に社会的な使命の意識に立つべきである、と主張した。その主張は、ドラッカーの影響を大きく受けた内容であった。

 調査を始めるうえでの課題は、客観的な事実に基づいて、よい企業から長期にわたって飛躍を遂げた偉大な企業を見つけ出すことであり、そのために4段階に分けて検討することにした。コリンズの調査チームは、1965年以来「フォーチュン500」に登場した1435社を対象に調査を行い、11社を選別し、さらにペア分析の比較対象企業である11社と、成長を持続できなかった6社を加えて、計28社に関して5年の歳月をかけて分析した。その成果は、3冊目の著作である、Good to Great, 2001.(邦訳『ビジョナリー・カンパニー2』日経BP社、2001年)として上梓した。

 また、偉大な企業への変革をもたらすメカニズムについては、HBR誌に、“Turning Goals into Results: The Power of Catalytic Mechanisms,” HBR, July-August 1999.(邦訳「ビジョナリー・カンパニーの行動哲学」DHBR2000年12・1月号)を寄稿した。ビジョナリー・カンパニーには、未来に向けて社運を賭けた大胆な目標であるBHAGと鮮やかな未来像があるとしたが、同論文では、BHAGの実現を組織の中で触発し、ストレッチするための変革のメカニズムを「触媒メカニズム(Catalytic Mechanism)」と名付けて、企業が変容する様子を紹介した。

 たとえば、キンバリークラークの社内弁護士からCEOになったダーウィン・スミスは、同社を新聞紙などの業務用製紙企業から世界一流の消費者向け紙製品企業にする、というBHAGを打ち出した。そして自社の伝統的な製紙工場の売却を決断するとともに、クリネックス・ティッシュのブランドへの投資を強化した。また、新規で紙オムツ市場に参入してP&Gに挑戦する戦略を打ち出したり、競合企業のスコット・ペーパーを買収したりして、偉大な企業への変革を実現させた。キンバリークラークは、P&Gと8つ製品カテゴリーで競合したが、そのうちの6つで勝利を収めた。

 また、同じくHBR誌に寄稿した、“Lever 5 Leadership: The Triumph of Humility and Fierce Resolve,” HBR, January 2001.(邦訳「レベル5 リーダーシップ」DHBR2001年4月号)では、変革を先導した経営者のリーダーシップを取り上げ、ダーウィン・スミスについて、比類のない謙虚さとプロフェッショナルとしての意志の強さを示す「レベル5のリーダ-シップ」(下図参照)を備えた人物として描いている。

図2:レベル5のリーダーシップ

 レベル5とは、経営幹部として最高の階層を表したものであるが、レベル5のリーダーシップは、謙虚さと意志の強さ、内気さと大胆不敵さという二重性を備えている。その性格は、第1に、現実に対する強烈かつ禁欲的とさえ言える「決意」、第2に、関わったすべての案件で最高を目指す「情熱」、第3に、社員を賞賛し、みずからを語らない「謙虚さ」を備えていることである、とする。

 コリンズはさらに、『ビジョナリー・カンパニー2』で述べた偉大な企業への変革は、社会的なセクターの非営利組織にも適用することができるということで、Good to Great and the Social Sectors, 2005.(邦訳『ビジョナリー・カンパニー【特別編】』日経BP社、2006年)を上梓した。5冊目の著書、How the Mighty Fall, 2009.(邦訳『ビジョナリー・カンパニー3』日経BP社、2010年)では、これまで分析してきた60社以上の企業の中から、衰退の道を歩んだ企業11社を取り上げ、その時点で業績が維持・成長していた同業の11社とペア分析を行い、衰退の5段階を明らかにした。6冊目の著書、Great by Choice, with Morten T. Hansen, 2011.(邦訳『ビジョナリー・カンパニー4』日経BP社、2012年)では、カオスとも言える不確実性の高い事業環境にあって、同業他社と比較して10倍以上の業績を上げている「10X型企業」(a truly great enterprise)7社を取り上げた。

 コリンズは、これまでの40年間にわたり、ロッククライマーとして生きてきた。同氏は、ヨセミテ渓谷の岩壁の登攀には、命綱を結び合ったパートナーの存在が不可欠であるように、妻のジョアンやスタンフォードの師であるポラスのサポートが必要であることを自覚していた。

 コリンズにとって、ドラッカーも彼らと同じくらい重要な存在である。ドラッカーとの出会いは、同氏の人生を変えた。企業社会に対する問題提起者として、コリンズの価値を永続させることになった。

 コリンズは、みずからの社会的な使命とは何かと考えた結果、次代のドラッカーとなるような人材を養成することではないかと思うに至った。そして毎年夏、全米から学生を募り、ボルダーの自然の中でコリンズ塾(JIM COLLINS’ SUMMER RESEARCH TEAM)を開催し、次代を担う人材の養成に努めている。

[注1]Ironman Hawaii, 26 October, 1985.
[注2]http://www.jimcollins.com/article_topics/articles/the-daily-drucker.html参照。
[注3]レッドフラッグとは、ケースディスカッションが一部の活発な学生に支配される場合が多い問題を解消するため、どうしても発言したい人に優先的に発言権を与える制度。ただし、レッドフラッグを使用できるのは1学期に1回のみである。
[注4]研究室の現在の名称は、“The Good to Great Project Office of Jim Collins”となっている。
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