論文セレクション

予測困難で複雑な事業環境だからこそ、
戦略をシンプルにして実効性を高める

ドナルド・サル マサチューセッツ工科大学 上級講師

『Harvard Business Review』を支える豪華執筆陣の中で、特に注目すべき著者を毎月1人ずつ、首都大学東京名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選して、ご紹介します。彼らはいかにして現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会としてご活用ください。2017年12月の注目著者は、元ロンドン・ビジネス・スクール教授であり、現在はマサチューセッツ工科大学スーロンスクール・オブ・マネジメント上級講師などを務める、ドナルド・サル氏です。

実務を経験し、教育研究者の道へ

 ドナルド・サル(Donald Norman Sull)は1962年12月生まれ、現在55歳。ロンドン・ビジネス・スクール(以下LBS)教授を退任して以来、みずからベンチャー企業の創業者や経営者として、またアドバイザーとしても活躍する。その傍ら、マサチューセッツ工科大学スーロンスクール・オブ・マネジメントの上級講師(Senior Lecturer)を務め、起業家精神と戦略経営、技術イノベーションを担当している。

 サルは、ハーバード大学で主に政治学を専攻し、1985年に同校を優秀な成績(Cum Laude)で卒業して、マキンゼー・アンド・カンパニーのクリーブランド・オフィスにビジネスアナリストとして採用され、企業再生チームに所属した。その後、1988年、レバレッジ・バイアウト投資ファンドであるクレイトン・デュビリエ&ライスに転職すると、チーム・リーダーとして、衰退した2つのタイヤメーカーを統合して、新たに設立されたユニロイヤル・グッドリッチの売却を担当した。ちなみに、ユニロイヤル・グッドリッチは、1989年、ミシュラン・ブラジルのCOOとして成功を収めたカロルス・ゴーンが会長・社長兼CEOとして着任して間もない、米国ミシュランに売却された。

 1991年、サルが28歳のとき、経営学の専門知識を深めるために、ハーバード・ビジネス・スクール(以下HBS)に入学し、1992年にMBAを取得し、1996年にはDBAを授与された。

変化を察知して戦略を策定できても、
企業はなぜ衰退してしまうのか

 サルは、HBSのDBAプログラムで、既存企業が技術革新など事業環境の急速な変化に対応できないのはなぜか、また、対応できた企業はどのような点が優れていたのかということに問題意識を抱き、米国のタイヤ業界を事例として研究した。それは前職でのユニロイヤル・グッドリッチ売却の際に、自動車の黎明期に多数誕生した米国タイヤメーカーの盛衰の歴史に関する、豊富な知識を持っていたためである。

 サルの問題意識は複雑であった。繁栄を謳歌していた成功企業が一転して苦戦を強いられるのは、短絡的には、過去の成功体験に縛られた経営者の無為無策にあると考えられがちである。しかし、過去の事例を検討するとそのようなことはなく、むしろ経営者は、技術革新の脅威をいち早く察知して、それに対応するための戦略を策定し、新たな設備投資を断行して猛然と反撃を試みたものの、結果的に業績が回復せず衰退していたが、その原因はなぜか、というのがサルの問題意識であった。

 1960年代、フランスのミシュランによってラジアルタイヤの技術革新がもたらされた。ラジアルタイヤは、既存のバイアスタイヤよりも耐久性に優れ、かつ低コストで大量生産できた。1970年代に入るとミシュランは米国市場に進出し、1972年には、フォード・モーターが新機種の自動車にラジアルタイヤを採用した。

 ファイアストンとグッドイヤーは当時、米国タイヤ業界の双璧として君臨していた。ただ、両社におけるラジアルタイヤの脅威への戦略的対応は同じでも、ファイアストンは衰退し、グッドイヤーは成功しており、その結末はまったく異なっていた。その理由を解き明かすのが、サルの博士論文の趣旨であった。

 サルの博士論文審査会は、ジョセフ L. バウワー(Joseph L. Bower)が主査(Chair)を務め、他にジョージ P. ベイカー(George P. Baker)、リチャード E. ケイブズ(Richard E.Caves)、ニッティン・ノーリア(Nitin Nohria)といった、HBSの各研究分野の重鎮である教授陣が、委員として参加した。

 審査会の主査であったバウワーは、業界のトップに君臨した成功企業が、技術革新や市場環境の変化に直面して、なぜ衰退してしまうのかという、サルと同様のテーマを同時期に研究していた。バウワーは1995年、クレイトン M. クリステンセンとの共著で、 “Disruptive Technology: Catching the Wave,” HBR, January-February 1995.(邦訳「イノベーションのジレンマ」初出DHBR1995年7・8月号、DHBR2009年4月号、2013年6月号にも掲載)をHBS誌に寄稿しており、新たに「破壊的技術(disruptive technology)」という用語を用いて、大企業が衰退する要因を導き出していた。[注1]

 サルの研究は、同じ業界で技術革新の脅威に直面した2つの企業が、盛衰という異なる結末を迎えた要因として、企業組織の「慣性(corporate inertia)」にその違いを求めようとした。審査会での議論の中では、それは企業組織の単なる「慣性」ではなく、「アクティブ・イナーシャ(active inertia)」ではないか、ということが議論になった。

 アクティブ・イナーシャとは、邦訳された論文を読むと「アクティブな惰性」「能動的惰性」があり、極端には「覇者の奢り」とされている。HBR誌に掲載されたサルの最初の論文である、“Why Good Companies Go Bad,” HBR, July-August 1999.(邦訳「なぜ成功企業ほど低迷していくのか」2000年1月号)では、“Active inertia is an organization’s tendency to follow established pattern of behavior — even in response to dramatic environmental shifts”(事業環境の劇的な変化に反応して新たな行動をとるべきなのに、これまで積み上げられた行動パターンを踏襲してしまう組織の習性)と定義されている。比喩的には、悪路であることを認識しながら、タイヤがぬかるみにはまった自動車の運転手と同じように、環境の変化に気づいた経営陣が「アクセルを踏み続ける」行為であり、ますます泥沼に沈み、結果的に抜け出せない状況に陥ることと、表現されている。

 HBSを修了した1996年、サルは、LBSで著名なスマントラ・ゴシャールが率いる、経営戦略・国際経営のアシスタント・プロセッサーとして採用された。[注2]サルはLBSで、ゴシャールと共著で2つの論文を執筆し、またケース教材も作成したが、HBSのDBAプログラムでの研究をさらに発展させることに多くの時間を費やした。

 なおLBSで執筆され、HBR誌に掲載された前述の「なぜ成功企業ほど低迷していくのか」では、博士論文で研究したファイアストンの事例に加えて、英国のアパレル業界でローラ・アシュレイが凋落する過程を検証し、アクティブ・イナーシャが現れる4つの兆候(図1参照)を示した。また、アクティブ・イナーシャに陥らずに、企業の伝統と革新を融合させて復活した事例として、グッドイヤーとIBMの事例を取り上げた。

図1:アクティブ・イナーシャを現す兆候

 ただ、サルはLBS在籍から3年を経てもなお、その研究でHBSの博士論文の域を超えることができなかった。彼自身、研究の惰性に陥っていると感じていた。

複雑な事業環境を乗り切るために
戦略をシンプルにして実効性を高める

 サルは、ロンドンでの4年間の生活を経た2000年、HBSの経営管理のアシスタント・プロフェッサーとして採用され、念願であったHBSへの復帰を果たす。

 そのときすでに38歳を迎えており、みずからの才能を認めさせるには、新たな研究テーマを必要としていた。そうしてサルは、企業や経営者は事業環境の変化を察知して、それに対応する戦略を認識していながら、なぜ経営戦略を実行できないのかという問題意識に対して、アクティブ・イナーシャの問題をさらに発展させた「戦略の実効性(strategy execution)」の研究を始めた。

 サルは、2001年、スタンフォード大学のキャサリン M. アイゼンハートと共著でHBR誌に寄稿した、“Strategy as Simple Rules,” HBR, January 2001.(邦訳「シンプル・ルール戦略」DHBR2001年5月号)で、複雑な事業環境での経営戦略のあり方を問題とした。

 安定した市場では一般に、綿密な予測に基づき、持続可能な競争優位を獲得する経営戦略を立案し、堅実に実行することができるかもしれない。しかし、ダイナミックかつ迅速に変化し、かつ不透明な市場環境では、予測困難な高い不確実性があり、それに対応する経営戦略は多様な条件設定を必要とした。必然的に戦略策定プロセスは複雑になり、また戦略の目的である競争優位も持続性を保つことが困難であるため、戦略の実効性は低くならざるをえない。

 最近の成功企業を見ると、戦略策定プロセスを自社にとって最も重要だと認識される課題、たとえばブランディングと商品開発に集中するような、戦略として理解容易なシンプル・ルールを採用している。複雑で不透明な市場環境では、戦略がシンプルなほど組織メンバーに認識でき、その実効性も高まると、経営戦略のあり方を逆説的に主張した。

 また近年のHBR誌では、10年間を振り返って、10年前にHBR誌で主張したことが実際にはどうであったかについて、追加調査から実施例を示した、“Simple Rules for a Complex World,” HBR. September 2012.(邦訳「複雑な時代のシンプル・ルール」DHBR2013年1月号)を寄稿し、戦略がシンプルであることによるマネジメントの意義を改めて主張し、シンプル・ルール策定の5つのステップを示した。[注3]

成功の方程式となる「コミットメント」を探る

 アクティブ・イナーシャを防ぎ、戦略の実効性を高めるには、戦略策定プロセスをシンプルに絞って、組織メンバーに戦略の重要性を認識させることに加えて、組織のリーダーのコミットメントが重要である。それが、サルの新たな認識であった。

 サルは、組織を変革させ、成功を導くコミットメントを「成功の方程式(success formula)」と呼び、HBR誌に、“Managing by Commitment,” HBR, June 2003.(邦訳「コミットメント・マネジメント」DHBR2004年4月号)に寄稿した。その発想の原点は、LBS在籍中、シニア・マネジメントを対象としたエクゼクティブ・プログラムにおいて、戦略転換をテーマとする講義を担当した際に、経営者が新たなビジネスチャンスに熱意をもってコミットメントすることが、自社を変革するうえで最も重要な役割を持つと説いたことにあった。

 2003年に書籍として出版した、Revival of the Fittest, 2003.(邦訳『変革へのコミットメント経営』生産性出版、2005年)のタイトルは、英国の思想家であるハーバート・スペンサーによる“survival of the fittest”(適者生存)をもじっており、事業環境の変化に適応した企業こそ再生するという主張であった。同書は、前述の「なぜ成功企業ほど低迷していくのか」と「コミットメント・マネジメント」の2つの論文をベースにしており、HBS修了後に研究した、アサヒビールやサムスンなどの事例にも触れている。

 2004年、サルは41歳を迎え、当時はHBSで助教授を務めていたが、LBSの准教授として招聘されることになった。サルが師と仰ぐゴシャールが2004年3月に脳溢血で急逝(享年55歳)したことで、LBSは、経営戦略・国際経営の教授陣の充実を求めていたためである。

 サルは、LBSでのエクゼクティブ・プログラムで、経営幹部である受講生に個人的なコミットメットを入力させ、それを総棚卸して、改善に向けて自己管理させるトレーニングを実施した。経営上のコミットメントは、組織の針路を規定する行動を意味し、体系的にPDCAサイクルによって管理されなければならない。経営幹部に対してなぜこのようなことを行わせるかというと、コミットメントを積み重ねると一種の拘束力となり、コミットメントが組織に惰性を生み出し、それが原因で競争環境の変化にうまく対応できなくなる、と考えられるからである。

 この講座内容は、“Do Your Commitments Match Your Convictions?” HBR, January 2005.(邦訳「コミットメントの自己管理術」DHBR2005年7月号)で紹介した。

「約束」によるマネジメントが
戦略の実効性を高める

 コミットメントが惰性を生み出すことで、組織メンバーが最優先課題に積極的に取り組まず、新たな戦略が実行されない状況が想定される。この状況を打破する提言が記された論文が、“Promise-Based Management: The Essence of Execution,” HBR, April 2007.(邦訳「組織は「約束」の集合体である」DHBR2007年12月号)である。

 不透明な事業環境の変化に対して、経営の適応の要件を明らかにするには、最も変動が激しく不確実性の高い市場である中国とブラジルで、企業活動を調査することが最適である。LBSの調査プロジェクトでは、同業の2社に関して20組以上の不確実性への適応度の比較を行った。その内容は、 “Strategy as Active Waiting,” HBR, September 2005.(邦訳「新興市場を制する『臨戦待機』の戦略」DHBR2006年5月号)としてまとめられ、HBR誌に寄稿した。

 同論文では、大胆なビジョンを掲げながら、市場を予測もコントロールもできないという認識に立ち、現実主義的に日常業務を重視しながら、千載一遇のチャンスを待つ経営が最適という「臨戦待機」の結論を導き出した(図2参照)。

図2:事業環境の不透明な未来

 2008年、サルはLBSの教授に昇任した。そして、LBSのエクゼクティブ・プログラムを担当しながら、引き続きLBSの調査プロジェクトを担当した。

 LBSの調査プロジェクトでの臨戦待機の戦略で、乱気流時代の不確実性の高い市場で成功するためには、資金や技術など千載一遇のチャンスに備える「吸収力」と、経営や戦略の「敏捷性」が必要であることがわかった。“How to Thrive in Turbulent Markets,” HBR, February 2009.(邦訳「乱気流時代を乗り切る経営」DHBR2009年5月号)は、LBSでの調査プロジェクトの研究成果として発表されたものである。

シンプル・ルールをつくり、実践する

 LBSのエクゼクティブ・プログラムは、2008年に『フィナンシャル・タイムズ』紙が発表する世界のビジネススクール・ランキングの19位まで落ち込んでいた。エクゼクティブ・プログラムは、LBSの収入の半分を占めていたため、同ランキングで低位の評価に甘んじることは、世界的なビジネススクール間の競争において経営幹部の受講生を失い、同校の経営を危うくする可能性がある。そのため、ビジネススクールとしての新たなビジョンに沿って、過去からの惰性でマンネリ化している講座の廃止が求められた。

 だが、自分が受け持つ講座の廃止を受け入れる教授はいなかった。そこでサルは、利益が出ること、受講生の満足が得られていることなどのシンプル・ルールを教授陣に提示することにより、改革を断行する方針を打ち出した。その結果、2012年、LBSはランキング上位への復活を果たした。

 2013年、サルはLBSでの講義を最後にロンドンを去り、米国に戻ることになった。ベンチャー企業であるフィルム・フィッシュ[注4]などの経営者として、あるいは企業へのアドバイザーとして活動する傍ら、教育者としてマサチューセッツ工科大学(MIT)で講座を持ち、HBR誌や『マッキンゼー・クォータリー』誌に論文の寄稿を続けている。

 サルがHBR誌に寄稿した、“Why Strategy Execution Unravels and What to do About it,” with Rebecca Homkes and Charles Sull, HBR, March 2015.(未訳)は、同誌の巻頭論文として取り上げられたが、経営者に転じても、サル自身が戦略の実効性の問題にあたかもシンプル・ルールを設定して、惰性のようにこだわり続けているように思える。しかし、サルは才覚豊かであるが故に、その生き方は、必ずしもシンプルと言えるものではないのかもしれない。

[注1]クリステンセンが、既存市場においては、「破壊的イノベーション」を生み出したイノベーターが持続的に性能曲線を引き上げることで市場を支配するが、新たに生まれる次世代の成長市場では支配者としての地位を失うメカニズムを研究し、The Innovator’s Dilemma(邦訳『イノベ-ションのジレンマ』翔泳社)が上梓されるのは、1997年である。
[注2]スマントラ・ゴシャールは、1985年にMITからPhD.を、1986年にHBSからDBAを、それぞれ異なる研究テーマで授与された。クリストファー・バートレット(Christopher Bartlett)との共著である、Managing Across Border, 1989.(邦訳『地球市場時代の企業戦略』日本経済新聞社、1990年)と、The Individualized Corporation, 1997.(邦訳『個を活かす企業』ダイヤモンド社、1999年)は、名著として多くの研究者に影響を与え続けている。
[注3]シンプル・ルールは書籍として、Simple Rules, 2015.(邦訳『SIMPLE RULES』三笠書房、2017年)が出版されている。
[注4]フィルム・フィッシュは、個人の視聴記録を人工知能によって解析し、映画やTVドラマなどの最適な映像エンターテインメントを提案するサービス企業である。
 
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